小説 ルノーの妹

若いふたりの兄妹が母の生い立ちを知って
悩み苦しみながら人間社会の不条理に敢然と立ち向かい
そして 兄妹を越えた真実の愛を感じながらも
はかなく散っていく 哀しくも 美しい 愛の物語
(あらすじ)
フランスの郊外に、両親の深い愛情に包まれ育ったルノーとナタリーが、両親の駆け落ち結婚の原因が母の生い立ちにあり、それがナチスドイツのユダヤ人大虐殺と関わりがあったことを知った兄妹。
フランス ドイツ オーストリア オランダと真相を求めて行く中で、思わぬ事実に出くわし 何百年という世界の歴史の渦の中に巻き込まれていくふたりが辿りついた日本。
その日本で、人間社会の不条理を知って敢然と立ち向かっていくルノー、そしてそのルノーを支えるナタリーに襲ってくる容赦ない運命の結末。




第一楽章  第二楽章  第三楽章  第四楽章

第三楽章 ヴィヴァーチェ(二つの旋律の頂点)
第三楽章 〜第一章 はじめての講義〜 第三楽章 〜第十一章 千人の勇士〜
第三楽章 〜第二章 面接〜 第三楽章 〜第十二章 地球人連合〜
第三楽章 〜第三章 再び京都へ〜 第三楽章 〜第十三章 ナタリーの悲しみ〜
第三楽章 〜第四章 老人との再会〜
第三楽章 〜第五章 法隆寺の出来事〜
第三楽章 〜第六章 英雄の遺志〜
第三楽章 〜第七章 現代の比叡山〜
第三楽章 〜第八章 選ばれたる人たち〜
第三楽章 〜第九章 歴史の真実〜
第三楽章 〜第十章 立川基地〜


第三楽章 〜第一章 はじめての講義〜



ナタリーが国際学部の卒業試験を首席で通過した。
大学院への奨学金が、首席卒業者には自動的に認められたが、ナタリーはそれを次席の苦学生の男子生徒に譲った。
自分は大学院には行かないで、これからはルノーの支え役をしなければならない。
その為には、社会人になった方がいいと思ったからだ。
ルノーの、大学の英文学部の教授秘書として就職した。それならルノーといつも近くにいて何かと面倒を見ることが出来る。英文学部の教授もそのことは承知の上で採用した。
ルノーに対して大学ごと、応援するかのようにナタリーは思えた。
やはり、創設者が政治家ではなく経済を重視した人だけあって、独立自尊の座右の銘が大学全体に浸透しているのだ。
「本当に、独立自尊の精神が一五〇年経っても息づいている良い大学だわ」
とナタリーはつくづく思った。
ルノーも情報工学の大学院を卒業して、そして予定通り、文学部の世界史学科に助手として迎えられた。
情報工学のマスターコースの二年目から、世界史の教授室にも顔を出すようになり、先生の直接の薫陶を受けていた。
ルノーの部屋とナタリーのいる部屋とは、同じ建物にあったし、英文学部の教授と先生とは大学で同級生だったから、ルノーやナタリーのことを前からよく知っていた。
「日本も帝国大学を廃止した方がいい時期が必ずやって来る」
と先生が前から言っていて、その意見に英文学部の教授も賛成していた。
『独立自尊』の精神が学問にも必要で、貧しい国で適用される、国がお抱えでの教育には限界があり、結果、特権階級意識をつくる弊害が顕著に顕れていた。
そういった環境で育った青年はどうしても若いころから保守的になる。
常に寄らば大樹の陰に埋没してしまう。守りの体勢にはいいが、自己完結能力が要求される自由競争の時代にはまったく適応能力がない。
その点、この大学には一五〇年の独立自尊精神が今でも綿々と引き継がれている。
ルノーの『カズサの会』に、学校としても全面バックアップするつもりだ。
ルノーを絶対に犬死にさせてはならない、という決意が現れていた。
ナタリーはこの話しを聞いて、今まで見てきたいろいろな大学には絶対ないものをこの大学は持っていると思った。
だから、奨学金をあえて辞退してもこの大学で仕事をしてみたくなったのも、もう一つの動機だった。
「ナタリーです。これからお世話になります。どうかよろしくおねがいします」
と初出勤の日、研究室の教授や他の人たちに挨拶した時も、みんな大歓迎してくれ、その場にルノーと先生も来てくれていた。
ナタリーはますますこの大学が気に入った。
ヨーロッパ中世史の助手として初めての講義が今日、大教室である。
二〇〇人は収容できる大きさだ。
専門課程に入った文学部の世界史学科の三年生が選択科目として取る講義だ。
一〇〇分の講義が、毎週水曜日の午前十時からある。
初めての日、まわりの心配をよそにルノーはいたって平然としていた。
外国人の講師はたくさんいたが、二五才の若さで教壇に立つのは大学始まって以来である。
三年生だと二一才になっているから、ほとんど同じ世代の人間に講義する。
しかし、ルノーにはそれが希望だったのだ。
教える側と教えられる側という壁を、はなから考えていない。
なんと言っても、今までの歴史を覆す作業を一緒にやろうという試みだと思っていたから、同じ仲間とディスカッションするような気分でいた。
十時前に教壇のそばの入り口から大教室に入った。
二〇〇人収容できるのに、講義を聞きに来ているのは五〇人いるか、いないか程度だった。
専門課程での選択科目の講義は学生から軽視されているから、ほとんどの学生が欠席する。
ヨーロッパ中世史を選択した学生が二〇〇人近くいたから大教室にしたのだが、教室の中は閑散としていた。
最初ルノーもかなりショックを受けたが、結局五三人の学生が自分の講義を聞きにきてくれた。そしてそれだけでも、ありがたいと思い直した。
その気持ちの切り替えが結果的にはよかった。
「今日から、ヨーロッパ中世史の講義をすることになりましたルノーと申します。これからの一年間、暗黒の中世といわれたヨーロッパの中世を、まったく新しい角度からメスをいれていく作業を、みなさんと一緒にしてゆきたいと思います。
これは、わたしからの一方通行の講義ではなく、みなさんと一緒に歴史の裏に隠れた真実を解明していく作業だと思って下さい。
従って、テストと言ったものはありません。
いわば研究室で共同研究するようなものです。
今日から、今まで事実だと教えられてきた公の歴史をわたしの持っている限りの知識で、解剖してみたいと思います。
みなさんも歴史の改竄という過去の勝利者が犯した罪をこれから一緒に糾弾してみたいと思った人は次回も必ずここに来られるでしょう。
わたしはヨーロッパの人間です。
しかし、ヨーロッパ諸国が中世から近代にかけて世界の国にやってきた極悪非道は糾弾されなければなりません。
だが、今でも彼らが世界をリードしているため、誰も糾弾できずにいる。
わたしは、これに挑戦したいと思っています。
わたしといっしょにこのチャレンジに参加したいと思う人たちだけ出席して下さい」
と最初の挨拶代わりに話した。
そして翌週、二回目の講義のために大教室に入ると、何と机が全部学生で埋め尽くされているではないか。
ルノーは、今日は前回よりももっと減るだろうと思っていただけに、その光景に我が目を疑った。
彼の講義は、またたく間に学部中の学生の話題となった。
毎週、水曜日の朝はいつもより学舎はざわざわした雰囲気があった。
ルノーの講義を聞きたいと思う他の学科や学部の学生まで来るから、二〇〇人収容できる大教室がいっぱいになって入れなくなるくらいになった。
こうなると、噂が噂を呼んでいく。
ルノーもまさかここまで話題になるとは予想していなかった。
今日は五回目の講義の日だ。
十時前に大教室に入ると、学生であふれている。
ルノーが教壇に立つと拍手が起きた。
「みなさん、静かによく聞いて下さい。わたしはテレビ番組に、タレント顔負けの才能を発揮して出ている今流行の人気教授を目指しているのではありません。
地道に隠された歴史の真実を解明したいと思っているだけです。
歴史は、今風に言えば過去情報データベースです。
みなさんは日頃自分が使っておられるコンピュータのデータベースがリアルだと思っているでしょう。しかしそのデータベースが真っ赤な嘘だと分かったらどうされますか。
屑かごに捨てられますね。そんなデータを使っていたら、どんどんミスの上塗りになって、最後には取り返しのつかないことになるからです。
歴史という過去情報を蓄積したデータベースをもとに、現代社会は運営されています。  それはいろいろなところで、みなさんが気づかない内にそのデータベースを利用して生きているのです。
人間工学的観点から言いますと、人間が何か活動を起こす時、その動機の最も多い要因は過去の経験です。すなわち過去情報です。
みなさんが日常いろいろ活動・行動されていることのほとんどは過去もしくは未来に焦点があてられたものです。そして情報をもとにする場合は、すべてそれは過去情報です。 すなわちあなたの歴史です。
その歴史が嘘で塗りつくされていれば、当然日々の活動・行動は間違ったものになっていきます。
人間以外の動物の活動はすべて遺伝子情報に基づいています。この遺伝子情報は一〇〇%客観的事実です。
人間も動物ですから遺伝子情報があって、最終的にはこの遺伝子情報にコントロールされて活動しますが、普段の活動の場合はこの遺伝子情報からの命令の前に自己意識というものが強く働きかけ、それが活動の基準になっています。
その自己意識に強い影響を与えるのが過去情報データベースすなわち歴史なのです。
過去の歴史の中でも二〇世紀が人間社会にとってもっとも大きな悲劇をたくさん生みました。これらの悲劇の原因はどこにあったと思いますか。
わたしは真実を伝えていない歴史が、おたがい人間同士の間に誤解をつくり、その誤解が悲劇の引きがねになったと断言できると思っています。
みなさんも友人とけんかすることがあるでしょう。その原因はほとんど相互理解の欠如からくるものです。
国家間の相互理解ができないと戦争になるのです。
そのことによって、どれだけの人々が悲劇に遭ったかを考えると、わたしは過去の歴史をすべて見直すことが、二一世紀にふたたび大きな悲劇を起こさないための一番の急務だと思っています。
このことを理解してくれる人たちの集まりが、この講義であって欲しい。
流行ものとしかとらえていない人たちは、ここにこられても時間の無駄ですから、どうか退場して下さい」
ルノーは最後のところを強い口調で言った。
かなりの学生が退場してゆくだろうと思ったが、座っていた学生が立っていた学生を促して席をつくりだした、そして全員が席につくのを確かめてから、一人の学生が立って
「先生、講義をはじめて下さい」
と言った。
胸に強くこみあげるものをルノーは感じた。



