第十章 世襲・相続の慣習が諸悪の根源

“お金がすべてで、お金は多ければ多い方がいい”という考え方こそ拝金主義に他ならず、貨幣制度(お金)が経済の中心になった、いわゆる、貨幣制度(お金)が“目的(貯める)”になった証明に他ならない。
そうなると、
文字通り、お金を神として拝む拝金主義は、性欲や食欲といった欲望が暴走した状態と同じになって、際限無き欲望へと化してしまった。
なぜなら、
“貯めるお金”には際限がないからだ。
現に、
世界の資産家のトップは、6兆円以上。
日本の資産家のトップは、1兆円以上。
まさに、
際限無き“貯めるお金”ゆえだ。
もしも世襲・相続制度が認められない社会になったら、こんな額のお金を自分の一生の間にどうするのか?
精々一生のうちで使い切れる額のお金しか意味がない。
一人の人間が一生で消費できるお金の額をある人物が試算したらしい。
現在の物価に合わせれば、精々10億円から50億円程度らしい。
6兆円の資産を持っていても、結局の処、使えるのは50億円まで。
1兆円の資産を持っていても、結局の処、使えるのは50億円まで。
しかも、
これだけの消費(浪費)を一生続ければ、寿命は10年ともたないだろう。
従って、
世襲・相続制度が認められない人間社会になったら、人間社会の構造自体がまったく違ったものになることは想像に難くない。
経済行為はなくなるだろう。
政治行為もなくなるだろう。
そして、
社会行為もなくなるだろう。
畢竟、
12000年の文明社会の根幹は、
支配・被支配二層構造にあったが、それも、世襲・相続制度あっての物種であったのだ。
まさに、
世襲・相続の慣習こそ、人間社会の諸悪の根源に他ならない。
まさに、
自然社会は、世襲・相続の慣習とまったく無縁であることが、その証に他ならない。
従って、
新しい社会は従来(旧来)の社会を超えた社会でなければならないだろう。
まさに、
従来(旧来)の社会が文明社会ならば、新しい社会は超文明社会になるだろう。