第三章 新代社会

開放型自由社会主義
差別や不条理が罷り通るようなこともなく、戦争もない平和な人間社会とはどんな社会でしょうか。
それは人類のみならず、地上に存在するすべての生き物が真の自由を獲得できた時に実現する、畢竟、支配・被支配二層構造のない社会であります。
高度自由社会の「高度自由」とは、従来我々が使ってきた「自由」とは根本的に違います。
「高度自由社会」とは、フランスの哲学者アンリ・ベルグソン、そして彼の弟子であったオーストリア生まれのイギリス人哲学者カール・ポッパーに引き継がれた考え方である開放型社会(オープン・ソサエティー)を准って開放型自由として、その基本的考え方を「開放型自由社会主義」とした社会のことであります。
開放型社会(オープン・ソサエティー)とは、「人間は必ず間違いを犯すものだから、間違いを犯したら速やかに反省し、反省したことを次の社会(Next Society)に生かすことが大事であり、そういった社会が理想である」とした考え方です。
我々人類がこのような開放型社会を実現し、都度反省していたら、過去そして現在なお続けられているような戦争を繰り返すようなことはなかったでしょう。
「高度自由」とは「開放型自由社会主義」によって実現されるべきだとの観点から、その詳細な考え方を、これから政治面、経済面、社会面で述べていきたいと思います。

真の主権宣言

「開放型自由社会主義」というテーマの重要な要素として、ここで改めて「主権宣言」を行います。
主権と聞いて最初に頭に浮かぶ言葉は「主権在民」でしょう。
それは文字通り「国家の主人は国民である」という考え方で、民主主義の基本であり、小学生でも知っている概念です。
しかしながら、実際にはその正反対である、「国家あっての国民」という状況が蔓延していることに異を挟む方はおられないと思います。
では国民を支配している国家の正体とは何でしょうか。
それは多数派の一般大衆を支配している、少数の支配者層のことです。
国家とは支配者層の隠れ蓑であり、法律はその手段・方便なのです。
人間社会だけにある支配・被支配二層構造を取り除き、真の自由を取り戻してこそ、はじめて「主権宣言」を果たしたことになるのです。
では現在の支配・被支配二層構造を支えている最大要因は何かと言えば、結局のところ、我々人間がお金以外の「ものさし」、価値判断基準を持たないところに尽きます。
お金・富の多寡に振り回されている限り支配者たちは安泰です。
この支配・被支配二層構造はひとり一人の人間が、従来と全く違う価値基準で行動することによって解消できます。
お金とは「豊かさ」の追求のための一手段です。
より多くの「豊かさ」を追求するがために、人間は他の動物を含む全ての自然をコントロールしようとしてきて、またそれが可能であると思い込んできました。
そこに全ての間違いの原因があったのです。
核兵器は地球を破壊することが可能です。
破壊は破壊でしかなくコントロールとは真逆です。
自分たちが暮らしているところを破壊して、生活できなくするようにすることをどうしてコントロールなどと呼べるでしょうか。
我々の行動が地球環境にどのような影響を与えるかを把握して、バランスをとりつつ、地球から受ける恩恵の最適効率化を図ってこそのコントロールであると思います。
誰にでも分かる理屈の筈ですが、それがなかなか上手く行かないところが人間の業の深さです。
新しい「ものさし」を作るに当たっては、卑小な人間社会の側面にのみ目を向けていては何ら進歩がありません。
嘗て太古の時代、自然を恐れた人類のように、もう一度畏敬の念を持って、地球、そしてそれをとりまく宇宙の成り立ちというものを見つめ直す必要があります。
キリスト教義の「予定説」にあるような、人間社会の善・悪、正・邪といった概念はそこでは全く通用しません。
宇宙はその原理・法則によってのみ動いているのであり、そこには人間社会の決め事など全く介在する余地がないのです。
人間は、自分たちより遥かに大きな存在を支配しようと踠いているに過ぎません。
これまでの上辺だけの自然支配の成功の結果肥大したエゴが、何者をも支配できるという妄想を産み出したのです。
この妄想が全てのバックボーンであり、支配欲の源泉となっています。
宇宙を支配するものは、他の人間を支配することも当然となるでしょう。
この妄想を叩き潰して、目を覚まさせる必要があるのです。
「主権宣言」とは、ひとり一人の人間が、この地球そして宇宙の法則の一構成員として生かされていることに改めて気付くことから始まります。
そうすれば、所詮大宇宙の中のちっぽけな存在でしかない人間が、その狭い世界の中で、自らの欲望のために、支配・被支配二層構造社会を構築していることが、如何に卑小なことか自ずと分かるはずです。
正に人間社会とは「井の中の蛙、大海を知らず」なのです。
支配者の採る手段は、利益誘導の甘い餌で被支配者を手なづけることです。
目の前の餌につられることなく、常に全体の中の自分を意識して行動することが出来れば自ずと支配者側は自滅します。
こうした人間本来の義務を果たしてこそ、「高度自由」という権利が獲得できるのであり、真の「主権」を宣言出来るのです。

憲法問題

諸外国は常に自国の憲法を見直し、その時代時代に合ったものにする努力を重ね、都度憲法改正を行っています。
各国の憲法制定後の改正回数を調べてみますと、アメリカ18回、フランス16回、ドイツ51回、イタリア14回、オーストラリア3回、中国3回、韓国9回となっています。
制定後62年間、ただの一度も改正されたことがない憲法は日本だけで、世界中を見渡してみても極めて異例なことです。
現在の日本国憲法は、制定後一度たりとも改正されたことがないと申しましたが、歴史を遡ってみますと日本の国家憲法が改正されたのは、歴史上たったの3回です。
聖徳太子が制定した十七条憲法が日本国家として初めての憲法であり、この憲法は江戸時代まで続きました。
その間に大宝律令や大化の改新、武家政治による武家諸法度などがありますが、これらはあくまで現代流に言えば、新旧法律の改定であって、憲法の改正ではありません。
そして明治維新によって明治天皇が制定した五カ条の御誓文に基づく新しい明治憲法が2回目です。
この憲法は太平洋戦争でアメリカに敗戦するまで続きました。
そして現在の日本国憲法です。 
アインシュタインが『日本が人類歴史の始まりの地であり、日本で始まり、日本で終わる』と1922年に日本から世界に発したメッセージを、当時のフランクリン・ルーズベルト米国大統領が本気で捉えたのを受けて、戦後アメリカ政府がこのことを重視し、白人による世界支配をする為には、日本という国を封印しておかなければならないと考えた上で作り上げられたものなのです。
当時、この憲法を立案・制定したGHQ司令官のマッカーサー元帥は、その後の自叙伝で「あの憲法は悪魔の憲法だった」と洩らしているのです。
その悪魔の憲法を、金科玉条のごとく改正しようとしない政治家が多数いるのが現状なのです。
戦前の日本人精神が敗戦によって凋落の一途を辿って、「一億総無責任体制の国」日本が誕生したのは決まっていたプログラムであり、そのプラグラム通りに進んでいるのが現実と言えるのではないでしょうか。
最近になって、日本国憲法を立案・制定した当事者であるアメリカの政府高官が、日本国憲法の改正を認めるような発言を行っております。
今こそ我々日本国民がこの憲法問題にもっと関心を持ち、憲法改正の機運を高めていくべきです。
憲法改正によって初めてアメリカからの自立が可能になり、自己完結できる自立国家となるのです。
いつまでも他人に頼る人生を送っていては腑抜けになってしまいます。
それは、個人も国家も同じことなのです。