小説 ルノーの妹

若いふたりの兄妹が母の生い立ちを知って
悩み苦しみながら人間社会の不条理に敢然と立ち向かい
そして 兄妹を越えた真実の愛を感じながらも
はかなく散っていく 哀しくも 美しい 愛の物語
(あらすじ)
フランスの郊外に、両親の深い愛情に包まれ育ったルノーとナタリーが、両親の駆け落ち結婚の原因が母の生い立ちにあり、それがナチスドイツのユダヤ人大虐殺と関わりがあったことを知った兄妹。
フランス ドイツ オーストリア オランダと真相を求めて行く中で、思わぬ事実に出くわし 何百年という世界の歴史の渦の中に巻き込まれていくふたりが辿りついた日本。
その日本で、人間社会の不条理を知って敢然と立ち向かっていくルノー、そしてそのルノーを支えるナタリーに襲ってくる容赦ない運命の結末。




第一楽章  第二楽章  第三楽章  第四楽章

第四楽章 プレスト(すべての否定の中での合唱)
第四楽章 〜第一章 人道主義世界をめざして〜 第四楽章 〜第十一章 LAの空〜
第四楽章 〜第二章 総選挙〜 第四楽章 〜第十二章 革命広場〜
第四楽章 〜第三章 女優ナタリー〜 第四楽章 〜最終章 サンタモニカに消える(完)〜
第四楽章 〜第四章 アンネフランク〜
第四楽章 〜第五章 世界への発信〜
第四楽章 〜第六章 北京から済南へ〜
第四楽章 〜第七章 首相との対話〜
第四楽章 〜第八章 ガンジーの遺志〜
第四楽章 〜第九章 アラブとユダヤの切り札〜
第四楽章 〜第十章 両親との再会〜


第四楽章 〜第一章 人道主義世界をめざして〜



フランスの母から手紙を受け、ナタリーがロスアンジェルスにいることを知ったのは一年後だった。
ナタリーがアメリカへ行ってからルノーは悪魔の化身になったように『GNK』の活動に没頭した。
ほとんどが日本を発信基地としての新しい地球人を目指す啓蒙活動だったが、
国際的スターだけでもゆうに一〇〇人はいる。
彼らの影響力は強大である。そこへアカデミックな世界の権威が、一般大衆を啓蒙するからどこの国に行っても元首以上の影響力が発揮できる。
日本でもこんなことがあった。
国会議事堂の前で当局の正式の許可を取って、
『世界の中の日本』というテーマで五人のひとたちが講演した。
五人全員が国際的スターだったので、講演を聞こうと集まった聴衆は百万人を超え、国会の前から霞ヶ関、そして日比谷から銀座まで聴衆で埋め尽くした。
各地点に大画面を設置し、五人のスターたちが、国会の前であたらしい地球人をつくるしか、世界の平和はやってこないと訴える。
騒乱罪にならないようにArmy Departmentの人たちが聴衆に厳正粛々と振る舞うよう説得するから、当局も口をはさむ余地がない。逆に彼らもその中にのめり込んでしまうほどの不思議な雰囲気が東京の中心に起こった。
世界の歴史でこんな現象が起こったのは初めてだと海外の唯ひとつの報道機関が世界に流した。
この報道機関以外は、すべて特権支配階級か反社会勢力とグルになっているから一切シャットアウトしてきた。
結局この報道機関も『GNK』のメンバーにその後加わった。
『GNK』の世界への訴えは人種主義者と特権階級支配者の排除に尽きる。
宗教、政治、経済、イデオロギーの違いなどはちいさな問題だ。
いかなる宗教でも、政治形態でも、経済構造でも、イデオロギーの違いでも、人種主義者でなければ、特権階級にしがみつく亡者でなければ、問題にはならないことを訴えた。
世界の六〇億を越える人口で白人は一〇%もいない。他はすべて有色人種だ。
この一〇%にも充たない人種が九〇%以上の人種を支配するためには当然資本主義・自由競争社会でないと実現できない。平等を最重視する共産主義者が白人によって為されるためには人種主義を放棄しない限り不可能だし道理にも合わない。こんな簡単なことに気がつかずに一〇〇年も時間を浪費し、戦争という悲劇を生んだ人類はなんと愚かな動物だろう。
ルノーはこのことを終始強調した。
そして聴衆がすこしづつであるが変化してきた感触を持ち始めたことは奇跡と言ってよかった。
世界から見た日本は奇異としか思われていない。世界の国々とはまったく異質な思考民族で水と油のように決して混ざり合うことはないと思われていた。
日本の高級官僚を柱にした特権階級の仕組みは崩壊したソ連のノーメンクラツーラという特権階級とほとんど同じで、その中心を占めるのが共産党中央委員会政治
局である。
政治局員になると、日本では政府与党の代議士になるのと同じでそこのトップが書記長だ。日本では与党総裁にあたる。その大半が官僚から政治家への転身組で占められている。戦後この仕組みに乗って日本の総理大臣になった連中は圧倒的に党人派より多い。最近は党人派が増えてきたがバックに官僚が支えていないから在任期間が一年ももたない。
ソ連では、最高会議幹部会議長が国家元首だ、日本では天皇だ。しかし何の権力もない。そして首相がいるがこれは実質権力者の共産党書記長が表舞台でも支配する意志があれば首相を兼任するが、裏で支配するなら首相はほとんど何の権力も持たない。
フルシチョフは、表舞台に出たためフルショフ首相というイメージで、彼は当時共産党では第一書記という地位だった。だからブレジネフによって失脚させられた。国家元首よりも首相よりも書記長の方が最高権力者だ。
彼らは引退してOBになっても一生の保証をされている。
日本では戦後、内務省がGHQによって消滅され、大蔵独裁になり、他の省の事務次官はほとんど大蔵省の高級官僚が横すべりする。例えば防衛庁事務次官は必ず大蔵省で事務次官になれなかった官僚がランクの位置によって横すべりしてなることが不分律になっている。絶対に防衛庁のプロパーが次官になることは出来ない。
金を握っているところが、軍隊も握っているのが日本の特権支配階級の実体である。
そして総理大臣以下、各大臣もほとんどが官僚OBが多い。
また財界でも銀行の頭取は都市銀行から地方銀行まで多くの大蔵OBで独占されている。
もちろん大蔵省の次官になれば日本銀行総裁か東京株式市場理事長のポストが待ち受けている。
これが日本の特権階級の実体だ。
藤原一族と僧侶集団によって富の独占をしていた中世の特権階級とまったく何にも変わっていない。
高級官僚になるため必死になって帝国大学に入ろうとする予備軍がそこにつながっている。
しかし、旧ソ連でいう書記長が誰なのかが、日本の国では見えない。世界からも国内からも見えない。
最高会議幹部会議長は天皇だ。首相は二ヶ月で首になる程度のものだ。それでは書記長は誰なのか。
高級官僚の頂点に立つ大蔵省の事務次官のはずだが、ここがソ連と違うところでOBも含めた高級官僚集団が書記長なのだから顔が見えない。
日本の歴史を見てもそうだ。
国家元首は天皇だが、国の運営及びその決定をしているのは、時には摂政や関白であり、時には幕府の征夷大将軍であったりする。書記長は明確化されていない。
本来、権力と責任は表裏一体なのだが日本という国だけは権力者と責任者とが別々になっている。唯ひとり戦国の英雄武将だけが世界に通用する支配者だった。
日本が世界の国々と対等に対話しようとするなら、この仕組みを破壊するしか道はない。
外務省などは、大蔵省から見たら余りにも程度が低く扱われているから人材がいない。
外交官の特権を利用して、フリーパスの税関をくぐり抜けて、外国の日本レストランに酒を売りつけて金儲けをしている輩が、うじょ、うじょ、いる。これではまともな外交など出来るわけはないし、外国政府からも相手にしてもらえる訳がない。
まさに特権階級にあぐらをかいた高級官僚たちが日本を今までも崩壊させてきた張本人だし、これからも彼らが日本を破滅の道に導いていくことは間違いない。
何としても、この仕組みを徹底的に叩き潰さなければならない。
「やはり、比叡山焼き打ちしかない」
とルノーはいくら考えても結論の行きつくところは同じだった。



