第十二章 Daries Khazal(カスピ海)

ガズビンの町を、早めに離れて二人はカスピ海に面しているラシットに向かった。
「Halle Agah Kharam Gormer fube?(MRカハラム・ゴルマーは元気にしているかね)」
村木はクセインに尋ねた。
「You still speak Farshee kheilly mamunuum、shoma?(まだペルシャ語は忘れていないね)」
「Balle、Balle(そうだな)」
と笑いながら村木は答えた。
「俺も、あれ以来 Daries Khazalには来ていないからな、元気にしているかなあ」
「そうか、こちらの人はカスピ海とは言わないんだったな。Daries Khazal カザールの海と言うんだった」
カスピ海から西の黒海一帯に国境を超えて住んでいたのはトルコ人とアルメニア人の混血したカザール人という人たちだった。
時代と場所に応じて、ロシア人になったり、アルメニア人になったり、トルコ人になったり、そしてイラン人になったりした変わった人種だ。
彼らは概ねキリスト教徒と自称していたが、時代によってはイスラム教徒になった者もいる、そしてユダヤ教徒になってロシア、ポーランド、ドイツ東部にまで移動して行き、後にアシュケナジーユダヤ人となっていった。
ラシットに住んでいるカハラム・ゴルマーも実はペルシャ人ではなくカザール人でアシュケナジーユダヤだからイスラム教徒ではなくユダヤ教徒なのだ。
それが判ったのは、日本に来たカハラムがクセインの妻のマーゴットと一緒に京都を村木に案内された時に判ったのだ。
クセインからイスラム教徒は、どこに居ても一日十七回、決まったお祈りの言葉をメッカに向かってしなければならないと聞いていたので、村木は気を遣ってカハラムに「いつでもお祈りの時は言ってくれ」と言ったら、「俺はイスラム教徒じゃなくてユダヤ教徒だから、そんな必要はないよ」と言われたのだ。
「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、いわば兄弟だ。それだけ血が濃いから、揉めたら骨肉の争いになる厄介な関係だ」
村木はイランに長くいたが、テヘランがあるエルボルズ山脈の南側と、カスピ海に面している北側では、同じ国と言っても、人種も微妙に違う、宗教も違う複雑な地域だと痛感したことがある。
「世界の国は、国境を隔てて、それぞれ国家を形成しているが、それは人間が勝手に決めただけで、地球上に住む人間はみんな、何らかの形で繋がりを持ちながら文化・風土を、国境を超えて共有している。いろいろな国を歩いて見て、国境などまったく無意味だと言うことが判った」
と思った。
ラシットの町に入って行くと、正面に広大なカスピ海が姿を現した。
「久しぶりのDaries Khazal だ!」