第三楽章 〜第二章 面接〜



ルノーの講義が始まって半年が経った。
週一回の講義だから、半年と言ってもまだ今日が25回目だった。
ルノーの講義は中世ヨーロッパの近代化への過程を中心にした次のようなものだ。
ヨーロッパのルネッサンス前後を皮切りに、近代へと移っていった各国が、それぞれの事情を抱えながら、帝国主義覇権競争へと駆りたてられて行く背景にあるキリスト教の存在に、焦点を絞ったものだった。
ルネッサンスと産業革命のはなやかさの間で、目立たない存在だった宗教改革に、実はヨーロッパ諸国の近代化への中継点となった、帝国主義植民地政策の原点があったというのがルノーの主張だ。
その背景はやはりローマ帝国への郷愁であり、最後の東ローマ帝国を、回教徒のオスマントルコに滅亡させられたキリスト教徒の反発が、そのエネルギーの源であると看破していた。
ローマ帝国は、主にラテン系白人によって始まったものだが、その頃まだ未開の遅れた民族であったゲルマンが、聖母マリアの出身地であったガリラヤ人を祖先にするところから、キリスト教の源流は我がゲルマンにある
とルターが宣言し、プロテスタンティズムが生まれた。
そのことがその後のヨーロッパを近代社会まで走らせ、二〇世紀のアングロサクソンを中心とした、先進ヨーロッパ諸国対ゲルマンの構図が二度の世界大戦を生んだ。
このことを見逃して、各世紀に起きた出来事の背景にある真実の姿を見出すことは出来ない。
このヨーロッパ各国の宗教をベースにした確執が、帝国主義を生み、植民地政策へと駆り立てられ、世界の国の犠牲を強いる結果となったのである。
これはあきらかに宗教戦争であり、宗教上の軋轢であり、宗教上の覇権争いに他ならない。
世界で宗教戦争なくして、近代化を実現できたのは唯一日本だけであり、その礎をつくったのが他ならぬ戦国の英雄であり、ルノーの祖先でもある上総介という武将だ。
その武将がヨーロッパにおいても同じ展開をしていたら、世界はまったく、現代の形とは違ったものになっていただろう。
少なくとも、二〇世紀に起きたような悲劇は起こらなかったであろう。
・・・・・・・。
ルノーの主張はこの一点に絞られていた。
二五回目の講義でこの点を明らかにすると、
「先生、カズサの会はいつ発足するのですか」
と一人の学生から質問が出た。
「本来なら、今が上期の、終わりのテストの時期です。テストはやらないと言いました。だから、テストの代りに面接をやります。その結果で会の発足を決めます。
そして面接は今からやります。受ける、受けないは各自の自由です。そして単位の合否も面接とは関係ありません」
とルノーは突然面接をすることを発表した。
念願のカズサの会が、ルノーがこの会をつくろうと思ってから二年余りで予定通り発足しようとしていた。
最初の会員は二五名だった。
二五〇名の学生が面接を受けたが、やはり真意を理解しているのは一割ぐらいだ。
一割いただけでも良かったとルノーは思った。普通だったら一〜二%が、せいぜいだろうと彼の学んだ統計学から予想していただけに、一割いたことはすごいことだと思った。
彼の面接は、彼が選ぶのではなく、よく話しをしてルノーの真意を理解していることはもちろんだが、ルノーも相手が何を思って会に入ろうと思っているのかを、よく理解し、おたがいに十分接点があると思った学生だけが本人の意志で入るものとしていた。
会員となった二五名の学生の共通点は、みんな自己完結能力を大事にし、それを磨いてきた者たちだ。すなわち、けっしてどんなことでも、他人に責任を転嫁したりせず自己の力で解決していく決断力と実行力を持っている勇気ある若者たちである。
事の是々非々の判断は知識があれば出来る。だが解決能力には知識は何の役にも立たない。かえって邪魔になる場合が多い。
自己完結能力は、知識の上に経験が積まれて、事に臨んでは反射神経的に体を動かすことの出来る能力だ。
若い人間には経験が十分でないだけに、それを身につけることは極めて困難だ。
それを可能にさせるためには、大きな夢や理想を持つことで使命感が生まれ、その使命感が自己を制御できる意志力を養って初めてできる。
これは非常に大切なことだが、若いころから継続して持ち続けることは不可能に近い。
二五名の学生は全員それを持っていた。しかも曲折したものではなく、すっと真っすぐに素直に伸びてきた爽さがあった。
いくら、夢・理想があってもそれが使命感になるところで、若いだけに曲折してしまうことが多い。
そうなるとせっかくの使命感がマイナスに働いてしまう。
昔の学生運動をしていた連中がみんなこのタイプだ。
こういった連中に限ってその後の人生を見ていると、必ず変節して逆に世の中に迎合して生きている者が多い。結局彼らにとっての学生運動は、当時ビートルズに夢中になって舞上っていた連中と同じ流行りものだっただけのことだ、それを素直に出せないで屈折した青年時代を送っただけだ。
そういった連中には自己完結能力はない。
戦国の英雄がルノーにこのことを教えてくれた。
だから全員が爽かなユニークさを持っていた。
「やはり、若い我々にとって爽さが財産だ」
とルノーはみんなを見て感じた。
「問題は、この爽さをどこまで維持できるかだ」
とも思った。
それだけ、これから待ち受けるハードルは高いからだ。
「こういった連中を一〇〇〇人育てれば何か出来る、それまでは地道にやって行こう、何年かかるかも知れないが」
と改めて気持ちが引き締まる思いだった。
ちょうど上期の試験が終わったら、例年の文化祭があるため約一週間の休みがある。
会として文化祭に参加するという意見もあったが、会員の中でふたりいた女子学生が提案した。
「ルノー先生が、二年あまり前に行った京都と奈良に研修旅行するというのはどうですか」
「それはいいアイディアだな、ルノー先生の、カズサの会創立のルーツだからだな」
「だけど、一週間でどれだけのところに行けるか十分検討しないと、かなりハードなスケジュールになるかも。ルノー先生は前に行かれたときは三週間もおられたのでしょう」
と提案した女子学生がルノーに尋ねた。
「どうして、わたしが行ったところを君たちは見てみたいのかい」
ルノーはみんなに聞いた。
「だって、二年前に行かれてから一度も行かれていないんでしょう。その老人の方も待っておられると思います」
と言われてルノーは急にその老人に会ってみたくなった。
「そうだな、また来るようにと言われて、必ず来ますと答えたのに」
とルノーも何かちょっとしたうしろめたさを感じていた。
「だけど、君たち全員がその老人のところにおしかける訳にはいかないよ。迷惑をかけることになるから」
とつぶやくように言うと、
「そんなことは分かっています。僕たちは好奇心で言っているのではなく、ルノー先生が会をつくるのにこの二年間忙しくて、京都の老人の方との約束を忘れておられるのではとみんなで前から心配していたんです。どうか先生その老人の方のところへ行って下さい。僕たちはその間いろいろ行ってみたいところがあるんです」
とリーダー格の学生が言ってくれた。
「そうか、彼らは自分のことを気にかけてくれていたんだ」
とルノーは思うと胸がジーンときた。
その夜、家で食後、先生とナタリーと三人で、リビングルームでその話しをしたら、先生が
「今度は、わたしも一緒に行かせてもらうよ、いつになったら約束を果たしてくれるのかと実は前から思っていたんだよ。会の人たちはさすが若いのに選ばれたる人たちだけに大人だね」
と感心して言った。
「すみません、忘れていました。つい会のことばっかりに」
と頭を抱えるルノーにナタリーが慰めるように言ってくれた。
「あの時、そばにいたのはわたしだけだったから、忙しくしているルノーにわたしが注意してあげるべきだったのね。ごめんなさい先生、そしてルノー。その代り、これからのことは全部わたしに任せてください、準備やらいろいろのことみんなわたしがやります」
と嬉しそうに言った。
「ナタリーも、いつになったらあの老人のところに行くのだろう、と内心思っていたんだね」
と先生が言ってはじめてルノーは自分ひとりだけ忘れていて、まわりの人たちはみんな、心配してくれていたんだと思うと、やはり会をつくってよかったとつくづく思った。
早速、ナタリーは一週間のスケジュールをつくって会員の学生にひとりひとり直接渡した。
「教授とナタリーさんも一緒に行かれるんですか、それはいいですね」
とみんな賛成してくれた。
「二年前にその京都の老人と出会った時、ナタリーさんも一緒だったんでしょう?」
とリーダー格の学生に聞かれてナタリーは答えた。
「ええ、そうだったの。あれは祇園祭りの日で人ごみの中で見物していたら、その横にいらっしゃったの。
そしてその後八坂神社でまた偶然に会ったの。お家に誘われたときは、ちょっと警戒心を持ったけど、行ってみて経験したことは一生忘れられないものだったわ。必ずもう一度行かなければと思っていたんだけど、みなさんの発案がきっかけになって、ありがとう」
とナタリーはみんなに感謝の気持ちを伝えた。
「何かナタリーさんを見ていると、ルノー先生のお嫁さんみたい」
という女子学生の言葉にナタリーは顔を赤らめながらも嬉しかった。