第四楽章 〜第二章 総選挙〜



二十一世紀に入っての初めての総選挙が行われた。
『GNK』は政治集団ではない。宗教団体でもない。
あくまで啓蒙活動グループだ。
人間としての基本である気力・体力、見識、志、器量、道義、信念、博愛を磨く集団だ。
しかし、その名前はいまや世界中に知れわたっていた。
そして、総選挙の結果に予期せぬことが起こった。
政党名を投票する比例選挙で立候補もしていないのに『GNK』と書いて投票した人が二千万を超えていたのである。
投票率がいつも五〇%もいかないのに、今回は八〇%近い数字が判明した時点で政府与党は何か異変が起きたと予感はしていたが、まさか立候補していないグループの名前に無党派層が投票するような事態になるという前代未聞の出来事が起きたことに戦慄した。
投票結果を放送していた各テレビ局も『GNK』の日頃のマスコミに対するアンチテーゼに敵愾心を持っていただけに複雑な心境で事の結果を淡々とコメントもなしで報道していた。
しかし、海外では世界中この出来事をトップ記事で報道し、日本国民の意識の変化を歓迎しながらも、日本のマスコミがこの出来事を歓迎していないらしいともコメントして日本のマスコミが未だに権力と癒着して情報操作をしていると強烈に批判した。
法律的にはもちろんこの『GNK』への投票は無効であるが、あまりのインパクトの大きさと世界の目を気にして政府も黙殺できない状態になっていた。
ルノーのもとに政府与党の幹事長から面会を申しいれてきた。
しかし、ルノーはみんなとも相談して面会を断り、唯一信頼できる報道機関のSNN放送を通じて世界にメッセージを送った。
「世界のみなさん、わたしはGNKの代表です。GNKは政治集団でも宗教集団でもありません。そしてわたしは、日本人の血も入っていますがフランス国籍の人間です。
GNKのメンバーは、日本人だけではありません。世界中の国の方が、メンバーとしておられます。それなのに今回の日本の総選挙で日本国民の二千万人の人たちがGNKと投票用紙に書かれました。これは日本人の有権者の三人に一人の数字です。この現象は何を意味しているかを良く考えてください。
民主主義の終焉を示唆していると思います。
われわれGNKの掲げている目標は、世界から人種差別と階級制度を撲滅することです。世界の人類史は民族、宗教、経済、イデオロギーの違いで殺し合いをしてきたように思われていますが、それらよりもっと根の深いところに、人種差別と階級制度による一部の人間による支配意識があり、これが人類に起きたすべての悲劇の原因であったと思われないでしょうか。
アダムとイブが、神からエデンの園を追放された原因である禁断の実こそ、人種差別と階級制度という不公正であります。
階級制度は、近代民主主義時代になっても特権階級という形で今なお続いています。
人種差別は、白人の人たちの潜在意識に刻印されたものを取り除けば解決できる問題です。他の有色人種の人たちには、幸いにも白人の人たちから差別されてきた辛い経験が反面教師になって人種差別意識はありません。  
世界の六〇億を越える人口のうち有色人種の人たちは五〇億を超えます。
問題解決の方法は簡単です。困難なのは支配意識を持っている人たちの意識改革なのです。
そのことを、世界の人たちに知ってもらいたいと思って我々は活動しているグループです。
今回の出来事は、我々に勇気と希望を与えてくれました。
今わたしは自分の体に日本人の血が流れていることに誇りを持っています。
みなさんも自分の体に流れている祖先の血に誇りを持ってください。
大事なのはお互いに相手を尊敬し合うことの出来る心だと思います。
これからもGNKの活動に理解と応援をよろしくお願いします」
フランスのルノーの実家で両親がこの放送を見ていた。
「本当に、あの子はわたしたちの手の届かないところに行ってしまいましたね」
と涙ぐむ母親にうなずくだけの父だった。
メルク修道院からウィーンに戻り祖父と一緒に暮らしていた祖母もこの放送を見て感激していた。
ユダヤ博物館のユダヤ人女性はその時フランクフルトに来ていた先生とユダヤ博物館の研究生たちとこの放送を見ていた。
「ルノーを立派に育てられましたね」
と言われて
「うん」
とだけ答えた先生の目がひかっているのを見て、ユダヤ人女性はそっと部屋を出て、エレベーターで三階に降りると壁のリストが目に入ったとき胸に何かつかえるものを感じたこともルノーのテレビ放送に感動したあまり気もつかなかった。
ロスアンジェルスでもその胸のつかえを敏感に感じている女性がいた。



第四楽章 〜第三章 女優ナタリー〜



一年前のメンバーの集まりから飛び出して、自由ヶ丘の家に帰ったナタリーは、フランスの母に電話をして、アメリカに行くことを言った時、母は何も理由を聞かずに許してくれた。
「LAのパサデナに、コンドミニアムがあることは知っているでしょう。そこのセキュリティーオフィスのチーフに、電話しておくから鍵をもらいなさい。また、そのコンドミニアムの向かいにあるCITIBANKにあなたの名前で口座を明日には開設してもらっておくからIDを見せてカードをもらいなさい」
とだけ言って電話を切った。
あれから一年、ナタリーはダウンタウンの、ビルトモアーホテルのフロント係の仕事をして暮らしていた。
ビルトモアーホテルの前の、オリーブ通りと平行しているグランドアベニューの方を上がって行くと、映画のアカデミー賞受賞式の会場がある。
今年の受賞式の日に、ナタリーはたまたまその会場のそばを歩いていたところを映画のプロデューサーの目にとまり、映画に出てみる気はないかと誘われた。
確かにナタリーの容姿は、ハリウッドのスターも羨む程際立っていた。
しかもこの一年間で心も完全に大人になったせいか気品を漂わしていた。
最初は、女優にまったく興味がなかったので断ったのだが、そのプロデューサーの作品を見てすっかり映画の虜になってしまった。
その映画は、若い登山家とヒマラヤにある秘境の国の若き指導僧との友情の物語だったが、最近のハリウッドの映画はアクションものが多い中で精神性の高い映画で感動したのだ。特にその若い登山家の役をした男優がルノーに似ていたこともあった。
三ヶ月間プロデューサーの家でみっちり演技の勉強をさせられたが、そのプロデューサーは自分の出自のことを知っていたらしく親代りのように面倒を見てくれた。
「わたしは、女優としての才能はあるのですか?それともわたしを世話しなければならないからこんなことをやらしているのですか?」
とずばりその初老のプロデューサーに聞いてみたら、
「確かに、ナタリー、君が誰でどこの出身かは知っている。君のお母さんから頼まれたことも確かだ。君の察しのとおりだ。だが君に演技の訓練をしているのは、純粋にプロデューサーとしての自分の眼力を信じてやっている。君は立派な女優になれる才能を持っているよ」
そのことを聞いて母のやさしさに感謝しながらも女優としてやっていけそうな自信が湧いてきた。
「今、企画中の作品がある。その作品で君をデビューさせようと思っている」
と言われてひさしぶりにナタリーの顔に笑いがよみがえった。
「どんな作品か教えていただけないでしょうか」
と聞くと
「まだ演技の訓練中だ。それから君を使えると判断したら教えてあげるよ」
「分かりました。がんばります」
やっとナタリーも心の傷が癒されそうな気がした。
「やはり、いつも夢を持っていないと人間って生きて行けない動物なんだわ」
と思うと急にルノーのことを思い出し
「ルノーはどうしているのだろう」
と悲しくなるのだった。
ナタリーの演技力の才能は、プロデューサーの予想をはるかに上まわるものであった。
昔のハリウッドスターたちは、もちろん演技力を重視はされていたが、それよりも美貌が一番の売り物だった。
特に女優の場合は、美貌スターのための映画づくりであり、映画の内容はそれほど重視しなくてもヒットした。
しかし、今のアメリカの映画界は、映画自体の内容やユニークさが無いとヒットしない。
必然、俳優の演技力が要求される。また昔のようなあまりにもきわだった美貌は、逆に観客から受入れられなくなった。
それは、アメリカという国の絶頂期だった一九五〇〜六〇年代は、何でもアメリカが世界一という自負心が国民全体にあったが、やはりベトナム戦争から徐々にその心の傷が大きくなっていくにつれて誇りが消失していったのが大きな原因だといえる。
国民全体が、心の病にかかってしまったようで、最近の彼らには美貌という言葉さえ忘れてしまって、まったく自分の容貌に興味がなくなってしまった感がする。
ストレスからくる過食で、極端な肥満になる女性が特に目立つ。そうなると服装のおしゃれをする関心もなくなるという悪循環になってしまっている。
映画界もそれを敏感に察してか、最近のスターは美貌では売り込まなくなった。かえって見た感じは、どこか一般人よりも見てくれが、ちょっと劣っているような俳優が受けている傾向が強い。
男性なら昔は背が高くスマートでなければ絶対にスターにはなれなかった。
女性ならつくべきところには、ついている曲線美がなければ、絶対に女優になれなかった。
今は逆だ。背が低く頭がはげたスターが受ける。顔も並みで、到底曲線美とは思えない女優の方がスターになっている。
そういった傾向の中で、そのプロデューサーはナタリーに、かつてのハリウッドスターの復活を期待した。しかも演技力がある。鬼に金棒だと思った。
「君を今回の映画でデビューさせるが、前宣伝は一切しない。何気なく放映して観客にショックを与えるんだ。失ってしまった誇りを思いださせるために」
「わたしの兄のことはご存知ですか?」
とおそるおそる聞いてみた。
「ルノー君だろう、そりやあ、彼は時の人だからね」
「彼は人種差別を世界から撲滅させようと運動しています。そのことを白人であるあなたはどう思われますか?」
と率直に聞いてみた。
「良くないことだと思うけれど、正直言ってまったく偏見がないと言ったら、嘘になるだろうね」
「多分、ほとんどの白人の人たちはそうでしょうね」
「君の容姿の素晴らしさは、白人の血から受け継いだものだとは思わないかね。ある意味では、優越感を持っても仕方ないと思うぐらい白人の容姿は、他の有色人種より優れていると言わざるを得ないと思うがね」
「それじゃ、黒人の人たちはどうなんですか?彼らの容姿は世界中で一番だと思います。
 肌が黒いというだけで、あれだけの素晴らしいプロポーションも認めないのはおかしいと思います」
と反発しながら、ルノーになったような気持ちだった。
「それは確かに君の言うとおりだ。まあ人種問題の話しはもうやめよう。とにかく新しい芸術としての映画をつくってみよう」
予想どおり、この映画は世界中で大ヒットした。
一躍ナタリーは世界のスターになった。
その頃、ルノーはナタリーのことをまったく知らないほどGNKの活動に没頭していた。
まわりのメンバーもナタリーのことを敢えて言おうともしない。
それほどルノーは何かに突き押されるように真っ直ぐ進んで行った。
ナタリーのハリウッドデビューは、アメリカ映画界に多くいるユダヤ人たちの注目を浴びた。
ナタリーの一族が、ユダヤ人でないのに、ナチスドイツのホロコーストの犠牲にあったこと、そして、日本の戦国時代の英雄とポルトガルの景教というユダヤ教の原点を教える原始キリスト教の宣教師の血を引き継いでいることに同胞意識が働いたらしい。
ホロコーストをテーマにした作品でアカデミー賞を受賞したユダヤ人プロデューサー兼監督がナタリーのパサデナの家を突然訪れた。自分を育ててくれたプロデューサーが連れてきたのだ。
「ナタリー、突然押しかけて悪いとは思ったが、彼がどうしても君に会いたいというものだから」
ナタリーは彼らを部屋に通した。
ふたりが、リビングのソファーにすわるとユダヤ人監督が驚きの声を発した。
ソファーの横のテーブルに飾ってあった写真を見たのだ。ルノーとナタリーが日本の法隆寺で写した写真だった。
「あなたはこの青年とお知りあいなのですか?」
とユダヤ人監督は尋ねた。
「わたしの兄でルノーといいます」
横から初老プロデューサーがユダヤ人監督に説明した。
「君には言ってなかったが、実はそうなんだ。だが彼の妹ということが世間に知れるとどんな危険がナタリーにかかってくるか分からないので誰にも言っていないんだ」
「じゃあ、白状しますがわたしはGNKのメンバーなのです。ルノー君とは日本で二度会ったことがあります。わたしが尊敬する日本の映画監督と一緒に会って、彼の熱い思いを聞かされて感動してメンバーになったのです。だけどその時、彼は自分には妹がいるがアメリカにいて、何をしているか分からなくて心配しているが、今は会わない方が危険に巻き込まなくていいと言っていました。その妹さんがまさかあなただとは思いませんでした。彼もまったく知らなかったですよ」
それを聞いたナタリーは泣き出してしまった。そして今までルノーと一緒に日本で行動を共にしてきたことを話すと、
「どうして、あなたは彼のもとを離れてアメリカに来たのですか」
とユダヤ人監督に尋ねられてナタリーは答えられなかった。相手も事情を察してそれ以上聞かなかった。
「実は、わたしは今新しい作品を考えています。その作品に是非あなたに出て頂きたいと思っています」
「どんな作品ですか」
とナタリーは聞いた。
「新しいと言っても今まで過去に映画化されてきたものですが、あなたのことを知ってどうしても映画化したいと思ったのです」
「アンネの日記だよ」
と横からプロデューサーが言った。
この実話は、ナタリーもよく知っていた。
母の実家のあるアムステルダムが、舞台だったからだが、
「アムステルダムで撮影をするのですか?」とナタリーはその監督に尋ねた。
「もちろん、そうです」
「わたしのような経験の浅い者に務まりますか」
と聞くナタリーに
「あなたがいなければ、この作品は作れません」
と言われてナタリーは答えた。
「よろしく、お願いします。だけどひとつお願いがあります」
「何でしょうか」
「ルノーにはわたしのこと言わないでください」
前にすわっていたふたりは目をあわせて、そして
「分かりました」
と答えた。



