第十八章 地球への懺悔

五観
“死は随所にある”ことを感じる『今、ここ』という虚時間の体内時計。
“死はいつか必ずやって来る”ことを考える過去・現在・未来という実時間の時計。
二つの時間の目盛りを表わす二つの時計。
体内時計と体外時計と言い換えてもいいでしょう。
野生の生き物は、時間の観念を持ち、体内時計を肉体全体で感じている。
わたしたち人間だけが、時間の概念を持ち、体外時計を五感で観ている。
観念とは全体感に他ならない証左であります。
概念とは部分観に他ならない証左であります。
「在り方」とは全体感に他ならない証左であります。
「考え方」とは部分観に他ならない証左であります。
感じるとは「在る」ことであります。
観じるとは「考える」ことであります。
つまり、
五感とは観じるものであり、感じるものではありません。
肉体とは感じるものであり、観じるものではありません。
五感ではなくて五観であります。
これも人間が錯覚してきた大きな問題です。

五感と五観
視覚器官である二つの目。
聴覚器官である二つの耳。
嗅覚器官である二つの鼻。
味覚器官である一つの舌。
触覚器官である全身の肌。
肉体の外皮にあたる部分がいわゆる五感です。
つまり、自分と他の境界線にある器官で、自他の区分けをする器官が五感であるわけです。
自他の区分けをする器官とは、全体感を感じる器官ではなく、部分観を観じる器官であるわけですから、五感ではなく、五観でなければなりません。
感じるとは「在る」ことである所以です。
観じるとは「考える」ことである所以です。
要するに、わたしたち人間は肉体で感じ、五観で考えている動物だと言ってもいいでしょう。
わたしたち人間は、大脳で考えているわけですが、五観で受信した外部情報を先ず大脳新皮質で一回目の振り分けをして、更に大脳古皮質で二回目の振り分けをして、各器官に伝達される。
一回目の振り分けが「考える」ことで、二回目の振り分けが「在る」ことです。
理性(新皮質)が本能(古皮質)を抑えているわけです。
他の生き物は、五感で受信した外部情報を大脳古皮質で振り分けをして各器官に伝達される。
まさに本能だけの「在る」だけです。
従って、他の生き物は五感によって他者との全体感を感じているわけですが、わたしたち人間は五観によって他者との差別観(部分観)を観じているわけです。
五感なら自他の区分けは起こらない。
五観だから自他の区分けが起こる。
『今、ここ』という体内時計と過去・現在・未来という体外時計のギャップは五感(五観)の所為であるわけです。
拙著「神はすぐ傍」Chapter 38 (生命とは)で、五感が自他の区分け機能であることを詳しく述べていますので、以下紹介しておきます。

神はすぐ傍 Part (II)
Chapter 38 生命とは
我々が住む地球上には、有機物と無機物があります。
有機物とは原子番号6の炭素Cを含んだ化合物のことを言い、1000万種類の有機物が確認されています。
生命体とは、まさに有機物で構成している物体を指すわけですが、地球が誕生した約46億年前から11億年後の35億年前に単細胞生命体が誕生しました。
そして26億年前に緑色植物が光のエネルギーを吸収して二酸化炭素から他の生物の栄養物となる有機物を合成する光合成が起こり本格的有機生命体が誕生する基盤ができていったのです。
それから16億年が経過した10億年前に、単細胞生命体の細胞が原核細胞という核膜のない一重の細胞であったのに対し、内と外の二重構造になった真核細胞の生物が誕生することでいよいよ我々のような多機能生命体の基本である多細胞生命体が8億年前に誕生したのです。
従って、地球の歴史は、46億年前から35億年前が無機物の世界で、35億年前に初めて単細胞の有機物が誕生しましたが、我々のような有機生命体が誕生したのは、まだ8億年前のことであり、地球の生命体としての歴史は、単細胞生物の歴史と言っていいでしょう。
今注目されているDNAというのは、生物の遺伝子を構成している高分子化合物であるDeoxyribo Nucleic Acid(デオキシリボ核酸)のことで、真核細胞の持つ二層の膜に包まれた核の中に閉じ込められる為、他の細胞質から隔離された固有の情報を持つことが可能になったのが遺伝子情報というものであります。
我々のような多機能有機生命体は多細胞生物で、内側と外側に分ける核膜ができた真核細胞の誕生によるところ大きく、真核細胞が誕生した結果、その2億年後に、現在の動物の祖先である有機生命体が誕生したといっていいでしょう。
従って、単細胞生命体のいる地球が約46億年の内38億年続き、その後やっと多細胞有機生命体の時代になって現在に至っているのが、生命体のいる地球の歴史と考えたらいいでしょう。
どのようにして、地球に生命が誕生したのかは、以上述べた通りですが、それでは生命とは一体何でしょうか。
基本的には
1)膜があり、外界と内側が区切られている
2)内外でエネルギー代謝がある
3)内外で物質代謝がある
4)内外で情報のインプット・アウトプットがある
という構造を持つことで、独自の内的環境を外的環境に対し一定に保つ生きたメカニズムを生命と言うのです。
平たく言えば、我々の肉体の表面の皮膚がその膜であり、膜の内側つまり内的環境が我々の生命体である肉体で、外的環境が大気であり、その境界を細胞の膜で区分けしているから、肉体があるわけです。
そしてこの生命体の真核細胞の中に閉じ込められた遺伝子情報は、時間の矢である、心理的時間の矢と、エントロピーの時間の矢の時間軸で見ると、時間を超えて、次から次へとコピーされては次の世代に受け継がれていく、情報系メカニズムと考えていいでしょう。
母親の胎内で誕生した胎児の十月十日の間に、単細胞生物から人類までの進化情報をベースに体現しているのが、解り易い例でありましょう。
35億年間に亘る生命体の進化が、十月十日に凝縮される。
惑星によって、寿命が変わっていくのと同じ原理で、生命体の進化が地球レベルでは35億年であるのが、人間レベルでは十月十日になるのです。
時間というものは、それほどに自在であるのです。

地球への懺悔
“死は随所にある”ことを感じながら生きている野生の生き物は五感で自然との一体感を感じている。
自然、つまり、地球のことを母なる大地と信じている。
“死はいつか必ずやって来る”ことを考えながら生きているわたしたち人間は五観で自然との部分観を考えている。
自然、つまり、地球のことを搾取の対象と考えている。
土地を自分たちのものだと思い領土争いをする。
金や石油を掘り起こしては金儲けの手段に利用して、挙句の果てに、その利権争いのために戦争をする。
放射性元素を利用して原子爆弾をつくり、核実験という名目で数え切れないほど地球を傷つける。
人間はまさに地球を搾取の対象と考えていると言われても仕方ない。
その張本人は、政治家と経済人と科学者であります。
宗教者も彼らに与した輩です。
つまり、権力と金力と名誉を貪る連中であります。
こういった連中がトップに立つ人間社会を、地球はもう許してくれません。
やはり、人間の根本的価値観を変えなければならない。
その鍵は、“死はいつか必ずやって来る”という支離滅裂な考え方から、“死は随所にある”という考え方に変えることにあるのです