第三楽章 〜第三章 再び京都へ〜



新幹線で京都に着いたのは昼過ぎだった。
京都駅のプラットホームまで波多家の伯母が迎えに来てくれていた。
バスをチャーターして工場の人に運転してもらって来たという。しかも全員波多家に泊めてもらうことになっていた。ナタリーがひとりで全部アレンジしたらしい。
波多家は着物の織物工場があって、多くの職人さんを抱えているので泊まれる場所はいくらでもあった。
「ホテルや旅館みたいな具合にはいかないけれど、我慢してくださいね」
とバスの中でみんなに伯母が言うとリーダー格の学生が丁寧に答えた。
「とんでもないです。こんなことでご迷惑をかけるとは予想もしませんでした。申し訳ありません、よろしくお願いします」
教授に向かって伯母は感心したように話しかけた。
「先生、さすがみなさん、若いのに礼儀正しい人たちですね」
教授はそれにうなずいた。
波多家に着いてみんな一段落してから、近くの広隆寺と蚕の社に全員で行ってみた。
弥勒菩薩のこと、弘法大師直筆の般若心経、蚕の社の三柱鳥居、そして景教のこと、すべてが新しい出会いにみんな感激していた。
波多家に戻って夕食までの間、みんなでディスカッシヨンすることにした。
最初に教授が少し前知識として話しをしてくれた。
「この広隆寺も蚕の社も、この山城の地を開発した秦河勝が建立したものです。蚕の社のところに説明してあったように秦河勝は景教という原始キリスト教を信仰していました。 その秦河勝がもっとも尊敬した人物が聖徳太子です。この広隆寺も聖徳太子作といわれる国宝第一号の弥勒菩薩を太子から賜った時、秦河勝がその記念に建立した寺です。
聖徳太子といえば仏教を日本に導入し、後に国教とした最大の功労者といわれています。しかし、それは八世紀に編纂された日本書紀に書かれていたことで果たしてそうなのかは多いに疑問のあるところです。当時仏教支持派の蘇我一族と太子が一緒に神道支持派の物部守屋を打ち破ったと日本書紀は言っています。それなら何故仏教支持派同士だった蘇我一族が太子没後、太子一族を法隆寺にて全員自害にまで追い込み、太子の一族を滅亡させなければならなかったか理由が分かりません。
太子自体の死も毒を盛られ暗殺されたと主張する絵が八尾の太子堂にあったという話しです。
また太子作といわれる弥勒菩薩像は救世主イエスキリストのことだといわれています。
特徴は弥勒菩薩の右手の親指と薬指とを合わせて三角形をつくっているところです。
これは他の仏像とまったく違ったスタイルで、しかもこの指の形とまったく同じものが中国西部・敦煌で発見され、現在大英博物館にある景教遺跡の中にある壁画に描かれています。これは何を意味しているか。実は太子も秦河勝と同じ景教の信者だったと思われる節があるということではないかと思います。
また弘法大師の真言密教も景教の教えを仏教に取り入れたと思われる節があります。
そうすると、弘法大師の直筆の般若心経もこの広隆寺に保管されている理由も分かる訳です。
どうやら現代日本人が、国教は仏教だと思い込むようになった背景には蘇我一族の日本支配に仏教を利用し、仏教に対抗していた日本神道、そして日本神道と共通点の多かった原始キリスト教である景教を、闇から闇に葬る大作業が為されたように思われます。
歴史上、キリスト教は戦国時代の十六世紀にフランシスコ・ザビエルによって持ち込まれたことになっているが、実は、景教という形で三〜四世紀に仏教よりも早く日本に秦一族によって持ち込まれ、日本神道とうまく交わったものになっていて、天皇家もこれを認めていたようです。
大仏で有名な東大寺を建立した聖武天皇の皇后である光明皇后は景教の熱心な信者であったようです。しかし、日本書紀で光明皇后は熱心な仏教信者と大げさに書いているところがかえってあやしい。
天皇家の神秘的な力を利用し、日本支配を目論んだ蘇我一族の仏教による支配構図が、ある時期だけを除いて今なお厳然と生き続けているように思われます。
戦国の英雄であった、上総介というこのルノーとナタリーの祖先が、当時布教活動に来ていたポルトガル人宣教師に期待し、それを全面的にバックアップした結果、当時堕落しきっていた仏教徒を弾圧した時期です。
しかし、このことは日本歴史上にはまったく記録されていません。
このことは、これから国境がなくなっていく世界の情勢に大変深い意味を持つものと思います。その点をよく認識して頂きたいと思います」
さすが教授の話しはみんなに衝撃を与えた。
「ということは、我々は信仰していなくても、宗教は?と聞かれたら仏教だと反射神経的に答えるのは長い歴史の意図にもとづくものだとおっしゃられるのでしょうか。そしてその前にキリスト教と日本神道が融和した景教が既に根づいていたということでしょうか」
と一人の学生が教授に尋ねた。
「現代日本には、宗教がないと言われる所以がここにあったということです」
とルノーが代わりに答えた。
「日本人のDNAには日本神道と景教が交ざりあった穏やかな祖先崇拝の信仰が歴然とある。ところが、表面には仏教が何の根拠もなしにどっかと座っている。この自己矛盾が無宗教日本人の顔になってしまったのです。
平たく言えば日本人は宗教上、登校拒否症になってしまったのです」
とナタリーがそれに加えた。
みんな、そのナタリーの発言に度肝を抜かれた。いままで決して自分から口を挟まなかったナタリーだけに、ルノーも驚いた。
「今回の京都、奈良の研修旅行は、この点をよく認識して、たとえば法隆寺に行けば、新しい発見が出来るように思います。ちょうど救世観音が公開されていますから、ルノーと同じ体験が出来るかも知れません。実はわたしもそれを期待している一人ですが」
と教授が最後をしめた。
夕食が用意できたと叔母から言われて、みんな楽しそうに大広間に移動したときルノーがナタリーのそばに寄って話しかけた。
「一体、どうしたんだい」
「わたしも、勉強しているところを少し披露しただけよ」
と言って舌を出した。
その表情に大人と子供がミックスした何とも言えない魅力をルノーは感じた。



第三楽章 〜第四章 老人との再会〜



翌日、みんなは奈良の法隆寺に一般公開されている、夢殿の救世観音と中宮寺の弥勒菩薩を見に行くことになった。案内役はナタリーが引き受けた。
ルノーはみんなが出かけた後、田辺の老人の家に電話をした。
「もしもし、ご無沙汰しております。ルノーです」
と挨拶をすると老人は
「ルノー君、今太秦にいるのかい?」
と尋ねた。
「はい、カズサの会のメンバー二五人と先生とナタリーと昨日東京から来ました。先生と私以外みんな今日は法隆寺に出かけました」
「どうして、あんたとその先生は一緒に行かなかったのかい?」
と聞かれてルノーはますます切り口をつけられなくて黙っていると、
「わしのところへ来るかね?」
と老人の方から助け船を出されて
「はい、よろしいでしょうか?」
と尋ねた。
「今日は、わしの家ではなく他のところにしよう」
と老人は何か考えがあるように言った。
「はい、わたしはどこでもかまいませんが」
と言うルノーに
「わしの娘のいる桜井で会おう、午前十一時に」
と言われて、待ち合わせ場所を決めてルノーは電話を切った。
伯母にその由を伝えたら、車を貸してくれると言ったが、多分老人の方が運転手つきの車で来られるだろうから、電車で行くことにした。
十一時十五分前に大神神社前の駅に着いた。
待ち会わせの場所は大神神社の、木の鳥居の前にある大神神社と彫られた大きな石柱の前だった。
十一時五分前に着くと、平日なのに結構、参拝に来ている人でいっぱいだった。
そこは車が二〇台ほど駐車できるスペースがあって、横で三輪素麺を売っている屋台店があった。何か土産にとその店に行こうとしたら後ろから女性の声が聞こえた。
「ルノーさん、お久しぶり」
老人の娘さんだった。
その後ろから老人がついてきた。もう八〇歳はゆうに越えているはずだが、背筋が伸びていかにも元気そのものだった。
「日本でのわたしの親代わりでもあり、大学の師でもある方です」
とルノーは先生を紹介した。
「ルノー君のお祖母さんをホロコーストから助け出してくれた方の息子さんですね」
と老人が言った。
「はい、その通りです。そのせつは、ルノーとナタリーがお世話になりました」
ルノーが横で信じられない顔をしていることも気がつかずに先生はお礼を言った。
「天皇社に行こう」
と言われて四人で長い参道を上がって行った。
拝殿の前を右に折れると「巳の神杉」がある。そこを通り過ぎていったん石段を降りて聖徳太子の建立した平等寺に通じる道の左側に天皇社への急な石段がある。
四〇段ほど上がったところに小さな社が建っている。十代崇神天皇が祀られている社だ。
この辺りにある古い神社はほとんど崇神天皇が建てたものだ。
社の前に立った老人は手を合わせて祈っていた。
そして、拍手を打って礼をした。
「須佐乃男さんがよくきたのうと、言っておられたよ。これからが大変な人生が待ち受けているが、大丈夫だと言っておられた。安心しなさい」
と老人が説明してくれた。
「有難うございます」
とルノーが言うと、娘さんが老人に怪訝な顔をして尋ねた。
「お父さん、どうして呼んであげなかったの」
老人は答えた。
「この子には、神の声など必要ないと言っておられた。自分の意志で道を開くことが出来る力を持っている。のう、ルノー君。わしは口開きをしてから四〇年以上経つが、本人が傍にいながら呼ばなかったのは初めてじゃ。 よほど君のことを特別扱いされているようじゃ。わしを介在する必要がないと言っておられる。今後は直接指導・守護されるようじゃ。だから、何か自分の胸の中で囁くような声がしたら、注意してよく聞くように、それは神さんから何かメッセージを送っておられると思うように」
「まあ、この人、お父さんより大きな使命をお持ちなのね」
と娘さんが驚いた。
ルノーは前回より、遥かに大きな真実感を持った。
「石上神宮にも行こう」
と老人に言われて老人の車でここから十分ぐらいのところにある布留山にある別名、布留明神に向かった。
「前に来たときも不思議に思ったのですが、どうして布留明神とか、布都御魂大神と別の呼び名があるのですか」
とルノーが老人に尋ねた。
「布留というのは物部の始祖で饒速日命の幼名でオオトシとも呼ばれていた人の別名で、布都は須佐乃男命の父親の名で、須佐乃男に与えた剣が今でもここに収められている」
と横から先生が説明した。
「さすが良く知っておられる、わしも知らなかったが何故須佐乃男さんがこの社の導かれるのか、よう分かった」
と老人がうなずいていた。
「この石上神宮というところは、天皇家よりも古い家系を持つと言われる物部一族を祀る神社でそのルーツを辿ると出雲国津神の代表である須佐乃男命にいき着きます。
この方は伊勢神宮の天照大神の弟と言われていますが、実は出雲から日本海沿岸に沿って、丹後、越前(いわゆる越の国)から尾張、諏訪と東へ伸びる縄文人の大王だったと思います。そこへ、渡来人の先駆者である天皇家の天津神と呼ばれる弥生人が九州に上陸し、稲作文化を持ってどんどん東へ移って行って、当時日本の中心地だった、この大和の辺りに先に支配していた須佐乃男命の子供の布留(オオトシ)こと饒速日命の息子が、東征してきた天津神一族の神武天皇と戦い、結局敗れた。いわゆる国譲りがされ、初代神武天皇の大和朝廷ができ、縄文人である須佐乃男命を皇祖とする国津神一族はその家来となり、特に軍事を担当する国造となって物部一族となったというのが真実でしょう。まさに三世紀に原日本人である縄文人代表の須佐乃男命と、弥生人である渡来人代表の天照大神との国取り合戦だったのを、日本書紀はあのような神話に変えてしまった。天照大神は決して女性ではなかったと思います」
先生の熱心な説明を聞いていた老人が感心して
「わしは、先生の言われているような歴史のことは知らんが、ここの祭神が伊香色雄という物部家の先祖だが、どうして須佐乃男さんがここに呼ばれるのか良く分かった。さすが学者さんだ」
と言って巫女さんに合図すると
「どうぞ、ご自由に」
と巫女さんが言った。
「じゃあ、拝殿に上がりましょう」
と老人がみんなを促した。
老人は拝殿の中央に座った。
みんな驚きながら老人の後ろに座った。
老人が拍手を打つと、すっと両腕が上に伸びた。
「須佐乃男じゃ、……・」
と言った後、なにやら歌を吟じはじめた。
さすが先生も驚いたようで神妙に正座してかしこまっていた。
「やまとのふるやま、ここにひとのよろこびながれいで、やまべのみちにつうじいり、つとにかしますみわのやま」
「えい!」
と言って普段の老人に戻った。
ルノーは老人が振り返ってこちらに向いた時尋ねた。
「この拝殿に上がることはふつう許可されないのではないのですか?」
「ここの宮司さんがわしだけ認めて下さっておるのじゃ、もう四〇年以上前から」
「この神社は官幣大社でしょう?」
と先生が聞いた。
官幣大社というのは天皇家の菊の紋を使うことを許されている神社だ。
簡単に本殿や拝殿に上がれるものではない。
ましてやそこで口開きをするということは天皇家がこの老人を認めているということになる。これはすごいことだとふたりは思った。
天理駅まで送ってもらって、車から降りようとしたとき老人がルノーに言った。
「いいかな、自分をいつも見つめることを忘れないようにな。いつも見守ってもらっていることを忘れるでないぞ。」
ルノーは頭を下げ、礼をして別れを告げた。



