第九章 “貯めるお金”の罪

新しい経済、すなわち、世を治め、民を救う経世済民の正さま経済では、お金は“手段(使う)”であって、“目的(貯める)”であってはならない。
まさに、
“お金がすべてで、お金は多ければ多い方がいい”という考え方こそ拝金主義に他ならず、貨幣制度(お金)が経済の中心になった、いわゆる、貨幣制度(お金)が“目的(貯める)”になった証明に他ならない。
そうなると、
文字通り、お金を神として拝む拝金主義は、性欲や食欲といった欲望が暴走した状態と同じになって、際限無き欲望へと化してしまったのである。
ところが、
自然社会の生きものが持ち併せている性欲や食欲といった本能欲は、本来、制御の利いた欲望である。
現に、
自然社会の生きものにおける性欲は、人間の性欲のように一年365日発揮せず交尾時期が必ず定められ、食欲も、満腹になれば余計な殺生はしないように制御されているから、人間(特に先進現代人のように)だけにある摂食障害といった病気にも無縁だ。
まさに、
動物の本能欲である性欲や食欲においても、我々人間だけが障害を起こしているのは、制御不能な際限無き欲望へと化してしまった証明に他ならない。
それは偏に、
12000年の文明社会の経済とは、貨幣制度(お金)を中心にした、世を荊に(いばらに)して、民を災なう(そこなう)荊世災民の逆さま経済(荊災)に他ならなかったからである。