第一章 新しい時代(“新代”)

新しい時代のものさし(1)

この章のタイトルでもある「ものさし」とは、豊かさを測る「ものさし」のことです。
現代拝金主義社会の豊かさを測る「ものさし」、すなわち価値基準は正に「お金」です。
お金の量で豊かさを測り、その大小を競うことに血道をあげている現状は正に末期的です。
お金の有無によって、人間を「勝ち組」と「負け組」に振り分けることに誰も異を唱えないといった様相は愚の骨頂としか言いようがありません。
「お金」がこのように唯一無二の「ものさし」になぜ成り得たのでしょうか。
それは「豊かさ」の追求が、ある時点でバランスを失ったからです。
「豊かさ」を求める過程は、特に近代における人類の発展の歴史とちょうど合致するわけで、いわゆる物質的な欲望の追求に重きが置かれ続けた時代だったのです。
「衣食足りて礼節を知る」という古い諺にもあるように、まず生存の基盤を確固たるものにすることが重要なのは誰にでも分かる理屈です。
しかし一方で、宗教の持つ古い歴史が示すように、人間には精神的な充足も必要です。
「人はパンのみにて生きるにあらず」です。
ルネッサンス以降、自然科学が発展して、物質文明の発展に寄与したように、それと並行して、精神的な「豊かさ」を求める運動、真の個人の確立(独立)を求める動きが起こっていれば、現在の様相は全く違ったものになっていたでしょう。
実際には、物質的な「豊かさ」を求めることにのみ専心してきたのが人類の近代史であり、目的達成の最も効率的な手段として組織の強化に力を注ぎ、その過程で人類は組織に束縛され、結果「お金」以外の価値観を喪失しながら現在に至ったのです。

新しい時代のものさし(2)

物質的欲望以外の「豊かさ」とは何かを明確に定義して、それを求めるための実践をして、精神面と物質面の均衡のとれた生活を送るようにすることが必須であります。
「豊かさ」を定義するということは、何が欲しいか・必要かを認識することで以って「豊かさ」を測る「ものさし」を持つことが出来るのです。
新しい時代への節目に生きている我々には、本質的なことに気づくのはなかなか難しいですが、個人の独立、特に組織からの独立が鍵であることは間違いありません。
我々は何らかの組織に所属して、そのルールに束縛されて生きています。
組織のルールに従うことで、自らの生存を確保できる一方で、個人の欲求は制限され、誰もが何らかの葛藤を抱えて生きています。
個人差はあるでしょうが、組織のルールを全て抵抗無く受け入れられる人間などおらず、組織というものは人間が作ったものでありながら本質的に人間性にそぐわないものがあるのです。
人間はなぜ組織に束縛されねばならないのでしょうか。
我々がジレンマを感じている組織のルールは、最低限の生存条件に関わるものではなく、それ以上の物質的欲望を満たすための組織に属することの代償に他なりません。
この欲望の追求が諸悪の根源である以上、そうした組織の存在意義を再検証してみる必要があります。
新しい時代への節目において、「豊かさ」のものさしと成り得るのは、如何に利益追求型組織から距離をおいて自立し自由に生活するかという点にあるのです。

自立と自由

これからやってくる社会においての新しいものさしが示される事は非常に重要な意味を持ちます。
価値観をベースにしたそれぞれの判断基準は、他人つまり組織から与えられた基準によるものではなく、また自分自身を中心に据えて利己的に考えた基準でもない、全体の中の部分すなわち一構成員である自己をしっかりと認識した上で考えられる事です。
他人から与えられることは延いては他人を意識することにより、自分の本音との矛盾を束縛に感じる事が積み重なる結果、他人に対する敵意が生れ、ときには争いにまで発展してしまう。
一方、自分自身を中心に据え利己的になると、周りとのギャップに孤立感を持ち、同じように敵意を生んでしまう。
自分自身を中心に考える事が一見自立しているように思われますが、実はそうではありません。
まず全体をよく見渡し、全体の一構成員である自分の真の役割は何であるかを見出した中で、浮き彫りになった「ものさし」で測る。
自己の真の役割を発見し、しっかりと認識し、行動することを自立と言い、自立によって目に見えない束縛からの解放を得てはじめて真の自由と言えるでしょう。
全体が何であるかということも重要なのですが、我々人間だけでなく地球全体、さらには宇宙観を持ち、自然の摂理に沿って考えることが大切なのです。
出来る限り高く、広い視野で以って全体を捉えることが出来るようになれば、どんな人間であっても共有の「ものさし」たるものを持つことが出来るのです。
変革の二十一世紀に既に入っている中で、一刻も早く我々一人ひとりが自立と自由に目覚めなければなりません。