第三楽章 〜第五章 法隆寺の出来事〜



天理から京都に帰ると、ナタリーの案内で法隆寺に行っていた連中に何かあったらしく、もう帰っていた。
夢殿の救世観音を見に行った連中の内、八人がルノーと同じように急に熱を出した。
しかもその上、中宮寺の弥勒菩薩を見た女子学生ふたりがこれ又おかしい。
こちらのふたりは、何かぶつぶつ言っている。
ナタリーは、どうしていいのか分からずおどおどしていた。
先生とルノーが、彼らの状態を調べて医者を呼ぶかどうか決めることにした。
熱を出した八人は、ルノーの時と同じで震えている。しかしそれぞれみんな症状は微妙に違っていた。
ふたりの女子学生の方もまったく違うふたりの人格が、彼らに乗り移っているとしか思えなかった。
「これはあきらかに曽我入鹿に攻められ自害した聖徳太子の一族の霊の仕業だとしか思えない」
「そうだとしたら、先生、医者を呼んでも仕方ないでしょう。だけどこのまま放っておくわけにもいきませんよ」
と先生とルノーが話し合った。
「先生、自分の前の体験から考えると、その霊が落ち着く場所があるはずです。わたしは大神神社の巳の神杉まで導かれました。」
「だけど彼らをそこへ連れて行っても同じことが起こると思うかね」
と先生は首をひねった。
「そうですね、田辺の老人に電話で聞いてみます」
と言って電話を掛けに行こうとしたルノーを止めようと思った先生だったが、別に強く止める理由もなかったので黙っていた。
「もしもし、ルノーですが・・・」
と老人に事情を説明してどうしたらいいのか指示を求めた。
「ルノー君、今日の天皇社、石上神宮の出来事を忘れたのかい。もう君はわしの助けは要らない。君はわしと同じ力、いやわしよりずっと強い力を持っておる。自分のこころに尋ねてみなさい。必ず答えが見えてくるはずじゃ。その答えを信じて実行することじゃ」
老人は突き放すように言った。
「はい分かりました。どうもすみません。失礼いたします」
と言って電話を切ろうとすると、老人から
「いいかね、君はこれから日本以外の国々を飛びまわることになる。そのとき君を守ってくれるのは須佐乃男さんじゃない。今、君は日本にいるから須佐乃男さんが見守ってくださっているが、外国に出ると、もっと力の強い人が君を見守ってくださる。その人はどんな人かは出会えば分かる。まず今の状況では君がすべてを処理してあげるしか道はない。それが君の使命だ。ひとつだけヒントをあげよう。その近くにある広隆寺の弥勒菩薩を、そのふたりの女の子に見せること。八人の男子はその寺の近くに大酒神社というのがある、そこの社の前に行って君の後ろに立たせることじゃ。後は成り行きにまかせればよい。よいな」
と言われて電話を切った。
戻って先生に事の詳細を説明した。
「やはりね、わたしも実はそうなるだろうと思ったよ」
とうなずいていた。
さっそくみんなで広隆寺に行った。
本堂とは別の展示館に、弥勒菩薩や太子ゆかりの仏像がたくさん展示されている。
その正面奥の中央に弥勒菩薩があった。
ふたりをその前に立たした。
そうするとふたりの様子が急に変わりだした。
ぶつぶつしゃべっていたのが止まり、弥勒菩薩を見ながら微笑を浮かべ
「この方が本当のマイトレーヤー様だ、イエス様だ」
とひとりの女子学生が言うと
「あちらの方は、ルシフェルという方で恐ろしい」
ともうひとりの女子が言った。
ルノーはここで自分がなにかしなければならないと思ったが何をしていいのか分からない。
先生がとっさに近くにある監視員の椅子を借りてルノーにすわるように促した。
すわったルノーは目をつぶった。
とつぜん胸のあたりに何かささやいている声が聞こえてきた。
「わたしはイエスです、あなたは大きな使命を父なる神から、かつてのわたしと同じように与えられました。二〇〇〇年前の、人間の心の状態と現在が非常に似ています。
世の中の質が一〇〇〇年ごとに変化します。わたしが世に生まれた時の人々の考え方と現在とが非常に良く似ています。一言でいえば、みなさんは、自分のことしか考えられないようになってしまっている。自分さえ良ければいいと思うことは、結局自分を傷つけていることになるということを知らないかわいそうな人たちです。人に何かしてあげ、喜んでもらい、幸福感を与えてあげることが結局自分がもっと幸福になるのだということを知らないかわいそうな人たちであふれている。あなたはわたしがしたことと同じように人々にすべてを与えてあげなさい。
ルノーが目を開けると、ふたりの女子学生は普段に戻った。
それから広隆寺の近くにある大酒神社に八人の学生を連れて行った。
拝殿の前にルノーが立って、八人の学生が後ろに従うとルノーは拍手を二回した。
そうすると、青白い顔をしていた八人の学生の顔色に赤みが差し、肩からの震えが止まったようだ。
ルノーは何もせずにただ拍手を打っただけであった。
みんなは信じられない思いで呆然とその光景を見ていた。



第三楽章 〜第六章 英雄の遺志〜



その日の夜、ルノーは不思議な夢を見た。
夢を見ているのか、実際は目が覚めているのか、分からない狭間にいたような気がする。
夢の中で戦国の英雄が現れた。そして自分と対話しているのだ。自分からも質問をしている。
「わしは、自分がやりたかったたが出来なかったことを自分の血を引いたおまえにやって欲しいと思う」
「一体わたしに何をせよと言われるのですか?」
とルノーが聞いた。
「よいか、今までの歴史上でのわしの評価は、まったく間違っておる。間違っておるというのは、わしが悪魔の化身だとか悪く言われていることを言っておるのではない。
わしのやってきたこと、またやりたかったことをまったく分かっておらんということだ。
わしのやりたかったことを凝縮したのが天下布武だ。だがこれを単に武力で天下を取るとしか思っておらん。
よいか、ここが大事なところじゃ。日本という国が興ったのは縄文文化から弥生文化に移った頃からだと歴史は言っておる。いわゆる邪馬台国から大和朝廷だ。だがその前に縄文人による日本国が一万年以上も前からあったのだ。その縄文時代を治めていたのが武士の祖先だ。そこへ稲作技術を持って中国からやってきた弥生人が先住民の縄文人と国取りの戦をした。結果、弥生人が勝って負けた武士の祖先の縄文人は軍事を司る物部一族として生き残った。海部氏、尾張氏などがその流れだ。その中の一族が天皇家と交わり源氏と平氏が生まれた。だがすべてのルーツは物部であり先住人である縄文人だ。そしてその縄文人が初めて指導者としたのが須佐乃男命だ。
先住民の縄文人と侵略した弥生人との戦いはその後天皇家と武家との確執という形に変わって現在まで至っておる。
わしが一番憤慨しておるのは、幸せに暮らしておる他人の土地に力ずくで侵略し、その土地を奪い、しかも前から住んでいた先住民を奴隷のように扱う横暴極まる行為だ。
自分たちの生まれ育った土地で一生懸命働いておればいいのに、他人のものを奪い取って自分の果てしない欲を満たそうとする。そうすれば必ず犠牲になるものが出てくる。人類の悲劇はすべてこの人間の果てしない欲望が原因だ。
わしは思った。
他人の国に侵略し属国・植民地化する帝国主義者はみんな中世の特権階級にあぐらをかいた貴族と彼らに組みした僧侶たちだ。これは日本だけではなくヨーロッパ諸国がみんなそうだ。そして彼らが人類の悲劇の原因だと。
天下布武はそれを解放するという意味なのだ。
人間ひとりひとりが、たとえ親兄弟といえども独立した個人としてあるように、国もそうあるべきだとわしは思った。
それを日本だけではなく世界全体がそういう考えにならなければならない。
そのためにまず日本で天下布武を掲げて変えようとした。そしてその後、世界に対しても天下布武を進めようと思っていた。しかし知っての通りのようになった。
当時の特権階級のわしに対する反撃であった。
結局、人間社会における階級制度とそこから派生する特権階級意識がすべての悪の根源である。世襲も一種の特権階級だ。人間社会からこの意識を完全に取り除かない限り人類はいつか自滅する。それをお前にやって欲しいと思う」
ルノーは身震いをしながら聞いていた。
「わたしのような、いろいろな民族の血が混ざっている者に出来るでしょうか」
「そういった環境に育ったお前だからこそ出来るのだ」
「何から始めれば良いのでしょうか」
とルノーは聞いた。
「まず今いる二五人のメンバーを一〇〇〇人まですることだ。そして彼らを戦う兵士に育てることがその次だ。
それが実現できたら次ぎの段階にはふたつの選択肢がある。ひとつは、わしがやった方法だ。特権階級集団を抹殺しこの世から消し去ることだ。この方法は非常に危険が伴う。わしもそれで殺された。しかし一番効率的かつ速い。もうひとつの方法は政治集団をつくり、政権を握ることだ。これは合法的だが、効率は悪いし、民主主義という名のもとに愚かな大衆を相手にしなければならない。弱く、愚かな大衆が一番性質が悪い。だが選択はお前がすることだ」
ルノーは迷わず答えた。
「わたしは、あなたと同じ方法を採ります」
「死ぬ覚悟がいることは分かっているな」
と言われてルノーは
「言われるまでもなく」
ときっぱり答えた。
「それなら、わしも大いに応援してやろう」
「お願いします」
と言ったところで目が覚めた。
「これは夢ではないようだ」
とルノーは直感した。
「いよいよ明日から行動開始だ」
と決断した。



