第三章 不幸を本音で求める人間という生きもの

我々人間社会とは、12000年前にはじまった文明社会の黎明期より現在に至るまで、二元論世界=間違った二元論世界を生きてきた。
更に、
我々人間社会の経済とは、12000年前にはじまった文明社会の黎明期より現在に至るまで、二元論経済=間違った二元論経済を実践してきた。
まさに、
従来(旧来)の経済は、世を荊に(いばらに)して、民を災なう(そこなう)荊世災民である間違った二元論経済に成り下がってしまった証明に他ならない。
では、
正しい二元論経済ではなく、なぜ、間違った二元論経済に成り下がってしまったのだろう?
言い換えれば、
世を治め、民を救う経世済民である正しい二元論経済ではなく、なぜ、世を荊に(いばらに)して、民を災なう(そこなう)荊世災民である間違った二元論経済の道を、我々人間(社会)は選択してしまったのだろう?
しかも、
経世済民を語源とする「経済」と称しておきながら。
まさに、
ここに上記「なぜ?」の答えが潜んでいるに違いない。
要するに、
我々人間(社会)は、
建前では、世を治め、民を救う経世済民である正しい二元論経済を標榜しているのである。
一方、
本音では、世を荊に(いばらに)して、民を災なう(そこなう)荊世災民である間違った二元論経済を信じているのである。
まさに、
建前では、平和を標榜しながら、本音では戦争を繰り返しているように。
建前では、平等を標榜しながら、本音では差別を繰り返しているように。
建前では、公正を標榜しながら、本音では不条理を繰り返しているように。
どうやら、
我々人間(社会)は、建前では幸福を求めながら、本音では不幸を求めるようだ。
まさに、
間違った二元論世界こそ、我々人間(社会)の本音であった証である。