第四楽章 〜第四章 アンネフランク〜



『アンネの日記』は一九五〇年代に上映されて大ヒットした作品で、アムステルダムに住むユダヤ人が、ナチスドイツのユダヤ人狩りにあった時、ひとつの家族と隣人たちが、工場の屋根裏に何年も隠れ住んでいたことを、日記に書いていたアンネフランクという少女の物語だ。
ナチスドイツのホロコーストが、世界に知れわたった戦後の生々しい記憶が、残っている時に上映された映画だけに世界中で反響を生んだ。
あれから五〇年経った今、ユダヤ人監督がナチスドイツの暴挙を、再度世に問う作品を出し続けようとする意図は、冷戦がソ連の崩壊という形で終結した結果、民族紛争という新しい悲劇が東欧世界でくりひろげられている。それは結局、人種問題が根底にあるのだということを、世界に伝えるための警鐘であった。
そこに『GNK』が彗星の如く現れ、あっという間に世界の注目の的になった。
『GNK』は、人種差別と特権階級の撲滅運動だ。
世界の人口の中で、この種の連中の数はひとにぎりだ。その連中に大半の人たちが、搾取されている。しかも非常に巧妙な搾取だから表面には現れないが、着実に水面下では進行している。
この状態に世界の大半の人たちが気づいていない。
二十一世紀は二十世紀に起きた悲劇よりもっと陰湿な形での悲劇が、このまま放置しておけば必ず起こる。
このことに世界の人たちが気づかない限り、想像も出来ない恐るべき悲劇が起こるのを避けることは出来ない。自分たちの国家を、政治家と役人に任せきる民主主義が完全に金属疲労を起こしているのだ。
一度自分のものにすると、それを失いたくないという人間の愚かな習性が悪魔に変えてしまう。
五〇年の金属疲労が、まさに今世界中でピークに達している。ダーウィンの自然淘汰説では、世界レベルでの人口激減現象が、起こるはずだ。かつてはそれが戦争だった。
二十一世紀には、その自然淘汰がもっと陰湿な目立たない形で起こるだろう。
『GNK』はそれを警告している。
ユダヤ人監督は、その危機的状態を今度の作品で世に問おうとしている。
ナタリーは、この映画に出ることでルノーの応援が出来ると思った。
半年後にこの作品は完成し世界に放映された。
あまりの反響に支配者層は焦りだした。
多くのものを所有する連中が、それを失う危機になると完全に獣になる。
『GNK』の周辺でもいろいろな事件が頻発しだした。
ルノーは、『アンネの日記』でナタリーが女優になっていることを知った。
最初は、無事でいたことを喜んだが、陰湿な事件が起こり出したことで、ナタリーの身にも危険が及ぶのではないかと心配をした。
今やナタリーは『アンネフランク』の化身だ。
それほど見事な作品だった。
世界の『アンネフランク』になればなるほど、彼女は危険な状態になる。
ルノーは、何とかしなければならないと思ったが、ルノーの心配とは裏腹に、ナタリーの周辺は華々しい状況にどんどん変化していった。
ナタリーもその状態に幸福感を味わっていた。
幸福を感じたその瞬間から、不幸がひたひたと迫ってくることを知るにはまだ余りにもナタリーは若い。
ルノーは、ナタリーに悟られないようにArmy Department のチャンピオンにボディーガードを付けてくれるよう頼んだ。
ナタリーが、急にアメリカに行ってしまった理由を承知していたチャンピオンは、ナタリーの誤解を解くよう、ルノーにしばしば説得したが、ルノーはナタリーにコンタクトしようとはしなかった。
チャンピオンはLAのナタリーの面倒を見ているプロデューサーに連絡した。
「もうナタリーはスターだ。それだけでもいろいろな奴が、彼女のまわりをうろついている。
そこへGNKのリーダーの妹だということが、世間に分かってしまったから、危険極まりないことは事実だ。こんな事になるのだったら、ホテルのフロントで静かに仕事をさせておいてやった方がよかったよ」
とプロデューサーは嘆息をついた。
「ナタリー本人はどうなんだい。状況認識はできているのかい?」
とチャンピオンが聞くと、
「聡明な子だから分かっていると思うが、君も経験したことがあるだろうから理解できると思うけど、スターになると自分を見失ってしまう、しかも若いから心配している」
「何か兆候があるのかい?」
と聞かれてプロデューサーは、迷っている様子だったが事情を話した。
「実はある男優とつきあっているらしい。パサデナの彼女の家でもう一緒に住んでいる」
それを聞いたチャンピオンは愕然とした。
「ルノーとは兄妹だし、別に彼女ももう二四才になっているのだから恋人がいてもなんらおかしなことではないが、彼らはちょっと事情が違う。ナタリーが突然ルノーのもとから去っていったのも彼女の誤解からだ。だがルノーはそのことを決して弁解しようとはしなかった。そうしておいた方がナタリーにとって安全だと思ったからだ。だがナタリーへの想いは兄としての気持ちをはるかに超えている。困ったことになったな」
とチャンピオンも嘆息をついた。
「だからボディーガードをつけると言っても嫌がるんじゃないかと思うよ」
ふたりは黙ってしまった。
とりあえず、ナタリーに気づかれないように三人ほど信頼のおける連中を手配しておくことにした。
ナタリーは常に三人のボディーガードに見張られていることも知らずに、恋人の男優と楽しい生活を送っていた。
三人のボディーガードは、もちろん黒人の強健な兵士であり、頭も非常に切れる連中だ。
「ナタリーさんの恋人のあの男、ちょっとおかしいと思わないかい?いつもきょろきょろしていて、何かに恐れているように思えて仕方ない」
とひとりのボディーガードが言った。
「俺も、同じように感じていたよ。やはりチャンピオンに報告した方がいいな」
三人のボディーガードから報告を受けたチャンピオンは、すぐにLAのプロデユーサーに電話した。
「その男優、どんな奴なんだい?」
と聞かれてプロデューサーは
「アンネの日記の映画に使ったアンネと恋仲になる若者の役をやらせた青年だよ。結構気の弱い子だったような感じがしたね」
「誰が、引っ張って来たんだい。ユダヤ人の監督かい?」
「いや、そうじゃないと思う。思い出したが彼も誰からの紹介だと聞いていたから」
「ナタリーに気づかれないようにちょっと調べて見よう」
とチャンピオンは言って電話を切った。
何か嫌な予感がしたが、まだルノーに言わないことにした。
ルノーはこれから世界を講演してまわる企画を進めている最中だったから、要らぬ神経を煩わしてはいけないとチャンピオンは思った。