第三楽章 〜第七章 現代の比叡山〜



ルノーは、夢の中で戦国の英雄との対話のことをみんなに話した。
世界の歴史でいわゆる中世というのは、国王家とそれをとりまく貴族たちが支配する時代であった。
そしてその支配層に宗教権威をふりかざして同じ支配層に食い込んだ僧侶集団が宗教を超えて権力を保持した時代をいう。
まさに貴族と僧侶による富の独占体制の時代を中世という。
ヨーロッパ諸国が暗黒の中世から近代社会に移行する過程でルネッサンス、産業革命は大きな役割を果たしたことは事実だが決して主役ではない。
主役は、宗教改革という宗教戦争であった。
宗教戦争によって、旧来の宗教勢力の持つ特権を削ぎおとすことで近代社会に移行できたのである。
中世と近代の定義の違いは、宗教勢力が国家運営すなわち政治に口を出していたのが中世で、それをさせずに政教分離したのが近代国家である。
ところが日本の近代社会の幕あけであった明治維新の時、官軍は倒幕するだけでよかった。ヨーロッパ諸国の場合、必ず宗教勢力との戦争があった。
しかし、徳川江戸幕府三〇〇年の時代には既に宗教勢力の力は完全になくなっていた。
だから簡単に明治維新による近代化が実現できたのだ。
本来なら、革命政府は倒幕とともにやっかいな宗教勢力とも戦って勝たなければ近代化は出来なかったのである。
日本の近代化が、ヨーロッパよりも二〇〇年以上遅れたにもかかわらず、他のアジア諸国のように植民地にならず、列強に並ぶことが出来たのは近代化のスピードが速かったからであり、それを可能にしたのはやっかいな宗教戦争をする必要がなかったからである。
そういった環境、すなわち近代化への条件である宗教勢力の掃除をしておくことを明治維新の三〇〇年前にこの英雄がやっておいてくれたのだ。
まさに現代の日本が、先進七ヶ国サミットのメンバーに白人社会以外で唯一国入ることが出来ているのは、単に経済力だけが要因ではない。
近代社会の形をきっちりつくられていたからだ。
これは戦国の英雄の大きな国家への功績である。
このことをまず今の日本国民はよく認識しなければならない。
しかし権力は麻薬だ。
必ず新しい権力構造が生まれる。
明治維新による近代化が成功したのにもかかわらず、その維新政府があたらしい特権階級をつくってしまった。
高級官僚というエリート集団だ、そしてそのエリート集団と共生関係にある政治家であり、財閥である。
政・官・財癒着構造だ。
旧ソ連が、理論では間違いなく理想の形である共産主義を失敗に終わらせたのは、ノーメンクラツーラという特権階級の存在だ。
戦国の英雄が比叡山焼き打ち、一向衆殲滅をやったのは特権階級を排除するためであった。
今また新しい特権階級によって日本は新しい二十一世紀の世界の国家体制への移行に遅れをとろうとしている。
その最大の原因がこれら特権階級の存在で、高級エリート官僚の流れがその中心だ。
予備軍養成の役割を担う帝国大学、そこから巣立つ高級官僚支配の行政、そして退官後のOBを受け入れる大企業と政界。それらに迎合する党人出身の世襲議員これが現代日本のノーメンクラツーラだ。諸悪の根源の特権階級層である。
戦国の英雄は、この現代の特権階級はちょうど彼が殲滅した、当時の新旧宗教の代表格で堕落しきっていた天台宗延暦寺であり、浄土真宗一向宗徒に当てはまると言っている。 
一般大衆は、これら特権階級から搾取されても、自分たちさえ良ければそれでいいという心理がある。特に民度の低い大衆ほどその傾向が強い。公の認識がまったく無い。
現代日本の民度がかくも低くなったのはいろいろな要因があるが、最大のものはやはり戦後の教育の劣悪さであろう。アメリカが仕組んだ日本人総ふぬけ化教育制度だろう。なぜアメリカが日本人をふぬけにしなければならなかったか、それは有色人種である日本人が優秀だから怖いのだ。優秀なのは白人だけでよいと思っている。
彼が、命をかけて近代化のためにやった比叡山焼き討ちと一向宗殲滅と同じことをルノーに託している。
二十一世紀に日本が存在するかどうかはまさにこの点にかかっている。
ルノーはみんなに説明した。
みんなは真剣な表情で聞いていた。
「僕らはもう覚悟しています。問題は一〇〇〇人集めることです」
「数さえ揃えばいいという訳ではないですから」
といろいろな意見が出た。
「じっくり、みんなで相談しよう」
とルノーは言って部屋から出て行った。
「先生は大変な使命を持っておられるな」
とみんなは改めて事の大きさに身が引き締まる思いだった。



第三楽章 〜第八章 選ばれたる人たち〜



「千人の志ある人材を発掘しなければならない」
ルノーは、日夜そのことに考えを巡らした。今京都に来ていることも忘れていた。
二五人のメンバーはルノーの気持ちを十分知っていたが、自分たちに今出来ることはルノーをそっとしておいてあげることだと思っていた。
彼らは、ナタリーの案内で奈良の大神神社や石上神宮など古代大和朝廷の遺跡を巡ることにした。
大神神社の脇道をそれたところに、山の辺の道がある。そこから古代大和朝廷を彷彿させる箸墓古墳や崇神天皇の墳墓が一望できる。
「ナタリーさん、ルノー先生はこの山の辺の道に来られました?」
とひとりの女子学生がナタリーに尋ねた。
「いいえ、ここには来なかったわ。でもどうして?」
と聞き返すとその女子学生は
「今ふっと思っただけですが、ここから古代大和朝廷の跡地を眺めていると何かいい考えが浮かんできそうな気がしたので」
と下目がちに答えた。
「そうね、じゃあ、わたしが明日にでもルノーをここへ連れてくるわ」
とナタリーが言うと
「わたしがルノー先生をお連れしてはいけないでしょうか?」
と言われナタリーも先生のお世話もしなければならないと思っていたから、
「じゃあ、あなたにお願いするわ」
と答えた。
ルノーは千人の人材を選ぶ基準をまず決めようと思った。

「男でないと絶対だめか」
「日本人でないとだめか」
「若者でないとだめか」

この基準の是非をまず決めようと思った。普通一般的にはすべて非だ。
若い日本の青年がイメージとして誰にも湧いてくる。それから考えれば三つともまったく反対だ。
しかしルノーは、夢の中で言われた純粋の日本人でない自分だからこそ出来ると言われたことが頭から離れなかった。
「男だけでは無理だ。女性の役割も必ずあるはずだ」
「自分自身が日本人ではない」
「青年だけでは自爆する恐れがあり、目的達成の確率は極めて低くなる」
だがこの基準を採りいれるとマイナスの要因になるものがある。

「内部の亀裂を起こす危険な要因になる」
「人種差別意識が頭をもたげないか」
「すぐに先を読んで推進力が落ちる可能性が高くなる」

このプラス・マイナスの要因をすべてプラスに転じることの出来る人間が求められる人材だとルノーは結論づけた。
「現実主義者は絶対だめだなあ、いくら能力があっても、やはりロマンティストでないと。
そういう点では、今の日本人を見ていると若者では女性より男性の方がいやに現実的になっていて、ロマンが無くて弱々しい。また壮年の世代を見ていると逆に女性の方が本来の特性である現実的だ。この点が一番大事なポイントになる」
と確信した。
「さあ、問題はどうやって人材を探しだすか」
と考えるとそれ以上考えが進まない。
先生に相談すると
「うれしいね、わたしもそれじゃ資格があるんだね」
と言われてルノーは恐縮しながら
「先生はだめです。巻き込むわけにはいきません」
ときっぱり言った。
「ルノー、それは間違いだ。それでは選ばれた人たちを侮辱することになるよ。だから先ず第一号はわたしを選んでくれたまえ、わたしにその資格があれば」
と先生は諭すように言った。
「そうですね、申し訳ありません。まだまだ未熟ですが先生に第一号になって頂けるでしょうか」
とルノーは頭をかきながら先生に言った。
「君にこの命を預けたよ」
と言われて責任の大きさを今更ながら感じるルノーだった。
ナタリーがみんなを連れて帰ってきた。
「ルノー、明日、山の辺の道の展望台へ行ってみたら?大神神社のすぐそばにあっていろいろな古墳が一望に見えてとても素敵なところよ」
とルノーに言って、自分の代りに、メンバーの女子学生の一人が一緒に行くことを伝えた。
「ナタリーは何か他の用があるのかい?」
とルノーに聞かれて
「先生を今までお世話してなかったので、明日は先生のお世話をするわ」
とナタリーに言われてそれ以上何も言えなかった。
翌日ルノーは、女子学生と一緒に車を借りて天理方向へ向かった。
「ルノー先生とナタリーさんはまるで恋人同士みたいですね」
「そう見えるかい、だけど兄妹だからね」
「兄妹のようには絶対見えないですよ、恋人同士のようで少し妬けちゃいます」
ルノーは、黙って運転した。
奈良公園を左に見ながらそのまま天理方向に走った。
西名阪道路を横切って天理市内に入った。
途端にまわりの景色が一変する。
左右の歩道を天理教信者の人たちが青い半纏を着てたくさん歩いていた。
「若い信者さんも多いですね、特に女性の若い人が」
と言われて見ると確かにそうだった。
「やはり、現代の日本の若い世代の特徴がこういうところにも出ている。何ごとも女性の方が積極的だ」
とルノーは内心思った。
「一〇〇〇人集める人たちで若い層の人たちは、女性を出来るだけ多くしたいと思っているんだ」
とルノーが言うと、さすが二五人のメンバーに選ばれるだけ、あって理解が早い。
「自分で言うのも何ですが、今の日本の若い男性は女性に比べてすべての面で劣っているように思います。
体格を見ても女性の方が立派に見えますし、考えかたも積極的です。なかなか先生は鋭い観察眼をお持ちですね」
と誉められてしまった。
「どうして、そうなったと君は思うかい?」
と分析能力を確かめるように聞いた。
「ふつう、小学生までは女子の方が、成長が早くて体格も男子よりも大きいのですが、中学生になると女子はほとんど成長が止まり、男子はそこから成長が早まり女子を追い抜いていきます。ところが最近の特徴は女子が中学になっても成長し、男子がなかなか追いつけないまま大人になっていっているように思います、ひとつには食事のせいもあるでしょうが、わたしは精神面が大きいと思います」
「精神面というと?」
「今まで日本では、女性の純潔性が重視されて来ました。これはわたしの研究では国の文明の発展度に比例しているようです。文明が発達すればするほど女性の純潔性はあまり重視されなくなっています。たばこを吸う割合も同じ現象が出ています。開発の遅れた国ほど男性の喫煙者が多く、開発の進んだ国になると男性は禁煙し始め、女性の喫煙者が増えてきます。今の日本はそうなっています。だから現代の日本の女性にはほとんど純潔性に対する意識は喪失しています。その抑圧からの解放が女性に自由度を与えていることが大きな要因だと思います。逆に男性はその分抑圧しなければならない。このことが男女の逆転現象を起こしているのだと思います」
すごい分析力だとルノーは思った。
「それで、女性は幸せなの?」
ともう一歩踏み込んで聞いてみた。
「男性も女性もどちらも不幸だと思います。女性は男っぽくなり、男性は女っぽくなってしまい、お互いの良さがどんどんなくなっていくような気がするんです。それは不幸なことだと思います」
確かにその通りだとルノーも思った。
「アメリカの女性を見ていると、かわいそうになります。日本の女性もその後を必死に追いかけているんです」
「君はどうなんだい」
ともう一歩踏み込むと
「わたしもそうなってしまっています、悲しいけれど」
聡明な女の子だとルノーは思った。
話しが進んで時間が経つのを忘れたせいかもう大神神社に着いていた。
駐車場に車を停めて五分程歩くと山の辺の道に入り、展望台に着いた。
「これは絶景だな。古代大和朝廷が目の前に現れてきそうだ」
とルノーは感嘆した。
「あれが有名な箸墓古墳です。卑弥呼かその娘の台与(とよ)の墓と言われています」
「さっき通り過ぎた古墳だね」
「先生、わたしはちょっと離れていますから、一人でここにいて下さい。何かこれからのヒントが湧いてくるかも知れませんよ」
と言って下に降りて行った。
「若いのに気のよくつく子だな」
と思った。そしてベンチに座って古代大和朝廷の跡地を眺めていると胸の辺りから囁く声が聞こえた。
「こうえん、こうえん」
と囁いている。
「何だろう、『こうえん』というのは」
その時は、何を意味しているかさっぱり分からなかった。
しかし、その日の夜、夢の中でその意味を知るとは思いもせずベンチに座って景色を眺めていた。



