第四章 真の自由社会

見識ある政治・行政(世襲・相続との決別)

これまで述べてきた、目差すべき「高度自由社会」とは、制度・組織・国家という枠組みに束縛されることのない、飽くまで自立した個人の集まりで築く、本当に自由で公正な社会です。
そのために必要なのは、抜本的に世の中の仕組みを変えていくことでしょうが、その原点になるのは、やはり我々ひとり一人の意識改革であります。
現在の日本は拝金社会に埋没し、皆がお金を追い求めています。
お金があれば、ある程度のことは何でも解決できるという考えがある(世の中がそういう仕組みになってしまっている)からでしょう。
ところが、誰もが実生活に必要なもの以上を追い求めている。
未来の不安感に対する恐怖、つまり、常に安心・安全でありたいという将来に対する欲望がそうさせるわけです。
安全(安心)をより強く求める人々の採る行動が、徒党を組む、つまり、仲間(味方)をつくることです。
仲間の輪が強くなり大きくなっていくほど、安心感も大きくなっていくと感じているようです。
更に高じると、その仲間に対しても、自分にとって都合のよい、より身近なものほど大事にするようになります。
畢竟、無意識のうちに自分を取り巻く人間を、自分の都合の好いようにランク付けしてしまい、状況に応じて他人を区別してしまいます。
しかも、その区別に一貫性はなく、飽くまでも状況如何です。
仲間をつくるということは、同時に敵もつくるということに他なりません。
他人を自分の都合によって区別してしまう現代人のこの行動特性こそ、自立した個人・公正な社会を築くにあたっての最大の阻害要因になっている。
新しい社会を作り上げるには、我々ひとり一人が意識と行動特性をしっかりと見つめなおすと同時に、現在の個人の意識、社会の仕組みを変えるべく見識ある政治・行政の運営が不可欠であります。
自分の立場を守ろうとする意識・行為が働いている限り、天下りの問題、衆議院全体の4割近くにのぼる世襲議員が謳歌する、偏った現在の政局運営、畢竟、支配・被支配二層構造による富の一極集中現象はなくならないでしょう。
見識ある政治・行政の運営に向け最初に取り組むべきことは、他人を区別する行動特性を生み出す世襲・相続という概念を廃止することに尽きます。
逆に言えば、個人を自立させる仕組みづくりが必要になります。

気力の一生

「開放型自由社会主義」の根底に流れているのは、個人の目覚めと自立であります。
世襲・相続に拘泥しないで生きていくには自立心が不可欠です。
生きていく上で誰にでも必ず訪れる人生の岐路に立った時に、我々人間は知識があるがゆえに、どうしても困難を避け安易な道を選択してしまいがちです。
そのことは結局、また訪れるであろう岐路においても同じ容易な道への選択という鼬ごっこに嵌り込み、一生逃げ続ける人生になります。
困難な道を覚悟して敢えて進み、立ちはだかる大きな壁を前にしても引き返すことなく挑む。
跳ね返されても粘り強く何度も挑み、壁を乗り越える事が出来た時、今まで困難と思っていた事が困難でなくなり、延いては肉体的・精神的成長の糧となるのです。
茨の道を進むことは誰にでも出来る事ではありません。
気力を備えていなければ出来ない事です。
我々人間の生命エネルギー(Eran)とも言われる「気力」を養うには有言実行するしかないのです。
現代の日本の政治家に欠けているのがこの有言実行する「気力」ではないでしょうか。
気力の一生とは、独りの人間として人生を意識して生き続ける事であり、自らの個性に目覚め、使命を全うすべく完全燃焼する一生であり、本来の我々人間の姿がそこにあると思われます。

志操ある人生

現代社会は拝金主義に埋没していますが、お金の本来性は、交換する物がスムーズに流通(交換)出来るように考え出された人間の生活の知恵であり、社会活動を円滑にする為の機能であった筈です。
社会活動を円滑にする機能が働くには、社会における相互の信頼と責任が不可欠です。
お金の機能は、酸素・栄養分・老廃物を運ぶ血液と同じです。
自然界に生きる動植物は、必要量以上に自然界より栄養分を採ることはありません。
人間だけが、将来に対する不安感が理由で必要以上の栄養分を採り、貯えるのです。
必要以上の栄養分が溜まると、血液循環が悪くなり病気になります。
必要以上の栄養分を採ることを止めなければ、早晩死を覚悟しなければなりません。
現代社会はまさに血行不良の病に陥っているのです。
自然の摂理を守る社会づくりを目差さなければなりません。
自然の摂理を守る社会の一構成員になるには、自分自身が自立し、強い志(志操)を持たなければなりません。
自立するとは他者の存在を認め、他者との関係の中で自らを立たせることであり、自分自身が自然という全体の中の一構成員であることを態度で示すことに他なりません。
自分を豊かにするには全体を豊かにすることであり、全体が豊かになると自分も豊かになれるのです。
勇気を持って過去の価値観を捨て、新しい自由(「高度な自由」)を強く求める志(志操)を持つ人材が望まれます。
自由には責任が付きものです。
「高度な自由」には「高度な責任」が求められます。
気力・志操こそが「開放型自由社会主義」の根本精神であり、気力・志操ある人生を送ることが、「高度自由社会」を生きる人間の「高度な責任」だと言えるのではないでしょうか。