第四楽章 〜第五章 世界への発信〜



ルノーの活動は、主に講演へと移り、それと並行してSchool Departmentグループは彼らの得意分野を生かして、映画、コンサート、本の出版を通じてGNKの活動目的を世界の人々に発信していった。すべては、GNK主催の自前での活動だ。
GNKの名前が世間に拡がるにつれて、メンバーに参加したい、スポンサーになりたい、取材をしたいといった連中が群がってきた。
だがまさにこういった連中が特権階級社会を構成する支配者たちの先鋭隊だ。
ねずみ講の末端連中で、いつかは特権階級の幹部になって搾取を夢みている強欲集団だ。
大企業の出世を夢みるサラリーマン族、エリート官僚のトップになって国民から搾取した税金を貪る役人たち、親から引き継いだ地盤で若くして国会議員になって大臣の椅子を夢みる七光り連中、そこに縁組みをして潜り込む官僚OB連中、こういった特権階級層とうまく共生していこうとするマスコミ、評論家たち。
これこそ、ねずみ講の本家本元だ。
マルクスが『資本論』で糾弾したのは、このねずみ講を構成する集団のことだ。
利益を追求することや財産の私有を是とする資本主義を悪だとする共産主義の根本的間違いは、結果の平等という人間である以上不可能なことを追求したからだ。
資本主義や共産主義といったカテゴリーは単なる手法の違いであって、根本にある人間の限りない欲望というエネルギーを自己だけのものに使うか、社会全体のために使うか、この一点の違いだけであることを看破できなかったからだ。
資本主義社会でも、自己よりも社会優先の精神があれば、ねずみ講集団は発生しない。
共産主義社会でも、社会よりも自己優先の根性が先行すれば、ねずみ講集団は発生する。しかも、人為的に構築された社会だけにねずみ講の階級差が、人間の欲望から自然発生した資本主義社会のねずみ講集団のそれよりも大きい。
共産主義社会の崩壊の根本原因はこの一点に尽きる。
「ねずみ講による階級社会システムがすべての根元だ。だがこのねずみ講こそ人間の欲望心理を突いた巧妙な悪魔のシステムで、その典型が宗教集団だ。ねずみ講の構成員たちの言動、顔つきが宗教団体の信者たちとそっくりなのは、ねずみ講が宗教団体の実体であり、宗教団体の実体がねずみ講であることを人間は自覚しなければならない。人間のすべての悲劇はここから発生することを人間は今こそ悟らなければ人類の未来はない」
ルノーが、この何年間の活動を通じて体感した結論であった。
「国家、民族、宗教、イデオロギーといった要素は単なる皮層的なものに過ぎない。
なぜなら、そんなものは死とともに消滅してしまうが、人間の欲望は永遠のものだ。
人種差別意識、特権階級意識は人間だけが持つ原罪的欲望から発生したものだ」
人間が、本来持つ善性に訴えるため、世界にメッセージを送り続けようと講演活動を開始した。
約半年をかけてルノーは日本全国をまわって訴え続け、そして、いよいよ世界に向けての発信開始に入った。
だが、この活動の拡がりが大きくなるにつれて、不穏な動きも表面に顔を見せ始めた。



第四楽章 〜第六章 北京から済南へ〜



ルノーは、まず世界への発信を中国から始めた。
十二億を超える人口だ。しかも済南にはアムステルダムの本家から嫁いだ伯母がいる。
西安にいた徐家は三年前に山東省の省都の済南に移っているとアムステルダムから連絡が入っていた。
ルノーは、まず北京に入った。かつてはソ連と肩を並べる共産主義国家の代表国だったが、市場経済主義に政策変更することで、政治は依然社会主義を標榜していても、経済システムは完全に自由競争経済に変貌している。
特に北京の変貌ぶりはすさまじい。東京も圧倒される近代大都市になっている。ニューヨークを彷彿させる高層ビルが乱立し、そこにセントラルパークに似た大公園のまわりに各国の大使館とその公邸が並んでいる。
「欧米帝国主義が中国を常に意識してきた理由は分かるな」
とルノーは思った。
日本の悲劇は、中国の隣人であったことが欧米、特にアメリカから目の敵にされ結局原爆を放り込まれたのだ。それほどに中国という国は大国だ。
北京での講演を依頼されたが、Army Department から、講演は危険だから、避けた方がいいとアドバイスしてきた。
ルノーはそのアドバイスを聞き入れ、北京での講演はせずに伯母のいる済南に汽車で九時間かけて向かった。
三国史の舞台となった黄河周辺の中原地帯で、中国三千年の歴史の常に中心地だったところだ。済南の郊外には有名な泰山がある。
夜行列車で北京を出て、朝に済南駅に着いた。
徐夫妻が、駅に迎えに来てくれていた。
お互い面識がなかったが、ルノーは今や世界に知れわたっている寵児だったから、徐夫妻はすぐにルノーを探しあて、
「ルノー、よくこんなところまでいらっしゃったわね」
と伯母が言葉をかけてくれた。
「やあ、お伯母さんですか、はじめまして。もっと早くお会いしたかったのですが、申し訳ありませんでした」
「主人の徐偉です」
と紹介してくれた。
「ルノーです。はじめまして、お世話になります」
と挨拶をした。
「中国人とは到底思えない顔つきだなあ」
と内心思ったルノーの心を読んだのか、
「びっくりしたでしょう。こんな顔つきの中国人がいるのかと。この辺りには、二千年以上前に西から移動してきた騎馬民族のフン族との混血人種がたくさんいます。また、シルクロードを往来していた古代ユダヤ人の末裔や混血がいっぱいいます」
とルノーの驚くのも無理はないと説明してくれた。
「差別はされないですか?」
とずばりルノーは聞いた。
「まったくないですね。漢民族といってもいろいろな人種がみんな混ざっているし、言葉も何百種類もあるから、昔からグローバルな意識があったんだと思います。だからルノー君のGlobal Nation Club には共感する人たちが多いですよ。みんなルノー君の話しを楽しみにしています」
と言われて、緊張していた気持ちがほぐれた途端眠気が襲ってきた。
「夜行列車だったから眠れなかったのね」
と伯母が言って迎えに来てくれた車に乗ったらルノーは眠ってしまった。
わずか三〇分ぐらいのドライブの間にルノーは夢を見た。
ナタリーの夢を見た。はっきりとは憶えていなかったが、ナタリーがどんどん遠ざかって行く姿を追いかけながら、追いつけないところで夢から覚めた。
「夢を見ていたのね、何かうなされていたみたい」
と言う伯母の前に座っていたご主人の徐偉さんが言った。
「こんな若い時から毎日大変なプレッシャーの中にいるんだね、かわいそうに」
「いや、そんなことありません。好きでやっていることですから。ご心配かけて申し訳ありません」
とルノーはふたりに言った。
済南の南郊賓館は共産党大会が開かれる第一級の名門ホテルだ。
千仏山路から経十路を通って大きな前庭を通って正門に着いたルノーはArmy を五人引き連れてロビーに入っていった。千仏山は泰山と並び称せられる有名な山でホテルからその美しい姿が見ることが出来る。
講演会場は一〇〇〇人以上収容できる共産党大会を開催している会議場が用意されてあった。
早速ルノーは、演壇に上がった。
聴衆はGNKの活動目的を十分知っていた。
中国は、欧米列強の帝国主義に蹂躪された国だ。しかし、日本に対しても侵略されたと思っている。当時ヨーロッパ列強国に侵略されたアジアの国々が、何故日本に対して未だに拒否反応を示すのかルノーには分からなかった。
その点を強調した内容の講演だった。
講演の後、ルノーに多くの質問が聴衆から為された。
その質問を受けたルノーは、ほとんどの中国の人たちが日本を悪人扱いする教育を受けていることを知った。
南京大虐殺もそうだ。あきらかに情報操作だ。
ユダヤのホロコーストと同じで、あれだけの大虐殺を本当にやられれば憎しみの気持ちはそう簡単には消えない。
ドイツのナチス党員が戦後連合国から受けたニュールンベルグ裁判では、ホロコーストのフィルムを見せられて、裁判に出席した人たちは裁く側も裁かれる側も、驚愕したほど強烈なインパクトを与えた。
南京大虐殺で日本の兵士が、中国人を串ざしにしている写真が世界に発表された。
それを写真の捏造だと主張する日本の識者もいる。
だがルノーは、たとえそれが事実であろうが、作り話しであろうが、問題はもっと深いところにあることを強調した。
虐殺を受けた中国人と同じ中国人で編成されている共産党の解放軍がチベットで行った一〇〇万人の虐殺を何と考えるのか。
文化大革命で、同じ中国人にした行為を何と思うのか、天安門広場での軍による制圧を何と思うのか。
そして、その行為を人道上の問題として中国に経済制裁を加えたアメリカが日本の広島、長崎に落とした原爆のフィルムを見たら、真珠湾攻撃に対する報復として簡単に片付けることが出来るのか。
ルノーは、広島の原爆投下のフイルムを会場で披露した。
「南京大虐殺をした日本人だから、何も知らない広島市民が原爆を投下されても、当たり前だとあなたがたは思えるか。チベットの、丸腰同然の平和主義の仏教者を銃殺する中国共産党軍に対してチベットの人たちは平和の解放者だと思えるか」
問題は人間性の根本にあるのであって、国家、民族、宗教、イデオロギーなど何ら関係のないものだということを、ルノーは熱意を込めて話した。
さすがに広島の被爆者の悲惨な姿を見た聴衆は、驚きの声を発した。
「完全なる善も無い、また完全なる悪もない。問題はひとりひとりの人間の良心が人を幸福にもできるし、不幸にもできる。そこには国家とか民族といった境界はない。悪いか善いかは個人の問題であると思います。いくら悲劇的犠牲を強いられても、それで国家や民族を憎んではならない。それは個人の罪であります。広島や長崎に原爆を落とした責任を、アメリカ国民に問うことは間違いです。それを指示した大統領の罪であり、実際に投下した人間の罪であります。中国と日本は長いつきあいのある国どうしであります。どうかお互いに理解し合うことの出来る関係を構築するため、過去の悲劇を責め合うことはやめましょう」
中国三千年の歴史の誇りが中華思想を生んだ彼らの反応に大きな変化が会場の中から起こった。
ルノーはその現象を見て済南に来て良かったと思った。



