第八章 二元論世界の光と陰

我々人類の先祖であるアダムとイブは、善悪の判断をする禁断の果実を食して、神からエデンの園を追放された。
旧約聖書のこの創作は一体何を示唆しているのだろうか?
人間の創作だから実話でないのは当然のことだが、何かを示唆していることは確かだろう。
先ず、
エデンの園とは、自然社会、延いては、宇宙全体と理解していいだろう。
言い換えれば、
人間社会以外の世界全体を指していると理解していいだろう。
次に、
我々人間社会だけが善悪の判断をする社会であり、それ以外の世界では善悪の判断など一切しないというわけだ。
現に、
野生の生きものを観察すると、彼らには善悪の概念どころか、善悪の観念すらないのは一目瞭然である。
まさに、
自然社会は、食う・食われる弱肉強食という自然淘汰の世界であり、食う側に罪の意識などまったくないし、食われる側に恨みの意識もまったくなく、殺す・殺されると思うのは人間だけで、彼らはただ食う・食われるだけの世界だ。
まさに、
我々人間社会以外の社会は、善悪の判断をしない世界の証明である。
そして、
善悪の判断をしない世界を一元論世界と言う。
一方、
神が禁じた禁断の果実を食べてエデンの園から追放され、エデンの東にあるノドという町で暮らすようになったアダムとイブ、そしてその末裔である我々人間の社会は善悪の判断をする世界で二元論世界と言う。
爾来、
我々人間はすべての事象を善悪二元で判断するようになった。
まさに、
表裏一体の一枚のコインの世界に他ならない。
従って、
表裏一体の一枚のコインの世界には必ず表面と裏面がある。
言い換えれば、
我々人間社会の事象はすべて功罪両面という光と陰が潜んでいるということを肝に銘じておかなければならない。