第三楽章 〜第九章 歴史の真実〜



太秦に帰ってルノーは先生に山の辺の道の展望台でのことを話した。
「『こうえん、こうえん』とささやきかけたのかい?」
「はい、そうです。ただそれだけなんですが」
「うん、ふつう単純に考えれば講演会のことを意味しているようには思うんだが」
「わたしも最初に思ったのはそうです。一〇〇〇人のメンバーを集めるのに講演会を開いてやることは考えていましたから。だけど何かもっと別の意味があるような気がしてなりません」
「そうだね、だけど何なのか想像もつかないね」
ふたりはこんな調子で二時間も話し合ったが結論は出ず、田辺の老人に明日にでも相談するということになった。
その夜、波多家の大広間で、全員で夕食をしていた時、ひとりの学生が話し出した。
「教授はご存知ですか? 最近話題になっている本のこと」
と問いかけた。
「どの分野の本かね?」
と先生が聞き返すと、
「歴史書ですが、従来の歴史を見直す観点から書かれた本のようです。タイトルは、はっきりとは憶えていませんが、たしか『歴史の??』とかいう本です」
「ああ、それなら『歴史の真実』という本だ。わたしもその著者はよく知っている方だ」
ルノーは、その本の名前を聞いた時、また胸に何かささやいているような感じがしたが、みんなでざわざわしている中だったので聞きとれなかった。
「どんな本なんですか」
とルノーは先生に尋ねた。
「日本の国の生い立ちから、現代に至るまでの歴史を、世界の中の日本という観点から従来の歴史観を見直した名著だよ。学校で使われている歴史の教科書を、新しく作り変えようとする運動をされている方だ」
「そんな方がいらっしゃったのですか、何かわたしのやろうとしていることと、共通する点がありますね」
とルノーは言った。
「そうだね、その方は著作活動を通じて日本人に対する啓蒙活動をしておられる立派な方だ。君の先祖の、戦国の英雄が示唆した、ふたつの方法の、ソフト路線の方だね」
「やはり、時代が要請しているんだ」
とルノーは感じた。
その夜、ルノーは『こうえん』という言葉を頭に浮かべながら眠りについた。
「十六時間前、米国航空機一機が日本陸軍の重要基地である広島に爆弾一発を投下した。その爆弾は、TNT火薬二万トン以上の威力をもつものであった。それは戦争史上これまでに使用された爆弾のなかで最も大型である、英国の「グランドスラム」の爆発力の二千倍を越えるものであった。
日本は、パールハーバーにおいて空から戦争を開始した。彼らは、何倍もの報復をこうむった。にもかかわらず、決着はまだついていない。この爆弾によって、今やわれわれは新たな革命的破壊力を加え、わが軍隊の戦力をさらにいっそう増強した。これらの爆弾は、現在の型式のものがいま生産されており、もっとはるかに強力なものも開発されつつある。
それは原子爆弾である。宇宙に存在する基本的な力を利用したものである。太陽のエネルギー源になっている力が、極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれたのである。
今やわれわれは、日本のどの都市であれ、地上にある限り、すべての生産企業を、これまでにもまして迅速かつ徹底的に壊滅させる態勢を整えている。われわれは、日本の戦争遂行能力を完全に破壊する。
七月二十六日付け最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破壊から日本国民を救うためであった。
彼らの指導者は、たちどころにその通告を拒否した。もし彼らが今われわれの条件を受け容れなければ、空から破滅の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべきであり、それは、この地上でかつて経験したことのないものとなろう」
夢の中でルノーは、日本に原爆を落とした国の当時の大統領がいかにも自慢げに講演している姿を見た。
汗だくになって目を覚ましたルノーは『こうえん』の意味を悟った。
「何という傲慢な態度だ」
と思うと怒りがこみ上げてきた。
翌朝ルノーは『歴史の真実』という本を買いに四条河原町まで出かけた。
さいわい一冊だけ残っていて、車に戻るとエンジンもかけずにすぐ本を開け、偶然開けたページに何と夢で見た、この傲慢な男の講演録が載っているではないか。
ルノーは何という偶然か、いやこれは偶然ではない。昨日、山の辺の道の展望台からずっと何かに導かれているに違いないと確信せざるを得なかった。
先祖の英雄が、ルノーに托したことはこれではっきりした。
まさに内憂外患だ。
内は、特権階級に執着する現代の比叡山だ。
外は白人優越視の人種差別主義者だ。
『歴史の真実』にもこう書かれていた。
「一九三一年に満州事変が起こったとき、アメリカの黒人たちの意見が分かれたのはやむをえない。それでも大半は日本の行為がアジアから西側の帝国主義を排除するためのものだという見方を固持していた。むしろ問題なのは、日本の真意をまったく理解していない中国人のほうだとさえ、黒人系のアメリカのマスコミは、当時のアメリカの代表新聞とは相当に違う論調で日本を見つづけていた。また一九四一年十二月七日、真珠湾。日米開戦の口火となった敵国日本によるこの攻撃を、解放への光明と喜んだアメリカ人たちがいた。ブラックアメリカン、つまり黒人たちである。黒人のなかには、この戦争は『人種戦争』だと公言し、日本はアジアを白人社会から解放した英雄であると言う者すら出てきた。白人優位の神話を根底から覆した日本人。そんな日本人と戦うくらいなら、監獄に行った方がましだ。こんな考えが、黒人のあいだを駆けめぐっていた。また日本と同盟を組んだドイツナチスのヒットラーの言葉として噂されたものによれば、ヒットラー自身は日本の戦果に心から感動している訳ではなく、むしろ逆に、黄色人種を撃退するために、できればイギリス人に二〇個師団を派遣したいと
語った」 いかに政治的、経済的理由で戦争を起こしても、その根底に根づく白人の人種差別意識は敵味方を超えた普遍的なものであることを如実に示しているとルノーはつくづく思った。
それなのに二十一世紀に入った今日の日本は、人種の問題については再び同じような無知と無邪気のなかに無意識に落ち込んでいて、そのため二十世紀の前半にひたひたと国を取り巻いていた説明のできない暗い感情の波を思い出すことができないでいる。と『歴史の真実』の著者は嘆いている。
ルノーはつくづく先祖の英雄が憤死せず、もう十年生き延びていてくれたら白人優位の人種差別は生まれなかっただろうし、二十世紀の大戦という悲劇も起こらなかっただろうと思った。特に黒人問題は現代人類に深い影を落している。
「人間の本質的欲望とはいえ、なんと大きな白人の犯した罪だろう、その白人の血が自分にも混ざっている」
とルノーは思うとやるせない気持ちになった。
「そして、この白人社会に迎合して自分たちだけ甘い汁を吸ってきたのが特権階級の連中だ。これは単に日本の問題ではない。世界の人種問題だ」
と思うと怒りが溶岩のように止めどもなく噴き出してくるのだった。



