第八章 “貯めるお金”から“使うお金”へ

貨幣制度(お金)を中心にした、世を荊に(いばらに)して、民を災なう(そこなう)荊世災民の逆さま経済(荊災)の人間社会とは、支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別制度の経済社会に他ならない。
そして、その結果、
差別・不条理・戦争を繰り返す社会、悩みや四苦八苦、揚句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生、宗教や科学という魑魅魍魎が跳梁跋扈する社会、そして、その中心に男性社会が位置する社会になってしまった。
従って、
貨幣制度(お金)を中心にした経済(荊災)を超えることが、新しい経済、すなわち、世を治め、民を救う経世済民の正さま経済を実現することになる。
では、
貨幣制度(お金)を中心にした価値観を超える新しい価値観とは一体どんなものだろうか?
そこで、
貨幣制度(お金)を中心にした価値観から先ず検証してみる必要がある。
では、
なぜ文明社会は貨幣制度(お金)を中心にした価値観であり続けたのだろうか?
まさに、
お金の本意は交換手段にあって、交換目的ではない。
言い換えれば、
お金の本意は“手段(使う)”ことにあって、“目的(貯める)”ことではない。
ところが、
貨幣制度(お金)を中心にした価値観になると、本来“手段(使う)”べきお金が、“目的(貯める)”べきお金になってしまう。
まさに、
貨幣制度(お金)を中心にした価値観=拝金主義の証がここにある。
その結果、
お金は“手段(使う)”から“目的(貯める)”の逆さま経済になってしまった。
一方、
正さま経済では、お金は“手段(使う)”であって、“目的(貯める)”ではない。
従って、
新しい経済、すなわち、世を治め、民を救う経世済民の正さま経済では、お金は“手段(使う)”であって、“目的(貯める)”であってはならないのである。