第四楽章 〜第七章 首相との対話〜



講演の後、徐家に戻る車の中で伯母が感激していた。
徐偉さんも
「中国人は、いつでも自分たちが一番だと思っている。しかし、その反面貧しさに劣等感を持っている。華僑は、そういった複雑な環境から生まれた人たちだ。ユダヤ人と共通した面を持っている。その複雑な中国人の心の中に君はずばり切り込んだ。
みんな講演の後、ショックを受けていたよ」
と言って誉めてくれた。
「わたしも、自分で自分がしゃべっていることが途中で意識できなくなるんです。何かに突き上げられてしゃべらされている感じがします」
とルノーが告白した。
「日本の戦国時代の英雄が、あなたに乗り移ったみたい。だって血が引き継がれているんだから」
と伯母が興奮して言うと、
「ひょっとしたら、秦の始皇帝の血も引き継いでいるかもしれないよ」
と徐偉さんが言った言葉がその後ルノーの耳から離れなかった。
翌日、済南から青島に汽車で行き、青島空港からクアラルンプールに向かった。
KL空港に着いて飛行機がゲートに向かう途中、エアーホステスがルノーのところに来てそっと囁いた。
「迎えの車がゲートの下に来ています。みなさんが全員降りられるまで席でお待ち下さい」
と言われて五人のArmyは警戒心を強めたがルノーは冷静に応対した。
「当局が監視するつもりではないでしょうか」
と一人のArmyが言ったがルノーは黙って目をつぶっていた。
全員が降りたら、今度はスーツ姿の三人のいかにも頑健そうな男性がやってきて
「首相が直々にお迎えに来られました。下の車の中でお待ちですので案内いたします」
と言ってルノーに促した。
ゲートの階段を降りると三台の黒塗りの車が停まっている。
真ん中のリムジンの車にルノーだけ乗せられた。
「いやあ、KLにようこそ。あなたに会うのを楽しみにしていました」
と握手を求められたのはまぎれもなく首相だった。
「Look East」
を表明してアジアはアジアの国々で独自路線を進むべきだと強調し、日本を学べと常々言って欧米諸国に堂々とした態度で臨んでいる。
「わたしのような若輩に過分のお言葉、光栄に思っていますが、どうしてわざわざこんなことまでして頂けるのでしょうか?」
とルノーは尋ねると、
「あなたの講演を何度も聞かせてもらいました。ぜひ当国でも講演して頂きたいと思って、実はわたしがご招待したのです。ところがどこから漏れたのか、あなたを狙うテログループがKLに入国したという情報が、昨日入ったのです。それでわたしが、直接出向かえに来たという訳です」
「まことに恐縮です。申し訳ございません」
とルノーは深々と頭を下げた。
「あなたは、世界に五〇億人いる有色人種の希望の星です。わたしの国で、もしかの事が起きたらわたしは、五〇億の人たちにお詫びしてもすむ問題ではありません。あなたの体に流れている、日本の昔の英雄の血を我が国で流すようなことは絶対にできません。
わたしも、『KAZUSA』を読ませて頂きました。本当に彼がもう十年長く生きていたら、我々の味わった悲劇もなかったと本当に思いました。その遺志をあなたは継いでおられるアジア諸国にとって大事な方です」
「もう、この体は自分ひとりの体ではなくなった」
とルノーは、自分の運命の流れがますます加速されていって、自分のまわりの景色がどんどん変化していくことに内心不安を感じたが、
「もう後戻りは出来ない」
と覚悟していた。



第四楽章 〜第八章 ガンジーの遺志〜



KLで厳重な警戒の下、ルノーは人種差別と特権階級制度の撲滅運動を世界レベルで展開していくことを宣言した。そして、力には力で対決することも辞さぬ覚悟であることを言明した。
この国は『目には目、歯には歯』の回教が国教だけに悪の力には、善の力で対決するルノーの決意を絶賛してくれた。
KL空港に首相が厳戒体制で送ってくれた。
「ルノー君、わたしの国は全員君の味方だということを忘れないで欲しい」
と別れ際に首相はルノーに激励の言葉を送った。
「ありがとう ございました」
とひとこと言って次のボンベイへの飛行機にルノーは乗った。
インドは中国に匹敵する大国だが、独立するまで三〇〇年以上イギリスの植民地として支配されてきた。
イギリスという国は、恐るべき貪欲で支配欲の強い国だ。おそらくアングロサクソンのルーツである海賊出身のノルマン人の血がそうさせるのだろう。
インドと中国、そして中東で当時世界の人口の五〇%近い二〇億の民族を、たかだか五〇〇万人の国が支配していたのだ。
イギリス人一人あたり四〇〇人の人間から搾取していたのだから、大英帝国もできるし、国民の蓄積も相当なものになっていたことは確かだ。
逆説的に考えれば、イギリス人一人あたりの食物で中国、インド、中東の人たちは四〇〇人で分けて食べてきたことになる。
これは、アメリカが日本に原爆を落とした罪に匹敵する大罪だろう。
そのアングロサクソンが、支配するイギリス・アメリカが人種差別の根源である。特にアフリカ黒人の奴隷化は、インドにも少なからず影を落としている。
インド人のルーツは、ヨーロッパ人と同じアーリア人である。しかし、その後南インドからスリランカにかけての褐色インディアンが人口の中心を占めてきたのが、今のインド人である。かつては同じ人種だったアーリア系のインドだったら、イギリスの支配は変わったものになっていただろう。褐色インディアンだったから人間扱いをしないで搾取したのである。
イギリスによるインド支配は結局、国家支配ではなくアーリア人による褐色インディアンの支配が原点にあることを見逃してはならない。
アメリカにおけるアングロサクソン中心の白人による、最初は現住民インディアンの支配、そしてそのインデイアンの数が少なかったため、アフリカから黒人を連れてきて牛馬の代わりに使った。
アメリカでは白人仲間でも差別意識がある。イタリア系アメリカ人、ドイツ系アメリカ人・・・・・・ラテン系アメリカ人と言われるがイギリス系アメリカ人という言葉はない。
結局、WASPという言葉ですべてをあらわしているように、白人社会はアングロサクソンによる社会ということである。
どのようにして、マイナーな数のアングロサクソンが圧倒的多数を占める有色人種及び他の白人たちの上に立つことが出来たのか。
それは、支配欲の強さが結局人種差別を生み、その強烈な強欲さが他の民族を圧倒したからだ。
動物でも、メラニン色素の少ない動物ほど狂暴である。要するに白っぽい動物ほど狂暴なのである。その狂暴さでアングロサクソンは他の人種を圧倒してきたのである。
インドに行って、ルノーはガンジーの採った無抵抗主義は、間違いであったと言明した。
その結果、インドは元々内向的人種だったのが、ますますその度を増し、カースト制度は守られ、インドの近代化を遅らせている原因になっていると講演した。
このカースト制度という階級制度を廃止しない限り、インドの二十一世紀はないとも断定した。
ルノーの講演はインド全域に是々非々の論議を生んだ。
「このままでは、インドは国がバラバラになるしかないだろう」
とArmyたちに言った。
Armyたちはアフリカ黒人だが、同じ黒人種で親近感を持っているだけに複雑な表情を見せた。