第三楽章 〜第十章 立川基地〜



一週間の研修旅行を終えて、東京に帰ったルノーが真先に行ったのが米軍の立川基地だった。
そこには若い米軍の兵士が、たくさん駐屯していた。
大学時代、近くの小金井に以前の学部があったせいで、多摩霊園をはさんで反対側にあったキリスト教大学の外国留学生の友人と一緒に立川基地に遊びにいったことがあった。その時に多くの黒人将校と親しくして今でも交友を深めていた。
「やあ、ルノー久しぶりだね。よく来てくれた」
とみんな歓迎してくれた。
「今日は、ただの訪問かい? それとも何か真剣な話しでもあるのかい?」
と聞かれたルノーは
「そんなに、深刻な顔をしているかい?」
とみんなの顔を見て尋ねた。
「半年ぐらい前だったっけ、ここに来たのは。その時と顔つきが全然違うよ」
と言われてルノーはカズサの会を結成したこと。そして一週間の関西の研修旅行であったことを話した。
特に『歴史の真実』の中に書かれてあった原爆投下を命令した大統領の講演の話し、ヒットラーの話し、そして当時の米国の黒人の人たちの日本にたいする反応などを話した。
「人種問題が、今でも世界で一番重要かつ早急に解決しなければならない問題だと感じたよ。政治問題、経済問題、民族問題そして宗教問題が世界の紛争の原因だと言われているが違うね。根元に人種問題が深く潜んでいる、それも白人だけの問題だ。
白人優位の差別意識が彼らの頭からなくなれば人種問題はなくなる。だがこの意識はローマ帝国以来のものであり、宗教戦争を経過して、それが頂点になったのが十六世紀からのヨーロッパ帝国主義による植民地政策だ。 
それが君たちの祖先が味わったアフリカからの奴隷売買による世界各地への商品としてのばらまきだ。暗殺されたキング牧師はそれを訴えたかったのだと思うよ」
話しを聞いていた黒人将校たちの表情がだんだん険しくなっていくのがルノーには分かった。
「ルノー、君の話しは我々も知らなかったことだし、それを聞いて今さらながら白人に対する怒りが込み上げてくる。だが問題は何百年も奴隷として虐待されてきた我々の多くは、白人に対して怒りよりも恐れの方が強く持っていて白人に反逆するガッツなんてほとんど持っていないよ。俺達だって似たようなもんだ。だからキング牧師やベトナム戦争を拒否したあのヘビー級チャンピオンを尊敬するんだ、白人に対して堂々と立ち向かった黒人として。だが今の話しを聞いて五〇年前のアメリカの黒人たちが、堂々と日本に味方したことは我々に勇気の大切さを教えてくれた。何をしたらいいか言ってくれ、協力するよ」
「ありがとう。実は京都から帰ってから小説を書いたんだ。『KAZUSA』という本だ。名前は聞いたことがあると思うけど、四〇〇年前に日本を統一した武将だ。志半ばで暗殺されたが、この武将がもう十年生きていたら君たち黒人の奴隷制度も生まれなかったと思うんだ。それで十年長く生きたという仮説での十年間の出来事を小説にした。そこで君たちは自衛隊の人たちと交流があるだろう。その中でこの人はという人物がどれぐらいいるか知らないけれど、その人たちにこの小説を読んでもらいたいんだ。そしてそのチャンピオンにも読んでもらいたい、出来れば勇気ある黒人の人達には出来るだけ多く読んで欲しいと思っている、もちろんまず君たちに」
興奮して言うルノーに彼等は異様な雰囲気を感じた。
「何をするつもりだい」
ルノーはカズサの会というものを半年前につくり、今メンバーは二五人だが一〇〇〇人までしたい、そして彼らは兵士であること、日本人、男性に限らないことなどを説明した。
そして、最後に世界の人種差別主義者および特権階級に居座る連中をこの世の中から消滅させるのが目的のためにつくった会であると表明した。
「それじゃ、まるでテロリスロト集団じゃないか」
と一人の黒人将校が言った。
「そんなんじゃない。社会に善を為している人材を暗殺するのがテロリストだ。社会に悪を為している人間をお仕置きするのは正義だ。だから正義の集団だ。問題は社会にとって善か悪かが判断基準だ。たとえ行為は同じであっても。それが地球上の生物を支配する自然の法則だよ」
とルノーは反発した。
「だが現体制に対する反逆であることは確かだ、その体制が悪であっても。必ずものすごい圧力がかかるよ。それをたった一〇〇〇人で対抗できるのかい。俺達は兵隊だからそういう計算をすぐしてしまうが」
ルノーは自分の今まで分析した結果を説明した。
「日本で今直接特権階級にあぐらをかいている連中は約三〇〇〇人だ。またそのあとの余韻のおこぼれを頂戴している連中のトップクラスが三〇〇〇人、予備隊が四〇〇〇人いる。計一万人だ。
この連中と予備軍の帝国大学を徹底的に破壊することを同時に一気にやってしまえば完全に従来の日本は消失してしまう。一日でこと足れりだ。三島由紀夫もそれを狙ったのだが肝心の自衛隊が無反応だった。あのオカルト教団も対象を一般市民にやったからあれだけ徹底的に弾圧された。折角あれだけの行動エネルギーがあったのだから対象を特権階級層にすれば、拍手喝采してくれる大衆は少なくとも半分はいたはずだ。もちろん罪は罪として罰を受ける覚悟はいるが、それ自体は国のためにやったんだという満足感と使命感は充分あったと思うんだ」
さすが黒人将校たちも度肝を抜かれたようだった。
たまたま、そのときみんなが話しをしていた部屋にあるTVをかけた将校がいた。
画面に黒人の老歌手が大きなホールで白人たちの聴衆の前で黒人霊歌を歌っていたのが映った。

「Ol' man river
Colored folks work on the Mississippi
Colored folks work while the white folks play
………………………・・
Gitting no rest till the judgement day
Don't look up an' don't look down, you don't dast make the white mea boss
Git a little drunk an' you land in jail
Ahm tired of living an' skeered of dying

(老人の黒人が働く河ミシシッピよ
有色のおれたちは一日中働く、白人はその間遊んで暮らすこの不公平な人生
いつか彼等に裁きの日が訪れるまで、おれたちには、休息はない
ただ上を向かず、下も向かず、少し酔っ払って白人の主人を怒らせようものならすぎに監獄行きだ。
もう生きるのに疲れたけど、死ぬのも怖い……)

老歌手は涙を流して歌っていた。
歌い終わると聴衆の白人たちから大拍手が起きた。
それを見ていた黒人将校たちは完全に糸が切れた様子だった。
ルノーも唖然としていた。
「あの聴衆の白人たちは何を思って拍手したのか、自分たちが苦しめて嘆いている黒人の腹の底からの叫びを何と思っているのか」
拍手を受けた老歌手は涙を流し、お辞儀ひとつしなかった。
「ルノー、君の言っていることは正しい。あとはおれたちが勇気を奮うだけだ」
そして、みんなで手を握りあった。



第三楽章 〜第十一章 千人の勇士〜



立川基地に行ってから二ヶ月が経った。もうすぐクリスマスが来る頃、例の黒人将校から電話がかかってきた。
「クリスマスイブにパーティーをやるからメンバーの人たちを招待したいと思っているんだがどうだろうか? その時紹介したい人たちがいる」
ルノーはみんなの了解をとらずにその招待を喜んで受けた。
あとでみんなに話したら誰もが喜んでくれた。
先生も一緒に行きたいと言う。
ルノーは、先生の立場をいつも気にしていたが、先生だけでなく大学のほとんどの先生が同調して、創設者が教えた『独立自尊の精神』のためには、たとえ大学がその結果消滅させられても一向かまわないという姿勢が毅然とあった。一五〇年の伝統を誇る私立大学だけにルノーも気にしていたが、逆にハッパをかけられるのだった。
「やはり大学は私学が基本だなぁ、義務教育と違ってそれぞれ好きな専門分野を深く掘り下げた学問をするところだけに、他人のましてや国民の税金をあてにするのは基本的に間違っている」
と思った。
クリスマスイブの日、夜七時に基地に着いた。
パーティー会場に入る手前にクロークがあって、そこで全員が真っ白な軍服に着替えさせられた。
会場に入ると、何百人という人たちが同じ白い軍服姿で左右に整列してルノーたちが入ってくるのを待ち受けていた。
ルノーたちが会場に入っていくと、一斉に拍手で迎えられた。
まだ三〇才過ぎの黒人大佐が演壇に立って挨拶をした。
「今晩は例年だとクリスマスイブです。しかし今回こうやってたくさんのみなさんが集っていただいたのはキリストの誕生を祝うためではありません。今日ここにいる兵士はみんな黒人兵士です。我々黒人のふるさとであるアフリカではキリスト教とはまったく縁がありませんでした。しかし奴隷として売られたアメリカで強制的にキリスト教徒にさせられただけであります。四〇〇年以上奴隷として家畜以下の扱いを受け、それに慣らされてきた我々にはキング牧師、そしてあの伝説のボクシングヘビー級チャンピオンの他に白人に正面から対決した者はいません。
そして、世をすねて犯罪者をたくさん生みだし、ますます黒人の評価を低める悪循環に陥っているのが現状です。
本日を持ってこの悪循環から脱出する決意をしました。
その記念にアメリカから素晴らしいゲストが来てくれました。
またフランス人ですが四〇〇年前に日本を統一した英雄の血を引いたゲストも来てくれました。
今日はこの二人を対面させるために用意した記念すべき集まりです。
どうか新たなる旅出の一歩を今日踏み出そうではありませんか。
ふたりのゲストの方!どうぞこちらに」
ルノーの方に視線が集まった。
まさか、こんな趣向になっていたとは思わなかったルノーだが、いつかこういう時が来るとは思っていた。
「だが、もうひとりのゲストとは誰だろう?まさか?」
と思ったが、そのまさかの人だった。
ゆっくりとまわりの者に支えられて演壇に向かって来た。
「あのチャンピオンじゃないか」
みんなは一斉に拍手で彼を迎えた。
ゆっくりと静かに彼はしゃべりだした。
「みなさん、メリークリスマスといいたいところですが、わたしは回教徒です。
ハジと言って一生に一度はイスラムの聖地であるメッカにも巡礼に行きました。わたしがチャンピオンの時でした。オリンピックで金メダルを取ってプロボクシングの世界に入ったころは、黒人である悲哀は少年のころから人並みに味わっていましたが、それほど人生において黒人であることの絶望感を感じたことはありませんでした。しかしチャンピオンになってから、白人からのありとあらゆる手を使ってのいやがらせは、逆に白人が唯一の人間でそれ以外の有色人種は人間にあらずということが体の芯にまで浸みついていることを知りました。 
たとえ表面的には人種差別反対を言っている白人たちも一皮むけば同じだということを知りました。その時自分が黒人であることにわたしはかえって誇りを持てるようになったのです。
それ以来、世の中の出来事の真実が見えるようになってきて、新聞やテレビで報道されていることは、ほとんど何らかの意図をもっての情報操作で一般大衆への洗脳活動であります。そして、それは今でも続けられています。
わたしがベトナム戦争への徴兵を拒否したのも、明らかに表面的な正義とは裏腹に白人社会の有色人種を支配する縄張り争いに過ぎないものだったからです。
ソ連共産主義とのイデオロギーの対立を看板にしていましたが、その根元には白人による世界支配という人種問題が深く潜んでいたのです。この彼らの体に浸みついた意識がなくならない限り人類の悲劇はなくなりません。
わたしはここにいる黒人の仲間たちから、ルノー君の書いた『KAZUSA』という小説を送ってもらい読んで感激しました。 
彼はまだ二〇代の若者にもかかわらず、この問題を認識し未来の人類の為に身を投げ出して戦おうとしていることに感動しました。 そしてここに来たのです。
しかし、わたしはボクシングという格闘技をやってきましたが暴力が一番嫌いでした。
もちろん、勝ちたい気持ちはありましたし、チャンピオンにもなりたかったが、いつも試合の時、相手を出来るだけ、傷つけまいと思って戦ってきました。それは相手が白人の時でもそうでした。わたしの戦い方をよく見ていた人なら感じられたはずです。それは有色人種には人種差別意識がないという証明でした。人類社会を平和にできるのは有色人種しかないと思いました。白人が人類社会を支配する限り悲劇はなくならないことは間違いありません。しかし暴力でそれをやってはいけない。それをルノー君とその仲間の人たちに言わなければならないと思ってはるばるやって来ました。しかしわたしも彼のカズサの会のメンバーの一人になりたいと真剣に思っています」
彼は、ルノーの肩を抱き抱えて握手をした。
集まった人たちは、静かに微笑を浮かべながらその光景を見守っていた。それは拍手をするより何十倍もの心の中での喝采だった。
ここに一〇〇〇人の兵士がついに集まったとルノーは実感した。



