第十章 経済哲学の時代

従来(旧来)の経済(荊災=荊世災民)の時代では、
金持ちと貧乏は対立する二元要素だった。
幸福と不幸は対立する二元要素だった。
従って、
幸福論と不幸論は対立する二元要素だった。
幸福論の実践学と不幸論の実践学は対立する二元要素だった。
だから、
金持ちが好くて、貧乏が好くないという間違った二元論に基づく経済、すなわち、荊災に陥っていた。
幸福が好くて、不幸が好くないという間違った二元論に基づく経済、すなわち、荊災に陥っていた。
従って、
幸福論が好くて、不幸論が好くないという間違った二元論に基づく経済、すなわち、荊災に陥っていた。
幸福論の実践学が好くて、不幸論の実践学が好くないという間違った二元論に基づく経済、すなわち、荊災に陥っていた。
一方、
これからの(新しい)経済(経世済民)の時代では、
金持ちと貧乏は補完する二元要素になる。
幸福と不幸は補完する二元要素になる。
従って、
幸福論と不幸論は補完する二元要素になる。
幸福論の実践学と不幸論の実践学は補完する二元要素になる。
だから、
金持ちもなく、貧乏もないという正しい二元論に基づく経済(経世済民)になる。
幸福もなく、不幸もないという正しい二元論に基づく経済(経世済民)になる。
従って、
幸福論もなく、不幸論もないという正しい二元論に基づく経済(経世済民)になる。
幸福論の実践学もなく、不幸論の実践学もないという正しい二元論に基づく経済(経世済民)になる。
畢竟(詰まる処)、
これからの(新しい)経済(経世済民)とは、貧富、幸不幸を超える超経済になるだろう。
まさに、
経済学=経済哲学である所以だ。
経済学=経済哲学にとって、金持ち=貧乏なのである。
経済学=経済哲学にとって、幸福=不幸なのである。
経済学=経済哲学にとって、幸福論=不幸論なのである。
経済学=経済哲学にとって、幸福論の実践学=不幸論の実践学なのである。
畢竟(詰まる処)、
これからの(新しい)経済(経世済民)の時代とは、経済哲学の時代になるだろう。