第四楽章 〜第九章 アラブとユダヤの切り札〜



中東紛争は、イスラエル建国によって住む地を失ったパレスチナ人とユダヤ人との過去二〇〇〇年の土地の権利をめぐっての争いだと言われている。
旧約聖書のモーゼによるヘブライ人(古代ユダヤ人)の出エジプトから、数十年の放浪の旅の末、やっとカナンの地を神から与えられた地として定住し、初めてのイスラエル国家をダビデによって建国されたのが三〇〇〇年前である。その時以来、この地は自分たちのものだと主張するユダヤ人と、紀元七〇年にローマ帝国に滅ぼされて以来、一九四八年にイスラエル国が建国されるまで、世界に分散して放浪生活をしていた間(いわゆるディアスポラ)、カナンの地に住みついた、アラブ系パレスチナ人との土地争いなのだが、もともと彼らは同じセム系人種で、アラブ人の回教も旧約聖書を元にモハメッドが書きしるしたコーランを、聖書とする人種的にも宗教的にも同類の人たちである。だからエルサレムは、ユダヤ教での聖地でもあり、モハマッドが昇天した回教の聖地でもある。回教のもう一つの聖地であるサウディアラビアのメッカはモハメッド生誕の地であるが、メッカにはいる経由地であるジェッダの町にはアダムとイブの伝説やイエスの伝説の地があちこちにある。
今でこそ、この両民族は骨肉の争いをしているが、もともと同系民族であり、中世のスペインでは共生していた仲である。
第一次中東戦争を戦ったイスラエルとナセル大統領時代のエジプトは、その後サダト大統領になってから、和平の道を選んだ。それ以来今日まで、幾多の障害に遭遇しながら和平の道に向かって努力している。
ルノーは、テヘランにいた三年間に何度か、カイロやアレキサンドリアに行ったことがある。九年ぶりにカイロ空港に降り立ったルノーは、以前と変らぬ光景に懐かしさを感じていた。そこへ九年前にアレキサンドリアで知合い、以後交友を続けていた友人が声をかけてきた。
「ルノー、ひさしぶりだ。TVなどで君の顔を見ていなかったら分からないぐらい変ったなぁ、俺も、もう三〇才になったんだからなぁ」
ルノーは、事前に彼に連絡をとっていたので空港に来てくれると思っていた。
「本当に、お互い変ったなぁ。君は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、カイロで一番の実業家になったんだろう」
と嬉しそうに肩を抱き合った。
彼がカイロ大学の学生だった頃、ルノーがアレキサンドリアの別荘クラブに家族と遊びに来ていたところで、ケンカをした相手だった。
自分よりも三才も年下の少年の、向こう意気の強さにあきれて、フランス人にもこんな奴がいるんだなぁと、感心して以来実の弟のようにルノーをかわいがった。
「今、カイロはイスラム原理主義のテロリストの巣くつになっている。彼らは、君のことを歓迎しているから心配ないと思うが、反対グループもいる。そいつらが、君をターゲットにしているという噂を聞いた。だからこんな装甲車のような車で迎えに来たよ」              
さすが、カイロ一の実業家の車だ。ベンツのリムジンの防弾ガラス付きで、バズーカ砲でもビクともしない装備をしている。
市内の一番の目抜き通りであるカスールニール通りに彼のオフィスがある。
この辺りは、官庁街でもあり、世界の航空会社のオフィスも集まる地区だ。
「さすが、この地区は昔と変らないな」
とルノーが言うと
「ドッキ、ザガジッグ地区が、今一番変貌しているよ。あの頃は、閑静な住宅地域だったのに、今は高層ビルが並んでいる」
「あの頃は、カイロタワーだけがそびえていたなぁ」
とルノーが懐かしそうに言うと、少し憂鬱な表情になって彼は言った。
「実は、昨日カイロタワーで爆発事故があったんだ。君の講演の場所にカイロタワーの前のゴルフ場を考えていたんだが中止した。ギザのピラミッドの前の広場も考えてみたが、まわりがすべて砂漠で、しかもギザの丘になっていてテロリストが潜むには格好の場所だ。だから、君も泊まったことのある、カイロ大学の正面の道に掛かっている橋を渡ったところにある地中海クラブにしたよ。あそこなら塀に囲まれているし、ガードマンもたくさんいるからね。カイロ大学の学生もすぐに来れるところだから。学生は君の講演を楽しみにしているよ」
ナイル川は、スーダンの首都のハルツームで、青ナイルと白ナイルが合流しカイロまで行き、カイロでまたアレキサンドリアとポートサイドのふたつの地中海に面する町へ分かれていく。カイロ、アエキサンドリア、ポートサイドの三点を結んだ三角州がいわゆるナイルデルタというところで農業、特にエジプト米の穀倉地帯である。
そのナイル川がカイロ市内で中州をつくっている。ドッキ、ザガジッグ地区というところだ。車はドッキにあるマリオットホテルに着いた。
「自分の家より、ホテルの方が安全だと思って自分の家のすぐそばのホテルにしたよ」
「悪いね、いろいろ気を遣わして」
とルノーが恐縮していると
「まぁ、腕白の弟のためだからね」
と笑いながら、
「チェックインしたら、荷物だけ部屋に置いてロビーに降りてきてくれ、待っているから」そっと言った。
五人のArmyがガードして部屋に入ったら、テーブルの上に白い封筒は置いてあった。彼からのメモで
「ホテルにチェックインした振りをして、自分の家に移ってくれ。Armyの人たちも。廊下の端にある非常階段の下に車で待っている」
と書いてあった。Army の連中にこのことを伝えて、荷物を抱えたまま非常階段を降りた。 
さっきの車が下で待機していた。
運転手がドァーを開けると彼は中で待っていた。
「ものすごい、警戒体制だね」
と笑いながらルノーは言うと
「君は今や、二〇〇〇年のアラブとユダヤの骨肉の争いにピリオドを打てる切り札だ。
それを望まない連中がいる。世界を支配してきた連中だ。アラブとユダヤが、骨肉の争いをすればするほど、懐が膨らむ彼らにとっては君ほど邪魔な人間はいない」
それを聞いてルノーは人間の愚かさと貪欲さに怒りを増幅させ、明日の講演に思いを馳せた。
翌日、ドッキの友人の家を車で出た一行は地中海クラブの門をくぐった。
ナイルの川のそばに、広大な敷地で塀に囲まれたクラブは、世界の地中海クラブの中でも有数の名門クラブで、アレキサンドリアの浜辺にある地中海クラブと並んで、エジプトの誇りだ。
広大な庭の前に、石づくりの建物が数棟建っており、宿泊設備の他にパーティー会場がある。
正面の建物の玄関に車を停めて、みんなが降りようとしたとき、爆発音が聞こえた。
「ホテルの方向から聞こえてきました」
と運転手が答えた。
「状況が分かるまで、車の中にいるように。フロントで聞いてくる」
と言って建物の中に入っていき、そしてすぐに戻ってきた。
「やはりマリオットホテルで爆発したらしいが詳しいことは分からないようだ」
Armyのひとりが
「現場に行ってきます。状況が判明したらフロントに電話します」
と言って玄関に停まっていたタクシーに乗って行った。
「とりあえず、中に入ろう」
とロビーに入っていったが、雰囲気がおかしい。
「本当に、ここでやるのかい?」
とルノーは友人に聞くと、
「実はここもダミーで使っただけだ」
と白状した。
「一体どこでやるんだい?」
ルノーはいらいらした。
「この川向こうにあるカイロ大学の大講堂に、すでにみんな、今か今かと君が来るのを待っている」
「それじゃ、すぐに行こう。待たせては申し訳ない」
とルノーは玄関を出ようとした、そのときフロントに電話がかかってきた。Armyからの電話だった。
「やはり、マリオットホテルの君の部屋が爆破されたそうだ。講演は中止したらどうだ」
と言われたルノーは友人に聞き返した。
「ここからカイロ大学までひとりで歩いて行く。何分ぐらいかかる?」
「何を言ってるんだ!自殺行為じゃないか」
と叫ぶ友人を尻目にルノーはどんどん離れていった。
門を出て左に曲がると、ナイルに掛かった橋が見える、この橋を渡るとカイロ大学の正面に出る。
後ろから車で追いかけて来た友人は、ルノーの前でドァーを開けた。
Armyたちもルノーを強引に押しこもうとするが、ルノーは乗ろうとしない。
「どうして、こそこそしなければならないんだ!何も悪いことをしていないのに。自分は堂々と歩いてみんなの前に行く」
と言ってカイロ大学に向かって行った。
仕方なく車でまわりを警戒しながらゆっくりとルノーの後をついていった。
「九年前に喧嘩したときのことを思いだすよ」とため息をつきながらArmyたちに言った。
「どうして喧嘩になったのですか?」
とArmyのひとりが訊ねた。
「自分は、カイロ大学に通っていたころで、カイロ大学は外国の留学生が物凄く多いんだ。アラビア語には、ふたつの系統があって、ひとつはシリアのダマスカス大学で教えるアラビア語だ。そしてもうひとつがカイロ大学で教えるアラビア語だ。だからヨーロッパからの留学生が多い。エジプト人でカイロ大学に入るのは、上流社会の人間だけだ。ホテルでフロント係の女性やコーヒーショップのウェートレスの女性もみんな上流社会のカイロ大学生なんだ。彼等の間で恋愛トラブルが頻繁に起きる。エジプトの道徳観を知らないで、イージーな気持ちで恋愛関係を持つ。そんなヨーロッパの連中に反感を持っていたから、ルノーの妹の、たしかナタリーとかいった子だったが、まだ十五才ぐらいだったと思うがちょっとからかったんだ、アレキサンドリアの浜辺で。そうしたら彼が、突然殴ってきた。そしてお互い血だらけになるぐらい殴り合ったら、ふたりとも疲れ果て浜辺で気を失ってしまった。覚めたらふたりで自分を介抱してくれていた。そして三人で夜の浜辺で語り合った、お互いの国の文化のことを。その時と彼はまったく変っていない。自分はだいぶん変ってしまったが」
Armyのひとりが言った。
「カイロ大学に入って行かれましたよ」
ルノーは、大講堂に向かって行った。
ルノーを待っていた学生たちが、ルノーの姿を見つけて歓声をあげている。
「エジプトが独立する前の宗主国は、フランスでした。わたしは、そのフランス人であることをこれほど恥じたことは、今までありません。宗主国なんて言葉があるだけでもおぞましい気持ちです。・・・・」
ルノーの話しが終わると、大学生たちは黙って起立した。
どうしていいのか分からなかったルノーは、演壇を降りて学生たちのところに歩み寄って、ひとりひとりの顔を見ながら、彼等の思いを肌で感じようとした。
ルノーが、歩み寄って顔を見ると、みんな目に涙をうかべている。
ひとりひとりの学生の肩に手をおくだけで、心が通じあった気持ちがする。
その情景をみていた友人とArmyたちは『勇気』というものの大事さを感じていた。