第三楽章 〜第十二章 地球人連合〜



カズサの会はついに一〇〇〇人のメンバーが揃った。
バラエティーに富んだメンバーになった。
あの伝説的なチャンピオンからアメリカの軍人、日本の自衛隊員、ハリウッドのスター、日本のスター、学校の先生、・・・そして老若男女の一般の人たちまで。
ほとんどが、立川基地のアメリカの黒人将校たちが声を掛けて集めてくれたのだ。
いかに黒人の人たちが今まで虐げられてきたか、その反動がこれだけの人たちを集めるエネルギー源になっていた。
奇しくもクリスマスイブにアメリカの軍事基地でこれだけの人たちが集まった。
メンバーは自主的に誓約書を書いてルノーにひとりひとり手渡し、みんなルノーをリーダーとして認めてくれた。
このメンバーは一〇〇〇人だが実質は何十万、何百万のパワーを持っている。
彼らひとりひとりが、声を掛けると何千何万の人たちがすぐに馳せ参ずるだけの影響力を持っている。
ルノーはあのチャンピオンの
「暴力はいけない」
という言葉が強烈に残っていた。
パーティー会場で先生が興奮しながらも冷静にルノーにそっと教えてくれたのは、カズサの会という名前をもっと門戸を開いたものにした方が良いということだった。
ルノーもこれだけのいろいろの国の人たちが集まってくれたのに、自分の先祖の名前では失礼だと思った。
そしてパーティーの最後に締め括りの挨拶をみんなから求められた時に、過去白人たちが自分たちの利得のために作った偽善の顔を持った国際連盟、国際連合を遥かに上まわる高貴な理想を標傍する『地球人連合』という名前にしたいと提案した。
しかしほとんどのメンバーの人たちは『KAZUSA』を読んで彼にすっかり心酔していたのでカズサの名前は残すべきだと主張されて、みんなで話し合って『地球人カズサクラブ』という名称に決まった。
『Global Nation Club KAZUSA(GNK)』と命名した。
反社会勢力と水面下で組した特権階級連中を殲滅するにはやはり力が必要だ。
過去の宗教勢力も、自分たちの理想を実現するためには、説教や教育では余りにも無力であると感じたから独自の軍事力を持ったし、今では軍事力の変わりに経済力を持とうとして信者から金を集めようとする。
結局、理想を実現するためには力がなければ不可能なのが、悲しいかな人類の宿命なのだ。
宗教を信じる人たちに感じるのがこの弱々しさだ。
あのボクシングのチャンピオンを見ていて感じるのは、いざとなれば力ずくで出来るが、それを行使せず、まず真心で説得するという姿勢だ。本当の勇者とはこういう人だとルノーは教えられた。
『GNK』はArmy DepartmentとSchool Departmentの二つの部に分けた。
先祖の武将が言っていたふたつの選択を両方採用し、状況に応じて対応するやり方だ。
話し合いが出来る相手にはSchool Departmentが対応する。
話し合いが出来るような相手ではない場合はArmy Departmentが対応する。
この案にはチャンピオンも賛成してくれた。
「確かに、暴力にものを言わせてやりたい放題の連中がこの世の中には多い、そんな連中に説得やら話し合いなんて通用しない。自分が昔、ソ連や中国に行って驚いたのは、暴力組織がまったく存在しないことだった。アラブの国もそうだ。一〇〇ドル盗んだだけで腕を切り落とされる。一〇〇ドル賄賂を貰った役人が死刑にあう。それを担当しているのが国家権力だが、その背景には軍隊が控えているからだ。さすがの暴力組織も軍隊には手も足も出ない。赤子をひねるようなものだ。
だからArmy Departmentも時には必要だ。だが出来ればこのやり方を行使しないで、教育で悪の心を無くしていくことが出来たらそれに越したことはないと思うよ」
と言ってくれた。
「わたしもそれが一番だと思います。だけど善良な大衆は心も弱いが故に信頼性に欠ける点があります。その保険としてArmyが常に監視しておく必要があります」
というルノーに
「問題はそのArmy Departmentのリーダーが大事だね」
とチャンピオンは言った。
「あなたに、なって頂けないでしょうか」
とルノーが言うと
「わたしは、自分で思うように出来ない体になってしまったから無理だよ」
と彼は固辞した。
だがルノーは
「この人しかいない」
と心に決めていた。
「School Departmentは学校の心ある先生方がいるから大丈夫だ。いよいよ一〇〇〇人のメンバーから開始だ」
体がぞくぞくする自分にこれがまさに生きているということだと感じるルノーだった。
『GNK』のメンバーは一〇〇〇人だが、あらゆる分野でのヒーローが名を連ねている。
あっという間にその名は世間に知れわたった。
ヒーローたちはSchool Departmentに所属し啓蒙活動を始めた。
そしてArmy Department は黒人将校たちの仲間が約六〇〇名、誓約書にサインした。
もちろんその名前は極秘だ。世界各国の兵士の将校クラスが名を連ねていた。軍隊は司令官に心酔する部下たちで構成されているから、司令官のためなら命を投げ出す覚悟の連中だ。一人の司令官の命令で何千何万の軍隊が武器とともに動く。『GNK』は何百万の軍隊を保有している大軍事国家と同じパワーを持っている組織になった。
一方School Department に所属するヒーローたちは逆に堂々と『GNK』のメンバーであることを自ら公表した。
彼らは、マスコミに事実無根のでたらめな報道でひどい目にあっているから、彼らからの取材を一切拒否し『GNK』独自の有線デジタルTV、新聞、雑誌、インターネットを持ち、そこから大衆に発信を始めた。
その発進は世界に怒涛の拡がりを見せ、戦後、国家意識を喪失した日本国民の本来保有している強烈なナショナリズムに火をつけた。
戦後、何度か日本国民がナショナリズムに目覚めかけた時期があったが、その都度国家権力の名の下、特権支配階級に力ずくで潰されてきた。
しかし、今School Departmentの人たちがやっている運動をArmy Department がその強烈な力で支えているから妨害活動はまったくできない。
ますます『GNK』の運動は世界中に拡がっていった。
北アフリカのイスラム原理主義の下に、世界帝国主義を敵視してきた国の元首である陸軍大佐からも応援のメッセージが送られてきた。
中東で一番激しい国で世界を相手に戦争をした大統領からも送られてきた。
彼らが旧年の敵としてきた相手は、古代から同じセム民族の同胞ではなく、同じ宗教に改宗した中央アジアにいた白人系民族たちであると言明していたことを知って、ルノーは今さらながら人種主義が人間の争いの根源であり、その人種主義をつくった白人人種たちの罪の大きさに驚愕した。
各国からのメッセージの中にルノーが十六才から十八才まで古代オリエント文明を勉強したいと言って留学していたイランの友人たちからのものも入っていた。
久しぶりのファルシー(ペルシャ語)の手紙に、是非ともイランに来て『GNK』の精神をみんなに訴えて欲しいと書いていたのを読んで
「もう七年以上も前だな」
と懐かしさが込み上げてきて一度行ってみたいと思うのだった。そこにルノーの人生最大の舞台装置が待ち受けているとは知らずにテヘランの町のパーレビ通り(革命後ホメイニ通り)を流れる小川やコムの郊外に広がる、干上がった真っ白な塩水湖に思いを馳せているのだった。



第三楽章 〜第十三章 ナタリーの悲しみ〜



『GNK』の活動は主にSchool Department の啓蒙活動でArmy Departmentはその護衛役で、実際にらみをきかせているだけで十分効果があった。
ルノーもArmyのリーダーのチャンピオンもそのことに満足していた。
Armyが出動するようなことは出来たら無いに超したことはない、というのが全員の願いだった。
しかし、一度啓蒙活動の最中に大がかりな妨害にあったことがある。黒幕は国家機関なのか、それとも反社会勢力なのか分からなかったがSchool Departmentのメンバーを襲ってきたことがあった。その時のArmy Departmentの動きはさすが見事だった。
妨害させる隙を一切与えず、一瞬のもとにしりぞけた。
その時の妨害勢力の驚きと恐怖に震える様は、ルノーは今でも忘れられない。
「力には力で対抗するのが正義だなぁ」
とつくづく感じた。
それ以来、妨害活動はなくなった。
School Departmentの集まりをルノーの大学でやろうということになった。
みんな忙しくて、最初の二五人のメンバーが一同に集まるということはほとんどなかった。
みんな久しぶりの集まりを楽しんでいた。
ナタリーは、ルノーの世話を献身的にすることに喜びを感じていた。
ルノーが行くところにはいつもナタリーが影にいて世話をした。
みんなが、それぞればらばらに雑談をしていた時、ルノーのそばに山の辺の道を案内してくれた女子学生がやってきてルノーに言った。
「先生があまりに忙しくて、お話しする機会がぜんぜんなくて。今いいですか?」
「ああ、いいよ」
と答えるルノーに
「ちょっと、ここではお話しできないのですが」
と言うのでルノーは
「それじゃ、わたしの部屋で聞こう」
と言ってふたりで会場を出てすぐそばにあるルノーの部屋に入った。
真暗な部屋に入ると数人の人の気配がしたルノーは
「誰だ!そこにいるのは!」
と大きな声で叫んだ。
顔を黒い頭巾で覆った三人の賊がふたりを押し倒して部屋を出て逃げて行った。
女子学生は恐怖でルノーの胸に抱きついていた。ルノーも彼女を一瞬抱いていた。
叫び声を聞いた人たちが、何事が起こったのかとルノーの部屋に入ってきた。
ナタリーも一緒に入ってきたらルノーが女子学生と抱き合っている。
顔から血の気が引いたナタリーの顔をルノーは見た。
何か言おうと思った瞬間、ナタリーは誰にも気づかれないようにそっとその場を去った。
ルノーはナタリーを追いかけようと思ったが事態が事態だけにみんなに説明する必要があった。
事の次第を知ったメンバーは
「やはり気をつけないといけないなぁ」
と言ってまた会場に戻った。
ルノーはナタリーを探したが、もうそこには彼女の姿はなかった。
それから一時間ほどで、お開きになって先生といっしょに帰路についたとき、
「ナタリーは先に帰ったのかね」
と言う先生に
「そうだと思います」
とルノーは返事しながら、頭の中は不安でいっぱいだった。
家に着くと灯りがついていない。
ルノーはナタリーの性格を知っているだけに事の成り行きをある程度予想していた。
「ナタリーはまだ帰っていないようだね」
という先生に
「はあぁ」
と、なま返事をしながら急いで自分の部屋に入った。
電気を点けると、机の上に一枚の便せんが置いてあった。
おそるおそるルノーはその便せんを見た。
「ルノーへ、アメリカへ行きます ナタリー」
それだけだった。
ルノーは呆然とその場に膝から崩れおちた。