第二十三章 究極の考え方

究極の「考え方」(1)
“自分もいつか必ず死ぬ”という死の概念。
過去・現在・未来という時間の概念。
人間の上位に君臨する神の概念。
死の概念=時間の概念=神の概念という自己矛盾も甚だしい、とんでもない錯覚を当たり前のように考えて生きてきた「考える葦」人間は、考え方を変えることでしか四苦八苦から逃れることはできません。
イデオロギーは、「在り方」で生きている他の生き物には無用の長物に過ぎないが、「考え方」で生きている人間には極めて有用であります。
宗教の限界は、「在り方」ばかりに拘泥して、イデオロギー(考え方)、つまり、哲学を無視する点にあります。
政治の限界は、イデオロギー(考え方)、つまり、哲学ばかりに拘泥して、宗教、つまり、「在り方」を無視する点にあります。
政治と宗教は二律背反する二元要因に他なりません。
正しい二元論とは、一枚のコインの表面と裏面が補完関係にあることです。
間違った二元論とは、一枚のコインの表面と裏面が対立関係にあることです。
政治(哲学)と宗教が統合されたのが「二十一世紀のイデオロギー」に他なりません。

究極の「考え方」(2)
“自分もいつか必ず死ぬ”という死の概念は、間違った死の観念に他ならない。
過去・現在・未来という時間の概念は、間違った時間の観念に他ならない。
人間の上位に君臨する神の概念は、間違った神の観念に他ならない。
概念とは、間違った観念に他なりません。
観念とは、正しい概念に他なりません。
概念とは、「考え方」と言い換えてもいいでしょう。
観念とは、「在り方」と言い換えてもいいでしょう。
従って、
概念(「考え方」)とは、間違った観念(「在り方」)に他なりません。
観念(「在り方」)とは、正しい概念(「考え方」)に他なりません。
地球という惑星は、四十八の法則、つまり、十六通りの「二元論」、十六通りの「在り方」と「考え方」、十六通りの「全体と部分の相対性の法則」に則して存在しています。
人間という有機生命体の最も進化した生き物が「考える葦」に成り得たのは、まさに、十六通りの「在り方」と「考え方」が、観念と概念に形を変えたことの結果であると言えます。
では、正しい概念(「考え方」)である観念(「在り方」)とは如何なるものでしょうか。
“生と死は同じで、死が本質であり、生は死の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“オスとメスは同じで、メスが本質であり、オスはメスの不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“善と悪は同じで、悪が本質であり、善は悪の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“強と弱は同じで、弱が本質であり、強は弱の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“賢と愚は同じで、愚が本質であり、賢は愚の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“富と貧は同じで、貧が本質であり、富は貧の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“幸福と不幸は同じで、不幸が本質であり、幸福は不幸の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“天国と地獄は同じで、地獄が本質であり、天国は地獄の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“健康と病気は同じで、病気が本質であり、健康は病気の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“神と悪魔は同じで、悪魔が本質であり、神は悪魔の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“支配者と被支配者は同じで、被支配者が本質であり、支配者は被支配者の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。

究極の「考え方」(3)
概念(「考え方」)とは、間違った観念(間違った「在り方」)に他ならない。
観念(「在り方」)とは、正しい概念(正しい「考え方」)に他ならない。
概念とは、知識と言い換えてもいいでしょう。
観念とは、知恵と言い換えてもいいでしょう。
従って、
知識(概念=「考え方」)とは、間違った知恵(間違った観念=間違った「在り方」に他なりません。
知恵(観念=「在り方」)とは、正しい知識(正しい概念=正しい「考え方」)に他なりません。
人類は、知性を得たが故に知識(「考え方」)、つまり、間違った知恵(間違った「在り方」)の生き物に成り下がってしまったのでしょうか。
他の生き物は、知恵(「在り方」)で生きていますが、正しい知識(正しい「考え方」)で生きているわけではありません。
知恵(「在り方」)は、絶対一元論の世界です。
知識(「考え方」)は、相対二元論の世界です。
正しい知識(正しい「考え方」)は、絶対三元論の世界です。
絶対一元論→相対二元論→絶対三元論が円回帰運動です。
従って、わたしたち人間の進むべき道は、知恵(「在り方」)の生き方をする絶対一元論の世界ではなく、正しい知識(正しい「考え方」)の生き方をする絶対三元論の世界です。
絶対一元論は知恵の世界ですが、絶対三元論は知識の世界です。
絶対一元論は感性の世界ですが、絶対三元論は知性の世界です。
わたしたち人間は、知恵を志向するのではなく、正しい知識を志向するべきです。
二十一世紀には旧来の宗教は消滅すると主張する所以は、旧来の宗教は知識よりも知恵を志向してきたからです。
形而上学である宗教と、形而下学である科学が統合されない限り、正しい知識の絶対三元論の世界に入ることは出来ません。
概念(間違った知識=間違った「考え方」)の生き方をしているわたしたち人間は、間違った相対二元論、つまり、好いとこ取りの相対一元論の世界に足踏みしているから、支配・被支配二層構造の世襲・相続制度社会に拘泥し、差別・不条理・戦争を続けているのです。
差別・不条理・戦争のない真の平和な社会を実現するには、わたしたち人間ひとり一人が正しい「考え方」で生きなければなりません。