第十七章 地球の今の想い

地球の今の想い

このまま人類が悪循環現象を続けるなら、地球は必ず人類を排除しに掛かります。
自己の身体に異変が生じると、自己の自然治癒力が異変箇所を排除しに掛かります。
地球の身体に異変が生じると、地球の自然治癒力が異変箇所を排除しに掛かります。
わたしたち人間は地球から生まれたのですから、わたしたち人間の肉体や想いの機能は、地球の肉体や想いの機能から生まれたと言っても過言ではありません。
従って、わたしたち人間の肉体が反応するようなことは地球も反応するということを決して忘れてはなりません。
従って、わたしたち人間の想いが反応するようなことは地球も反応するということを決して忘れてはなりません。
他の生き物たちは、地球(自然)の法則、つまり、絶対一元論に従って生きています。
わたしたち人間だけが、知性を得たため、つまり、相対二元論に従って生きています。
更に問題は、
わたしたち人間だけが、人間社会の間違った法則、つまり、好いとこ取りの相対一元論に従って生きていると錯覚しています。
相対二元論は絶対一元論が自己完結する絶対三元論に到達するための過程、つまり、必要善に他ならないのに、わたしたち人間は好いとこ取りの相対一元論という逸脱した過程、つまり、必要悪に踏み込んでしまっているのです。
必要善は存在を認められていますが、必要悪は必ず排除されます。
わたしたち人間にも、誕生・生・死というサイクル(これを円回帰運動と呼びます)があるのは、宇宙全体が誕生・生・死という円回帰運動をしているからです。
絶対一元論・相対二元論・絶対三元論も円回帰運動に他なりません。
従って、
好いとこ取りの相対一元論、つまり、“生が好くて死が悪い”という間違った二元論から、本来の相対二元論、つまり、“生と死は同じで、死が本質であり、生は死の不在概念に過ぎない”という相対二元論の生き方に軌道修正しない限り、人類は地球から必ず排除されるでしょう。

好いことと悪いこと

“生が好くて死が悪い”と考えて生きている限り、わたしたち人間の未来はありません。
“・・・が好くて・・・が悪い”といういわゆる好いとこ取りをする生き方を当然のように思ってきたわたしたち人間。

“健康が好くて病気が悪い”
この考え方を当然のように思ってきたわたしたち人間だけに病気がある。
野生の生き物には病気は一切ありません。
従って、彼らの死に方は自然死だけです。
彼らは“生が好くて死が悪い”という考え方など持っておらず、“生も死もない”という生き方(在り方)をしているから、“健康が好くて病気が悪い”という考え方など持っておらず、“健康も病気もない”という生き方(在り方)をしている。
だから病気など無縁です。
だから健康など無縁です。

“富が好くて貧が悪い”
この考え方を当然のように思ってきたわたしたち人間だけに貧乏がある。
野生の生き物には貧乏は一切ありません。
従って、彼らの死に方は自然死だけです。
彼らは“生が好くて死が悪い”という考え方など持っておらず、“生も死もない”という生き方(在り方)をしているから、“富が好くて貧が悪い”という考え方など持っておらず、“富も貧もない”という生き方(在り方)をしている。
だから貧乏など無縁です。
だから富など無縁です。

“幸福が好くて不幸が悪い”
この考え方を当然のように思ってきたわたしたち人間だけに不幸がある。
野生の生き物には不幸は一切ありません。
従って、彼らの死に方は自然死だけです。
彼らは“生が好くて死が悪い”という考え方など持っておらず、“生も死もない”という生き方(在り方)をしているから、“幸福が好くて不幸が悪い”という考え方など持っておらず、“幸福も不幸もない”という生き方(在り方)をしている。
だから不幸など無縁です。
だから幸福など無縁です。

“神が好くて悪魔が悪い”
この考え方を当然のように思ってきたわたしたち人間だけに悪魔がある。
野生の生き物には悪魔は一切ありません。
従って、彼らの死に方は自然死だけです。
彼らは“生が好くて死が悪い”という考え方など持っておらず、“生も死もない”という生き方(在り方)をしているから、“神が好くて悪魔が悪い”という考え方など持っておらず、“神も悪魔もない”という生き方(在り方)をしている。
だから悪魔など無縁です。
だから神など無縁です。

“・・・が好くて・・・が悪い”という考え方を持っているから、“悪い・・・”に苛まれるのです。

時間の目盛り

“死は随所にある”
野生の生き物にとって常識である。
まさに、死の観念とは『今、ここ』という時間(垂直世界の虚時間)の観念に他ならない証左であります。
野生の生き物が持っている体内時計の目盛りは虚時間の目盛りである。
従って、死の観念とは虚時間の観念、つまり、『今、ここ』に他なりません。
“死は随所にある”証左であります。
食べたいから食べ、眠たいから眠り、セックスしたいからセックスする。
それらの欲望は体内時計の目盛りである虚時間に基づいて発生するもので、未来という目盛りである実時間に基づいているものではありません。
だから、明日のための糧、明日のための睡眠、明日のためのセックスの意識など一切ありません。
一方、
“死はいつか必ずやって来る”
知性を得た生き物・人間の常識である。
まさに、死の概念とは未来という時間(水平世界の実時間)の概念に他ならない証左であります。
わたしたち人間が持っている時計の目盛りは実時間の目盛りである。
従って、死の概念とは実時間の概念、つまり、過去・現在・未来に他なりません。
“死はいつか必ずやって来る”証左であります。
午前7時になったから起きたくもないのに無理やり起き、午後0時になったから食べたくもないのに無理やり食べ、午後10時になったから眠たくもないのに無理やり眠ろうとし、午後10時に無理やり眠るために無理やりセックスする。
それらの欲望は時計の目盛りである過去・現在・未来という実時間に基づいて発生するもので、『今、ここ』いう目盛りである虚時間に基づいているものではありません。
だから、明日のための糧、明日のための睡眠、明日のためのセックスをし、挙句の果てに、明日のための差別・不条理・戦争に明け暮れるのであります。