第四楽章 〜第十章 両親との再会〜



カイロ大学での講演の後、マリオットホテルのルノーの部屋が爆破されたことを知った学生たちは、ルノーを守ろうという歓声で、全員が一列に並んで、ルノーの乗っている車だけが通れる約五キロのドッキの家までの人間道路をつくってくれた。
家に着くとルノーは、急に思いついたように明日パリに向かうと言い出した。
しかもArmyも要らない、ひとりで行くと言うのだ。
今日の爆破事件から人が変わったようで、何か思いつめているようだった。
カイロからパリまで三時間のフライトである。
どうしても午前中にパリに着きたいと言うので午前六時三〇分のフライトをとって、まだ夜が明けない朝の四時にドッキの家を出た。
「みんなには、本当にお世話になりました。わたしが、一番若輩であるにもかかわらず、わがままばかり言って申し訳ありませんでした。Armyの方たちには、どれだけ助けて頂いたか、もしわたし一人だったら命がいくらあっても足りませんでした。しかし、これからは自分のことは自分で守ります。それでないと、昨日のホテルのようなことが、また起きて他の人たちに迷惑をかけることになります。良く考えれば、わたしには強いボディーガードがいました。だから心配しないで下さい」
車の中でルノーはみんなに感謝の意を表した。
そして六時三〇分のMISUR AIRでパリに発った。
九時三〇分にドゴール空港に着いて、そのままレンタカーを借りて、両親の住む家に七年ぶりに向かった。
高速道路の両側の景色が懐かしい。
ナタリーとフランクフルトに行った時のこと、パリのホテルの一室で泊まったこと、マイン川にかかる橋の上で、家出したナタリーと会った時のこと。
「もうあれから七年経ったのだ。両親は元気でいてくれれば良いが」
いろいろなことが走馬灯のように浮かんでは消える。
ふと時間を見るともう昼の一時を過ぎている。
「もうあと一時間ぐらいだ」
両親に会えると思うと、急に子供心に戻っている自分に気がついた。
高速道路を出ると、隣村で知り合いの夫婦がやっているレストランが見えた。
「あそこに、ナタリーと一緒にアイスワインを持って行った時に、ご馳走になったオムレツがおいしかったなぁ」
とあの頃のことを思い出すと、今置かれている自分の状況に愕然とした。
「自分で選んだ道だから誰にも言えないが、もしあの頃に戻れるなら・・・とつい思ってしまう。人間なんてどんなに強がっても、心の中ではみんな臆病なものだ」
なつかしい屋根が見えてきた。その下で母が立っていた。
急にどうしようもないほど涙が出てくる。
母も自分が泣いていることに気づいたのか、背中を見せた。
ルノーは、必死に涙を腕で拭き、平静さをとり戻そうと車を止めた。
何とか涙を止めて、車を家の前につけた。
まだ母は背中を見せていたが、
「お母さん、今帰ったよ」
とルノーから声をかけると、
こちらを向いた母の顔は涙であふれていた。
母の肩を抱き抱えながら家に入ると、父がダイニングテーブルの椅子に座っていて、
「エジプトに行ってきたんだって。何か爆破事件があったとニュースで言っていたが無事でよかった。よく帰ってきてくれた」
と事情は分かっているのに平静にしゃべっている父に人間としての大きさを感じた。
チャンピオンが言っていた
「暴力はいけない」
という言葉を思いだした。
「最後に人を動かす力は人間の優しさだ、それが愛の力だ」
と確信した。
しばらく何も考えないで、ぼっとしたかった。
両親もあえて何も聞かずに、普段の生活スタイルで接してくれた。
一週間、こういった状態でいたがルノーからナタリーの話しを始めると、
母はナタリーの近況はほとんど把握していただけに、ルノーからの話しを聞いて
「この子はナタリーのことをほとんど知らない」
と思うと、
今のルノーに、これ以上のストレスを与えることは残酷だと感じた母は、何も知らない振りをしてルノーの話しを聞いていた。
「どうしてナタリーは急にアメリカに行ったの?」
と聞かれて、ルノーはあの時の状況を話そうと思ったが、弁解していると母に思われたくなかったし、あの女子学生のことを考えて返事をしなかった。
「ルノーは日本で好きな人でもできたの?」
と聞かれて
「いえ、そんな気持ちを持った女性はひとりもいませんでした」
ときっぱり答えた。
「やはり、ナタリーの誤解だったんだわ」
と内心、母は確信したがナタリーからあの時聞いたことはルノーには言わなかった。
あの日、自由ヶ丘の家に帰ってナタリーはすぐに母に電話をして事情を話した。
「もし、仮にルノーがその女性のことを好きだったとしても、ナタリー、あなたは妹よ。兄と妹が結婚なんか出来る訳ないでしょう」と言う母に
「そんなことは分かっているわ、だけどルノー以外の男性と結婚するなんて考えられない。だから一生わたしは結婚しないで、ルノーの妹で一生通すつもりだった。それなのに・・・」
「ナタリー、あなたはそれでいいかもしれないけれど、ルノーにも一生結婚して欲しくないって強制できないわよ」
と言う母に
「だからルノーから離れてアメリカに行くわ」
と言うナタリーにこれ以上反対は出来なかった。
「だけど、ルノーももう二七才でしょう。ひとりぐらい好きな人がいないと」
と母が言うと
「僕は一生結婚しません。これだけははっきり言っておきます」
「どうしてまだ二七才なのにそんなふうに断言するの?」
と母がつっこんで聞くと、
「僕はお母さんも、お父さんも、ナタリーも肉体的には肉親でしょうが、魂はまったく他人だと思います。魂の通わない愛は、信じることは出来ません。必ず破滅すると思います。
そして、破滅した後のふたりが肉体的に一緒にいることは醜いことだと思います。僕は不滅の愛しか本当の愛だとは思いません」
こんなことを言うルノーを初めて見た母はルノーの気持ちをはっきり知った。
「このままでは、大変なことになる」
と母は思うと
「女というのは、どうして目先の現実しか見えない、悲しい、愚かな人間なのだろう」
とこれから悲劇の幕が切っておろされるであろうことに絶望するしかなかった。



第四楽章 〜第十一章 LAの空〜



心身の疲れも両親のケアで、気力が回復してきたルノーは、また講演の旅に出る気持ちになってきた。
日本の先生やチャンピオンも、心配して電話してきたが、ルノーはほとんど回復していたので、また講演の旅に出ることに反対はしなかったが、Army は一〇人に増やすと言ってきた。
ルノーもあえて拒否はしなかった。
「ところで次の講演は、どこの国でやるのかい?」
とチャンピオンに聞かれてルノーは
「サンフランシスコでやるつもりだ。スタンフォード大学なんかどうだろう?」
と言ったルノーにチャンピオンも賛成してくれた。
「明日にはパリからUAのサンフランシスコ便に乗るつもりだ」
「じゃあ、SFの空港に一〇人のArmyを迎えに行かせるよう手配しておく」
とチャンピオンは言って電話を切った。
翌朝、両親が見送ってくれたが、お互いほとんど言葉は交わさなかった。
ルノーの車が見えなくなるまで、両親は黙って見ていた。
それから二日後に、ある電話がかかってくるまで、ふたりは言葉をひとことも交わさなかった。
ドゴール空港に着いたルノーは、パリからアメリカへの便がLA行きしかなかったのでとりあえずLAまで行くことにした。
パリからLAまで十三時間のフライトの間ルノーはほとんど眠っていた。
何度も夢を見た、しかもずっとナタリーの夢だった。
LA空港に着くと、テヘランに電話して明後日テヘラン空港の革命広場で講演することを伝え、そして誰にも連絡せずに、レンタカーを借りてパサデナに向かった。
空港から四〇五号線に乗り、そこから一〇号線に入って、パサデナの出口まで約一時間かかったが、その間ルノーの胸は高鳴り続けた。
ナタリーの住んでいるコンドミニアムに着いたルノーは、セキュリティーのオフィスに行って、ナタリーの兄だというIDを見せてホールに入れてもらい
エレベーターに乗って、ナタリーの住んでいる五階のホールに降りた。
ナタリーの部屋は一番奥にあった。
手を震わせながらドァーのブザーを押した。
開けられたドァーの前に若い青年が立っていた。ルノーは部屋を間違ったのかと思ったが、
「ナタリーのお家でしょうか?」
と聞いてみた。
「そうですが」
と言った青年の顔色が変わった。
「兄のルノーですが、ナタリーはいますか?」
と聞きながら、胸から心臓がとび出しそうになってその場に倒れそうになったとき、奥からナタリーの声が聞こえた。
「誰が来たの?」
そして、バスローブ姿のナタリーがルノーの前に現れた。
ルノーの顔を見たナタリーは顔面蒼白になった。
「やあ、元気そうだね、女優になったらしいね。サンフランシスコのスタンフォード大学で講演するために、パリからやってきた。お父さんとお母さんに会ってきた。元気でいたから安心していいよ」
淡々としゃべるルノーの話しが、ナタリーにはほとんど聞こえていない、何を言っていいか分からない程混乱していた。
「じゃあ、もう行くよ」
と言ってルノーはエレベーターの方へ歩いて行った。
「ルノー、ちょっと待って!サンフランシスコの後は?」
と必死に声を絞り出した。
「これは内緒だが、サンフランシスコに行くのは取りやめてテヘランに行く。明後日にテヘラン空港の革命広場で講演する。じゃあ、
ああ、そうそう、ローテンブルグで君と一緒にかわいい家に住んで、アイスワインを造りかったね、それが僕の夢だった」
と言ってエレベーターに乗った。
エレベーターまで追いかけてきたが、ドァーが半分閉まりかけていた間から見えたルノーの表情は、今まで見たこともない、まるで死人のようだった。
呆然と部屋に戻ると、青年が電話をかけていてびっくりした様子で、すぐに受話器を降ろした。
その電話をとって、日本の先生に電話をした。
「ルノーがさっきここに来ました。わたしのこと、何も聞かされてないようでした」
ナタリーの話しを聞いて先生は、受話器をはなして誰かに替わった。
「もしもし、ナタリーさん。わたしです」
声ですぐ誰なのか分かった。
「あの時のことは、あなたの誤解です。三人の賊がルノー先生の部屋に忍び込んでいたところを出くわしてあんなことになったんです。それよりも大切なことは、わたしはルノー先生のこと好きです。しかし、ルノー先生にとってナタリーさんがすべてです。だけどルノー先生は、自分の立場がますます危険な状態になっていく中、あなたが、女優になってルノー先生の妹さんということが世間に知れてしまった。あなたを危険にさらすことは、絶対に避けたいと言ってあなたに連絡を取られなかったのです。あなたに恋人が出来たことは、みんな知っていましたが、そんなこと誰も、ルノー先生に言えることは出来なかったのです」
もうこれ以上ナタリーは聞くに耐えられなかった。
「悪いけど、独りにして」
と言って青年を部屋から出し、
そして、両親の家に電話をすると、母が出てきた。事情を言いながらナタリーは号泣した。
母が、心配していた最悪の状態になったと思いナタリーにこう言った。
「男の方が女よりも誠実よ」
「これから起こることは、すべて女の性(さが)が原因だということをよく分かって受けとめなさい」
と言って電話を切った。
ナタリーは、母の言ったことを理解しかねていたが、二日後にその意味を思い知らされることになるのだった。
ナタリーは、ベランダから空を見上げた。真っ青な空だった。
ルノーは、テヘラン行きの便の空からLAを見下していた。



