新・人類論
第一部 (相対進化論)

はじめに

人間原理とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方である。
宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないからという論理に基づいている。
これをどの範囲まで適用するかによって、「強い人間原理」と「弱い人間原理」がある。
人間原理を用いると、宇宙の構造が現在のようである理由の一部を解釈できるが、これを自然科学的な説明に用いることについては混乱と論争があった。
自然法則とその中に現れる物理定数が今知られているものよりわずかでも違えば、人間のような生命、それを構成している原子また太陽のような恒星、こうしたものが安定して存在することはできなかった。
つまり、
現在のような宇宙の姿はありえなかった。
それにもかかわらず、
自然法則やその中に含まれる物理定数は、人間のような高度な生命を生み出すのにちょうど適した構造になっている。
このことはファイン・チューニングと呼ばれる。
人間原理は、このファイン・チューニングという現象に対する説明を与える議論である。
宇宙の自然法則と物理定数が生命の存在を許す絶妙なバランスを取っている事の理由を説明する議論には、他に、知的な存在を仮定する宗教的な立場として創造論あるいはインテリジェント・デザインがある。
それに対して、人間原理は超越的な存在をしない仮定しない、自然主義的なアプローチである。
そこで、
はじめに人間ありき、然るに、宇宙ありきとする「強い人間原理」では、人間そのものの在り方を検証してみる必要があることから、この作品のタイトルを「新人類論」、サブタイトルを「強い人間原理」として、新人類を論じてみることにする。


2012年6月28日  新 田  論


第一章 強い人間原理 第五十一章 自己想起
第二章 人類進化論 第五十二章 葛藤
第三章 永遠に膨張する宇宙などない 第五十三章 自己想起と葛藤の関係
第四章 人間は永遠に生き続ける 第五十四章 人間社会と自然社会の関係
第五章 生きている人間は映像人間 第五十五章 驚天動地の違い
第六章 映像人間は逆さま人間 第五十六章 自己想起がはじめにありき
第七章 人間論 V.S.新・人類論 第五十七章 悟りがはじめにありき
第八章 見える自分 V.S.見えない自分 第五十八章 悟り=音痴の自覚
第九章 『今、ここ』が人間にとってすべて 第五十九章 悟り=錯覚の自覚
第十章 万物の霊長としての人間 第六十章 重なり合っている悟りと錯覚
第十一章 万物の霊長たる所以 第六十一章 自覚症状のない音痴
第十二章 人間だけにある自我意識 第六十二章 悟りの極意
第十三章 五感が“自分は・・・”の生みの親 第六十三章 悟り & 迷い
第十四章 背中合わせの生と死 第六十四章 迷い=自己肯定
第十五章 時事実世界・時真実世界・時真理世界 第六十五章 ニセ人間 & ホンモノ人間
第十六章 “自分は・・・”のない世界=実在世界 第六十六章 元凶は「弱い人間原理」
第十七章 実在 & 映像 第六十七章 元凶は「人間原理」
第十八章 真の輪廻転生 第六十八章 新人類原理
第十九章 真の輪廻転生=相転移現象 第六十九章 不幸は幸福
第二十章 『今、ここ』には時間が存在しない 第七十章 苦は楽
第二十一章 この世の正体 第七十一章 苦の正体
第二十二章 人生という映画館 第七十二章 葛藤の鍵
第二十三章 夢観る者 & 夢 第七十三章 鍵穴がはじめにありき
第二十四章 死の原点 第七十四章 “自分さえ好かったらいい!”→“自分も好くなる!”
第二十五章 生の原点 第七十五章 “自分さえ好かったらいい!”=“自分も好くない!”
第二十六章 元も子もない人間 第七十六章 “先ず他人が好かったらいい!”=“自分も好くなる!”
第二十七章 逆さま人間 第七十七章 (強弱)二元論
第二十八章 映画は逆さま映像
第二十九章 鑑賞マニアか?製作マニアか?
第三十章 自慰行為か?レープ行為か?
第三十一章 差別意識の強弱=記憶の多少
第三十二章 記憶が元凶
第三十三章 蓄積(記憶)が元凶
第三十四章 “自分”の正体は蓄積された記憶
第三十五章 “ホンモノの自分”を理解するのが新・人類
第三十六章 死を怖れるのは誰?
第三十七章 死を怖れないのは誰?
第三十八章 自分 & ・・・・
第三十九章 自分の証
第四十章 ホンモノの証
第四十一章 ホンモノの確認
第四十二章 鏡の確認
第四十三章 鏡という触媒
第四十四章 鏡という触媒=光
第四十五章 触媒=光
第四十六章 他人=鏡という触媒
第四十七章 他人=ニセモノの自分
第四十八章 「ニセモノの自分」は「ホンモノの自分」の陰
第四十九章 「映像」は「実在」の陰
第五十章 忘却の真の意味


おわりに

はじめに人間ありき、然るに、宇宙ありきとする「強い人間原理」では、人間そのものの在り方を検証してみる必要があることから、この作品のタイトルを「新人類論」、サブタイトルを「強い人間原理」として、新人類を論じてみることした。
まさに、
人間原理の人間とは、自覚症状の無い音痴に他ならなかったのである。


2012年9月21日  新 田  論