第四章 人間喪失の日本人

眠りこける日本人
現代日本人は、日本人としてのアイデンティティー(日本人意識)喪失と共に、自己のアイデンティティー(意識)をも喪失してしまったようです。
日本人としてのアイデンティティー(日本人意識)は、逆に言えば、差別・不条理や戦争の元凶である国家意識(民族意識)を強めるリスクもありますが、自己のアイデンティティー(意識)喪失は、人間喪失の危険を抱えた大きな問題です。
そのことを色濃く象徴しているのが、日本人の運転マナーが画一化しだした点に如実に顕れているわけです。
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)は、国家、社会、会社、家族といったアイデンティティー(意識)を醸成し、逆に、自分(個人)のアイデンティティー(意識)を喪失させます。
逆に言えば、
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)の喪失は、国家、社会、会社、家族といったアイデンティティー(意識)を喪失させ、逆に、自分(個人)のアイデンティティー(意識)を醸成させます。
つまり、グループ(組織)のアイデンティティー(意識)と、自分(個人)のアイデンティティー(意識)は二律背反するものだったのです。
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)は、古代、中世、近代、そして、現代と引き継がれてきた文明社会の中の特に近代社会の特徴でした。
近代社会が戦争に明け暮れたのは、まさしく、国家意識(民族意識)が高じた結果であることは明白で、二十世紀後半に入ってグローバリズム(世界一国家主義)が台頭しだしたのは、国家意識(民族意識)が戦争の元凶であることを人類が知ったからであり、グローバリズム(世界一国家主義)と国家意識(民族意識)が二律背反するものだからです。
ところが、現代日本人は、日本人としてのアイデンティティー(日本人意識)喪失と共に、自己のアイデンティティー(意識)をも喪失してしまった。
その原因が、
(1) 超拝金主義・・・・・一億総日本人が“お金がすべてだ!”と信じる。
(2) いじめ現象・・・・・一億総日本人が“いじめられる”のを怖れる。
(3) 没個性現象・・・・・一億総日本人が“みんなで渡れば恐くない”。
であることは間違いありません。
日本人としてのアイデンティティー(日本人意識)喪失が、超拝金主義、いじめ主義現象、没個性現象を生み、挙句の果てに、自己のアイデンティティー(意識)をも喪失させてしまったわけです。
二十世紀までの近代・現代社会の常識が二十一世紀には通用しなくなった証左であり、「新しい社会」が到来した証左でもあります。
日本人としてのアイデンティティー(日本人意識)の喪失は、日本という国家を喪失させる危険性を孕んでいますが、自己のアイデンティティー(意識)の喪失は地球存亡の危険性を孕んでいるのです。
地球温暖化といった地球環境問題が二十一世紀に入って浮上しだしたのは、人間社会だけの問題だった差別・不条理・戦争が、地球問題、つまり、グローバルな問題にまで発展したからに他ならないのです。
この最大の原因が、人間の数が異常に増えすぎた点にあることは言うまでもありません。
人間の数が異常に増え過ぎたことが自己のアイデンティティー(意識)の喪失を醸成させ、人間社会だけの問題だった差別・不条理・戦争が、地球問題、つまり、グローバルな問題にまで発展させたのです。
つまり、個人としての眠りこけた意識が、地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こしているのです。

新しい常識
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)と、自分(個人)のアイデンティティー(意識)は二律背反する。
二十世紀までの常識でした。
言い換えれば、
「組織の時代」であった二十世紀までの近代・現代社会では、グループ(組織)のアイデンティティー(意識)が自分(個人)のアイデンティティー(意識)を凌駕していたために、グループ(組織)のアイデンティティー(意識)の罪的側面である差別・不条理・戦争が横行する社会でした。
ところが、二十一世紀に入って、「組織の時代」から「個人の時代」に変化しだしたら、自分(個人)のアイデンティティー(意識)がグループ(組織)のアイデンティティー(意識)を凌駕して差別・不条理・戦争がなくなると思いいきや、差別・不条理・戦争が人間社会だけに止まらず、地球規模にまで発展してしまったのです。
二十世紀までの常識、つまり、古代、中世、近代、そして、現代と引き継がれてきた文明社会の常識が通用しない時代、つまり、「新しい時代(新代)」が登場したからです。
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)と、自分(個人)のアイデンティティー(意識)は二律背反する。
二十世紀までの常識でした。
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)と、自分(個人)のアイデンティティー(意識)は補完関係にある。
二十一世紀からの常識です。
二十世紀までの人間社会が錯覚の社会であった証左であります。
二十一世紀からの人間社会が目覚めた社会でなければならない証左であります。
アイデンティティー(意識)の正体がエゴである所以です。
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)とはグループ(組織)のエゴに他なりません。
自分(個人)のアイデンティティー(意識)とは自分(個人)のエゴに他なりません。
二十世紀までの「組織の時代」では、
国家意識(民族意識=地縁・血縁意識)というグループ(組織)のアイデンティティー(意識)が、差別・不条理・戦争を惹き起こしてきたわけです。
会社意識(地縁意識)というグループ(組織)のアイデンティティー(意識)が、差別・不条理・戦争を惹き起こしてきたわけです。
家族意識(血縁意識)というグループ(組織)のアイデンティティー(意識)が、差別・不条理・戦争を惹き起こしてきたわけです。
二十一世紀からの「個人の時代」では、
自分(個人)のアイデンティティー(意識)が、地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こしているのです。
アイデンティティー(意識)の罪的側面、つまり、エゴが表出した結果に他なりません。
言い換えれば、
アイデンティティー(意識)の罪的側面が一気に噴出したわけです。
二十一世紀を「新しい時代」にするためには、アイデンティティー(意識)の功的側面に気づかなければなりません。
つまり、
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)と、自分(個人)のアイデンティティー(意識)は補完関係にあることを理解することです。
言い換えれば、
“生と死”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“オスとメス”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“善と悪”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“強と弱”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“賢と愚”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“富と貧”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“幸福と不幸”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“天国と地獄”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“神と悪魔”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“健康と病気”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“支配と被支配”は二律背反するのではなく、補完し合う。
“光と闇”は二律背反するのではなく、補完し合う。
ことを理解することが、「新しい時代(新代)」の「新しい社会(日本)」の常識になるのです。
差別・不条理・戦争が地球規模にまで発展した、地球温暖化といった地球環境問題を解決する道は、「新しい時代(新代)」の「新しい社会(日本)」でしか為し得ないのです。
従って、
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)の功的側面=全体感
グループ(組織)のアイデンティティー(意識)の罪的側面=全体観
自分(個人)のアイデンティティー(意識)の功的側面=部分感
自分(個人)のアイデンティティー(意識)の罪的側面=部分観
の組み合わせによって、二律背反関係になるか、補完関係になるのが、二元論の本質であるわけです。
つまり、
全体感と部分感が補完関係にある功的側面。
全体観と部分観が補完関係にある罪的側面。
全体感と部分観が二律背反関係にある功的側面。
全体観と部分感が二律背反関係にある罪的側面。
ということを理解することに他なりません。