第三章 ふたつの世界大戦の間で生まれた警察国家アメリカ

第一次世界大戦
1914年7月28日〜1918年11月11日。
三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)と三国協商(イギリス、フランス、ロシア)との対立を背景として起こった世界的規模の大戦争。
1914年7月28日のサラエボ事件を導火線としてオーストリアはセルビアに宣戦。
セルビアを後援するロシアに対抗してドイツがロシア、フランス、イギリスと相次いで開戦、同盟側(トルコ、ブルガリアが参加)と協商側(同盟を脱退したイタリアの他ベルギー、日本、アメリカ、中国などが参加)との国際戦争に拡大、最後まで頑強に戦ったドイツも1918年11月11日に降伏、翌年ベルサイユ条約によって講和成立。
欧州大戦とも呼ばれている。
第二次世界大戦
1939年9月1日〜1945年8月15日。
後進資本主義国であったドイツ、イタリア、日本(枢軸国)と先進資本主義国だったアメリカ、イギリス、フランスに加えて新進共産主義国家ソ連で結成された連合国との間で起こった全世界規模の大戦争。
1939年9月1日ヒットラー率いるナチス・ドイツのポーランド侵略に対してイギリス、フランスの対ドイツ宣戦により開始。
ナチス・ドイツ軍は一時欧州諸国を席捲。
1940年6月にはパリを占領。
1941年ドイツ・ソ連不可侵条約を破棄してポーランド東部及びウクライナ地方に侵入、ドイツ・ソ連戦争が勃発。
一方、
1941年12月8日、日本の対アメリカ宣戦で太平洋戦争(日本では大東亜戦争)が起こり、戦域は全世界に拡大、1942年夏以降、連合国軍は総反攻に転じ、1943年にはスターリン・グラードにおけるドイツ軍の全滅、イギリス・アメリカ連合軍の上陸によるイタリアの降伏。
1945年5月、イギリス・アメリカ・ソ連のベルリン占拠によるドイツの降伏。
1945年8月、アメリカの原爆投下とソ連の参戦による日本の降伏となって終戦。

第一次世界大戦と第二次世界大戦の決定的な違いは、犠牲者の数よりもその内容の違いにあった。
第一次世界大戦での戦闘員の死者が95%、一般市民の死者が全体の5%に過ぎなかったのに、第二次世界大戦では、戦闘員が33%、一般市民が67%にも上ったことにある。
第二次世界大戦における枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の総動員数が2、543万人であったの対し、連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ他)では7、954万人であった。
一方、
戦闘員の死亡では、
枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)が566万人に対して、連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ他)は1、127万人。
一般市民の犠牲者では、
枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)が195万人に対して、連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ他)は3、237万人。
こういった中で、
アメリカの戦争に対する考え方は、第二次世界大戦の1943年ごろから大きく変わっていった。
アメリカという国の国是は、植民地を持たない国民国家であることと、欧州戦線(第一次世界大戦)のような戦争には一切参加しないことであった。
ところが、
この頃から、アメリカはまるで人が変わったように、残酷で無慈悲な戦争を展開するようになっていった。
アメリカの作家ポール・ファッセル著「War Time(誰にも書けなかった戦争の現実)」は、その書の中でこう言っている。
“戦争はこれほど無残で血なまぐさく、おぞましいものだから、ともかく一刻も無駄にせずに終わらせるほかなく、そのためには人道的だろうがどうだろうが、あらゆる手段で勝利する以外にはない”と考える国になっていた。
そして、
東京大空襲を筆頭の日本大空襲作戦、揚句の果てに、広島・長崎への原爆投下に及んだのである。
爾来現在に至るまで、アメリカは世界の警察国家であり続けたが、いまほころびはじめたのである。
まさに、
「戦略爆撃」の概念が大型航空機(B−29)の登場によって誕生、第一次世界大戦と第二次世界大戦という戦争の概念を大きく変えていったのである。