第七章 新しい経済システム(2)

金利が介入しない経済行為

経済の中で金融システムというのはいわば血管であり、血管の中を流れる血液がお金だと言われるように、お金というものがスムーズに流れずに滞ってしまうと、金融システムは動脈硬化を起こし深刻な病気を誘発してしまいます。
今の日本経済に目を向けますと、正に1400兆円とも言われる金融資産と1200兆円を超える財政赤字により、お金の流れは大きな障害を受け深刻な病に陥っている。
この深刻な動脈硬化を根本的に改善治療し、血行を良くするには、常にどんな関係であろうとも、国・企業・個人それぞれがお互いに貸し借りゼロの状態にしておくことが大切です。
拝金主義に染められた現代社会においては、猫も杓子も少しでも多くのお金を所有しようと血眼になっています。
元来お金というものの本質は、物と物を交換するときにその価値を表示する尺度であります。
実生活において本当に必要となるのは物資(物)であり、お金がいくらたくさんあっても、お金(貨幣)自体では何も出来ません。
お金がお金を生む資本主義の根本に金利の概念があり、資本主義の極致現象が拝金主義であり、拝金主義の最も洗練された形態であるマネーゲーム−金融派生商品(デリバティブ)−に代表されるように、実体のないバブル(仮想貨幣)が横行している現代社会です。
物々交換の手段だったはずのお金自体が一人歩きしてしまい、生きていく為の生活物資には全く困らないはずの人が、マネーゲームで破産状態にまで追い込まれる。
「高度自由社会」では、実体のないもの、複雑でわかりにくいもの、客観的にみておかしいと思うようなことは、どんどん淘汰され、消滅していくでしょう。
物であれば、本当にその物自体にどれだけの価値があるのか、人であれば、その人自体がどれほどの価値ある能力を備えているのかということが、より鮮明に映し出される正に個人の時代がやってくるのです。
その為にはお金というものの本質は単なる利便性のある「交換手段」へと戻しておく必要があります。
キャッシュフローと言われるとおり、お金が常に流れを保ち、滞りが起こらないようなシステム、いわば常に「貸し借りゼロ」のシステムが必要となってくるでしょう。
お金自体に価値がなく、単なる交換手段になるということは、これまで金利というものによって保たれていた当事者同士の信用・信頼関係は全く成り立たなくなります。
つまり交換手段としてのお金の融通は、本当の物の価値や個人の能力(その人の徳力と言ってもいいでしょう)によって判断されることになるのです。
物が主体で、お金が従属体の社会では、金利の概念は存在し得ないわけで、金利の存在しないマネーゲームなど発生しようがなく、経済の循環システムとしての金融は、金利の伴なう融資ではなく、本来物による投資となって行くでしょう。
金利による信用から、その物・その人の本質による信用へ。
金利が介入しない経済行為が行える社会こそ、真の「高度自由社会」と言えるのです。

利益が介入しない経済行為

ゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)に変化した事によって支配・被支配二層構造の社会が生れた。
利益という概念が誕生したのは、将来への不安感つまり外敵から身を守る為の自己防衛意識による蓄積の観念から生じた。
近代になって誕生した企業の目的は、利益(資本家への配当や企業存続の為の蓄積)の追求がその本質であります。
組織である企業が利益を生み出す、つまり組織が利益を生む原点なのです。
組織の時代から個人の時代へ移り変わっていく「高度自由社会」では、利益追求型の組織(国家・企業)は消滅していくことになり、利益を追求しない個人のみが生き残っていくことになります。
利益追求の経済行為が冷戦の終わった二十世紀末頃より徐々に消滅しており、先進諸国のGDP(国民総生産)における営利事業の割合が減少傾向にあるのがその証左であります。
経済行為の変化の中で「NPO(Non Profit Organization)」といった非営利団体が注目されはじめています。
支配・被支配二層構造が生じることのない「高度自由社会」には、拝金主義からの脱却の切り札となる、利益の介入しない経済行為、つまり、ひとり一人が社会的使命を達成する事を目的とした経済行為が基本になっていくのです。