第四楽章 〜第十二章 革命広場〜



ルノーは、誰にも言わずにテヘランで講演をすることにした。
苦境や困難な状況に落ちると、祖先の日本の戦国の英雄ならどうしただろうと考えた。 
テヘランに三年住んでいたこともあったからだが、あのイラン革命の時のメーラバード空港の前の広場に、一〇〇万人の人が集まり、当時の国王を追放した情景が自分の将来の姿とラップすることが、理由は分からないがよくあった。
以前から、テヘランの友人たちに講演に来て欲しいと頼まれていたこともあった。
イランという国は不思議な国だ。昔はペルシャと言われ、ペルシャ商人は有名だ。
ユダヤ商人とペルシャ商人が、シルクロードを往来して東西の交流に寄与していた。
宗教もルーツはユダヤ教よりも、古いといわれるゾロアスター教の生まれた国で、
奈良の正倉院には、ペルシャ文化の遺産がいっぱいある。それぐらい日本とは古代から交流のあった国である。
テヘランのバザールジュメール通りの周辺は、日本的雰囲気がある。
メーラバード空港に夕方に着いたら、友人たちが迎えに来てくれていた。
ナタリーから聞いた先生が、チャンピオンにルノーがシスコでの講演をキャンセルしてテヘランに向かったことを伝えて、すぐにArmyを手配した。
そしてどこから聞きつけたのかマスコミもテヘランに集結していた。
「明日午後六時から革命広場で君の講演をするよう準備した。多分革命の時と同じ一〇〇万人の観衆が集まるし、世界中に放送される。すばらしい講演を期待している」
と友人から言われたルノーは、この講演会が自分の一生で最高の晴舞台になりそうな気がした。
思い出してみれば、あの山の辺の道の展望台で『こうえん、こうえん』という囁きがあり、『歴史の真実』という本と出会い、原爆を落とした大統領の傲慢な演説を知り、ヒットラーが国家間の同盟よりも、人種差別意識の方を重視していた事実を知ったのは、すべて戦国の英雄が導いてくれていたものだと確信した。
いよいよその時がやってきた。革命広場に設営された舞台の演壇にルノーは立った。
「一〇〇万人の集団とはこんなすごいものか」
と思った。
世界中のテレビ局が、放送するためカメラを並べる中、彼の講演が始まった。
世界の人々が、今までのルノーと違っていることをテレビの画面から感じていた。
「十九世紀から二十世紀の二〇〇年は、イギリスとアメリカのアングロサクソンが、世界を支配した世紀でした。その中で、彼等に堂々と戦いを挑んだ有色人種国は、極めて少なかった。彼等が、みすみす負ける戦いを挑んだのは、正義とは何かの道理を通すためでした。世界大戦は、正義の戦いではありません。彼等白人種の縄張り争いが、原因でしたが、最後に悪人のスケープゴートにされて人類最大の罪と言える原爆を落とされたのが日本です。その後の冷戦においても、彼等の本当のターゲットはソ連ではなく中国であり、その隣国の日本だったのです。
あなた方の国が、二五年前にこの革命広場で、彼等に迎合した当時の国王を追放して以来、貴国に対する彼等のやり口は、まさに太平洋戦争に突入せざるを得ないように仕向けた彼等の手口です。
貴国と同じ宗教であった隣国が貴国に戦争を仕掛けたのも、背景に白人種の縄張り争いが潜んでいたと思われないでしょうか。
その後、貴国もその隣国も、北アフリカの大佐率いる国も極悪国と彼等の手先のマスコミに命令して、世界に発信させています。
過去の歴史を振り返ってみると、有色人種で白人種に抵抗する国家は貴国であり、貴国の隣国であり、北アフリカの大佐率いる国であり、アジアでは日本、中国、そして最近では『Look East』を提言している国ぐらいであります。何度か彼等のバッシングにあい、時には迎合する時期もありましたが、抵抗するという勇気を持っていました。
残念ながら、その他の有色人種国は完全に最初から負け犬でした。
今、貴国も彼等のバッシングに遭い、経済は疲弊しています。彼等に抵抗したこれらの国の経済は、すべて疲弊しています。日本もそうです。だが残念なのはその日本の一部特権階級の欲のために、また彼等に迎合しています。国家間で迎合政策をとる輩を売国奴というのです。そういう点で日本は、売国奴の巣窟に成り果てています。
わたしは昔三年間、この国で住んでいました。そして革命後の貴国の姿勢に感銘をおぼえました。できれば、隣国と握手して欲しいと願っています。回教は、世界で誤解されています。白人種の信ずるキリスト教の狂信的な排他性に比べ、回教は他の宗教に寛大であることを、世界の人たちは知りません。
二十一世紀を、これまでの世界観を根本的に見直す世紀にしようではありませんか」
講演が始まって三〇分ぐらい経ったとき一人の十代の青年が舞台の上に突然あがり、手には竹槍を持ってルノーめがけて走っていった。一瞬の出来事でArmyも対応する間もなかった。
「きゃー」
という悲鳴の声が、世界中に伝わったその直後、テレビの画面にルノーの腹に突きささった竹槍を持った青年が取り押さえられていたが、ルノーの腹には竹槍がささったままだった。まわりの者がルノーを抱えようとしたがそれをはらいのけ、下半身血だらけになりながらもルノーは講演を続けた。
「みなさん、この国はこういったアクシデントが起こる国です。多分こうなるだろうとわたしは、分かっていました。だからここにやってきたのです。日本という国もこの国とよく似た国です。わたしは自分一人の命で、この光景を見ている多くの人たちの脳裏に人間の愚かさを焼きつけることが出来るならば、喜んでこの命を差しあげようと思いました。
多分わたしの命は、あと一時間も持たないでしょう。ここにいるみなさん、そして、世界中のみなさん、人の命の荘厳さを良く見ていて下さい。特に人種差別意識や自分さえよければと思っている特権階級に執着している人たちに、人の命の大切さを訴えたい。
わたしの肉体から刻一刻と生命エネルギーが消えていっています。しかしわたしはこうやってみなさんに訴えている。その思いは決して消えていっていません。それが大切な人の命です。その人の命を物のように扱っている限り人類の悲劇はなくなりません。
このわたしの命を奪った人は、分かっています。その人たちに言いたい。あなたがたにとってはわたしの命は、たかが蟻のように思っているでしょう。だが蟻の命とあなたがたの大事な人たちの命と、どれだけの価値の差があるのか。今わたしは、身をもって命の荘厳さをみなさんに披露出来ることを、無上の悦びと感じています」
ルノーの顔から完全に血の気がなくなった。まわりの者はこれ以上続けさせたら命は尽きると思ったが、まだルノーは続けた。
テレビを見ていたナタリーは
「ルノー、ごめんなさい。わたしがあなたの命を奪ってしまった。わたしにあなたを裏切らせたあの男が、あなたを売ったの。お母さんはこのことをわたしに言いたかったのね」
と泣き叫んだ。
家でテレビを見ていた母は父に向かって
「お父さんも、この前ルノーが帰ってきたときから、こうなることは分かっていたでしょう」
と言った。父はただ黙って
「ナタリーがかわいそうだ」
と言った。
「世界のみなさん、人のために命を投げ出すことが出来る程、しあわせなことはありません」
とルノーは最後の力を振り絞って言った。意識が薄れて、真暗闇の中に吸い込まれていく中で一点の光が射し込んだ。
『勇気』こそが、人間最大の価値あるものだとということを教えてくれた戦国の英雄が、その一点の光の中で彼の好んだ舞を踊りながらルノーに言った。
「おまえも、自分の死に場所を見つけたのう、そこまでじゃ。その青年を怨むでないぞ」
意識が消えていく中で最後にルノーは
「ナタリー、さようなら」
と言って微笑んだ。
その最後の声が世界に伝わった。



第四楽章 〜最終章 サンタモニカに消える(完)〜



ナタリーが、パサデナの家から消えた。
家の中のテーブルの上に一枚の便せんが置いてあった。
そこには、ナタリーの恋人だった男が脅されてルノーの現れたこと、テヘランで講演することを、脅していたグループに連絡をしていたことが書いてあった。
そのことを知ったナタリーは
「男の方が女より誠実よ」
「これから起こることは、すべて女の性(さが)が原因だということをよく分かって受けとめなさい」
と母が自分に言ったことの意味を初めて知った。
Armyの連中からナタリーに似た女性が、サンタモニカの砂浜をさまよっているように歩いていたという情報を得て、探しに行ったが、もうそこには誰もいなかった。
それから一ヶ月後サンタモニカの浜辺に一着の女性の服が漂着していた。
それは七年前にルノーと一緒にボートに乗って池に放り出されたときに、ナタリーが着ていた服だったが、誰も知る由もなかった。

−完−