第十章 グラブチ一家

テヘランのTachteーTavosにあるグラブチ家は、父親のマンスールが死んだ後、次男のジャミールが引き継いだ。
長男のクセインが本来継ぐべきだが、革命直後の騒乱でクセインはイランにおれなくなった。
マンスールも涙を呑んでクセインをアメリカに逃がした。
心臓病を持っていたマンスールを、その後アメリカに何度も連れて来ては一流の医者の治療を受けさせていたクセインは親孝行な息子だった。
マンスールは敬虔なイスラム教信者だったから、ホメイニの革命政府も厳しい追求はしなかった。
そしてクセインも晴れてイランの地に再び足を踏み入れることが出来るようになった。
テヘランのメーラバード空港に着いた二人を、ジャミールが迎えに来ていた。
「やあ、村木さん。久しぶりです。帝国ホテルで会ってから、もう十年ぶりですかね」
ジャミールは父親のマンスールの希望で、日本の拓殖大学に入学した。
彼の日本語は、ほとんどネイティブだ。
村木が高田化学にいた頃、日本にペルシャ絨毯の店を出したジャミールとよく会っていた。
ところが、ジャミールの奥さんが、風邪をこじらせて急死したのが、帝国ホテルで会っていた時だった。
コーヒーショップにいた二人の前にページングのボードを持ったボーイが通り過ぎて行ったのを村木が気づいた。
「おい、ジャミール。お前にページングをかけているよ。ほら」
すぐにフロントに行ったジャミールが青い顔をして戻って来た。
「どうかしたのか?」
と聞く村木に、ジャミールは目を潤ませて言った。
「女房が死んだ」
「何だって?」
あれ以来のジャミールだったが、すっかり元気になっていた。
「久しぶりのグラブチ家だな。ところでモハメッドはいないのかい?」
クセインは村木より三才上で、ジャミールは同じ歳で、モハメッドは五才年下だったから、弟のようにかわいがっていた。
クセインもジャミールも黙ってしまった。
村木が弟のように思っていたことを知っていたからだ。
「モハメッドに何かあったのかい?」
心配そうな顔つきになる村木を見て、二人はますます言えなくなった。
「今病院に入っているのよ」
リビングの奥から老婆が出てきて言った。
「Mamu! Hale shoma fube?(お母さん、お元気でしたか?)」
「Mote chokoran. Helly mamunum(ありがとう、元気にやっているよ)」
彼らの母親のアバシだった。
モハメッドはカナダのトロント大学を卒業して、そのままシカゴに住みついた。そしてシカゴの麻薬密売人にだまされて麻薬中毒患者になったらしい。
村木は驚いた。
シカゴに住んでいた時、モハメッドがよく遊びに来ていた。その時シカゴには韓国の外交官による高級売春と麻薬シンジケートがあって、村木は韓国領事の金孫と親しくしていた。
金孫は、村木の大学の先輩で商社経営をしている朝田から紹介され、将来は韓国政府の重要人物になると目されている人物だ。
女好きだが、決して悪人ではないと村木は確信していた。
だが金孫はその後、イランの韓国大使としてテヘランにもいたことがあることを思い出し、嫌な予感がしたのだった。
「スイスのジュネーヴに電話をしたいんだが」急に村木が言いだすのを、何も聞かずに、ジャミールは受話器を取って国際電話をしてくれた。
「ジュネーヴのどこに電話するんだい?」
「WTOの韓国代表・金孫に話をしたいと言ってくれないか」
幸い、金孫はWTO事務所にいた。
「もしもし、村木です」
「これはまた、珍しい方が。どうしたのですか?」
事情を説明すると、金孫は答えた。
「MR村木。わたしは女好きだから、高級売春シンジケートを作りましたが、麻薬なんかに手を出していません。ただモハメッドさんがシカゴの密売人から麻薬を買っているという話は聞いたことがありました」
村木は金孫を信じていただけに、安心した。
「今、どこにいらっしゃるのですか?ええテヘランですか!懐かしいですね。会議のシーズンでなかったら飛んで行くのですが」
村木も金孫に会いたくなった。
「出来れば、僕がジュネーヴに行きます」
傍にいたグラブチファミリーは、お互いに顔を見ながら、あきれていた。