第十章 これからやってくる社会(2)

共生社会(1)
ゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へ。
現代までの人類が追い求めてきた長い歴史の核心であります。
それはまた、支配・被支配の二元論社会を追求してきた歴史でもあります。
二元論世界の法則では、質と量は反比例の関係にあります。
質の良いものは数が少なく、質の悪いものは数が多い。
なにごとも多数決によって決められる民主主義社会では、数が多いことが優先され、質の悪いものが質の良いものを圧倒する結果になってしまいます。
数の論理でもって選ばれた政治家のリーダー達は、質の悪いものが選んだ質の悪いものの代表ということであり、運営される国家や組織も当然、質の悪いものと言えます。
民主主義とはボトムアップ方式であり、トップダウン方式のマルチ商法のメカニズムと何ら変わりなく、その実態は搾取・被搾取、支配・被支配の二元論世界の構造に他ならないのです。
古代社会における奴隷が、近代の民主主義社会では大衆という名の国民であって、奴隷と質的に同じものです。
文明の発展により利便性が当たり前のようになった人間が、その利便性を放棄することは非常に難しいことです。
個人重視のゲマインシャフト(共同社会)から、組織重視のゲゼルシャフト(利益社会)に移り変わったことで、支配・被支配の二元論社会になりましたが、人は常に「豊かさ」を求めるので後戻りは出来ません。

共生社会(2)
共同社会時代には、人が持つ情緒を豊かさの基準としていました。
人が豊かさの基準を各自の利益量で計るようになり、利益社会の時代へと変化するに連れて際限なく量を求め続ける結果、より効率的に利益をあげられる組織として国家や大都市や会社が人を結合する組織として登場してきた。
そして、それぞれの組織が利益を求めて膨張することで、現在の拝金主義全盛期を迎えることになってしまった。
時代の究極が新しい時代の始まりであり、まさに今が時代の究極であり、新しい時代の模索と混沌の時代であります。
組織重視の利益社会の帰結である拝金主義社会、そして民主主義の必然である衆愚政治が生まれる。
組織重視の利益社会において、構成員に求められるのは「組織の規律を遵守すること」であり、「他人の目を絶えず気にすること」です。
利益社会を管理する視点では、所属する人間は従順であることが最大要件になります。
利益社会では、組織構成上、必ず支配者側と被支配者側に分かれます。
支配者側は、組織構成員にロボット以上の機能を求めません。
組織重視の利益社会は、知力に長けた支配者と、「人間という名のロボット」の被支配者が必要とされる二層構造社会と言い換えてもいいでしょう。
民主主義が常に数の論理を追求する以上、そこに携わる人間の行動基準が「他人の目」になるのは当然であり、「人間という名のロボット」が求められるのです。

共生社会(3)
民主主義社会、組織重視の利益社会は、知力に長けた支配者側と、多くの被支配者側、つまり「人間という名のロボット」を齎しますが、現代は両者のバランスが極端に崩れた時代です。
それでは、「これからやって来る社会」とは一体どのようなものでしょうか。
利益社会を実現した現代社会は、共同社会時代とは量的にも質的にも全くかけ離れた規模に膨張してしまっています。
この状態を維持しながら新しい「豊かさ」を生み出すには、共同社会時代の情緒のみに頼るわけにはいかない、かといって拝金主義に社会を委ねてしまうわけにはいかない。
共同社会では人の持つ情緒によって絆が結ばれることで、こころ穏やかな家族や村という組織を構成することができた。
組織を維持することが人々の安全を守る事であったわけです。
しかし、豊かさの一つの要素である文明の発展を促進することは出来なかった。
文明の発展をより効率的に図ろうとする工夫の中で、国家や会社という組織が生まれ、持てる者と持たざる者の階級による利益社会へと変化していった。
ただ、その二つの組織の構成員はともに同じ人であり人間であることを忘れてはならないのです。
皮肉な結果ですが、人は豊かさを求めるための手段として作った「組織」によって、逆に束縛され続けてきたのです。
「豊かさ」を求めているつもりが結果として、手段である組織の安全と利益確保のために「主役である」人が束縛されていたわけです。
この矛盾が二元論的社会を作りあげてきた一番の問題だったのです。
これからの新しい社会とは、組織に束縛されない人が自らの心の豊かさを享受できる社会に他なりません。
人が個人として自立し、決して他者との関係に左右されない独立した存在として生きることのできる社会です。
組織という壁の無い社会は、本当の自由と公正を求めることが出来る社会になるでしょう。
しかし、新しい社会における自由と公正な他者との関係を創るのは誰でもない自分自身なのだという覚悟と自信が必要条件となります。
更に、自分と他者に対する愛情を無条件で持てること、つまり人としての徳を備えていることが新しい社会を生きる人としての十分条件となるでしょう。
まさに、そのような個人が共に生きる社会が「共生社会」ではないでしょうか。