第七章 従来の価値観=お金の量 & 新しい価値観=感謝の量

他者からの“感謝”という想い(念波)こそ真の幸福感の正体に他ならない。
一方、
自己からの“感謝”という想い(念波)こそ真の不幸感の正体に他ならない。
そこで先述したように、
貧富二元論の文明社会ゆえ、世を荊に(いばらに)して、民を災なう(そこなう)荊世災民の逆さま経済(荊災)になってしまった。
従って、
世を治め、民を救う経世済民の正さま経済を実現するには、貧富二元論社会を超えた社会でなければならない。
まさに、
世を治め、民を救う経世済民の正さま経済とは、貧富を超えた経済、つまり、超経済にならなければならない。
従って、
貧富を超えた超経済においては、お金の量(多い・少い)を目盛にする“目的の(貯める)お金”ではなく、お金の質(悪質・良質)を目盛にする“手段の(使う)お金”にならなければならないだろう。
そして、
悪質な“手段の(使う)お金”は、自己からの“感謝”という想い(念波)を反対給付として貰える結果、不幸感に襲われる。
一方、
良質な“手段の(使う)お金”は、他者からの“感謝”という想い(念波)を反対給付として貰える結果、幸福感に浸れる。
畢竟、
世を治め、民を救う経世済民の正さま経済=貧富を超えた経済=超経済においては、お金の量(多い・少い)を目盛にする“目的の(貯める)お金”ではなく、他者からの“感謝”という想い(念波)を目盛にする“手段の(使う)お金”にならなければならない。
つまり、
経世済民を本義とする経済では、お金の量(多い・少い)を目盛にする“目的の(貯める)お金”ではなく、他者からの“感謝”という想い(念波)を目盛にする“手段の(使う)お金”にならなければならない。
従って、
お金の量(多い少い)が幸不幸の価値観になっていた従来の経済(荊災)から、他者からの感謝の量(多い少ない)が幸不幸の価値観になる新しい経済(超経済)を早急に構築する必要がある。