第九章 拝金主義 & 超拝金主義

経世済民、すなわち、世を治め、民を救うことを「経済」とする本義からすれば、利益至上主義の従来の経済は本末転倒の概念である。
従来の経済概念では、
利益を挙げられない企業は悪とされていた。
ところが、
貧(貧乏)=富(金持ち)という本来の二元論では、
富(金持ち)を取るなら貧(貧乏)も取らざるを得ない。
若しくは、
貧(貧乏)を避けるなら富(金持ち)も避けざるを得ない。
まさに、
我々人間社会が拝金主義に陥っている原因がここにある。
言い換えれば、
我々人間社会が超拝金主義に陥っている原因がここにある。
まさに、
我々人間社会が間違った二元論に嵌っている証である。
言い換えれば、
富(お金持ち)が好くて、貧(貧乏)は好くない、と考えている我々人間社会は間違った二元論世界なのである。
だから、
富(お金持ち)を追いかけ、貧(貧乏)を忌避するという土台実現不可能な生き方をしているのである。
だから、
利益を挙げられない企業は悪とされてきたのである。
だから、
貧(貧乏)は悪とされてきたのである。
まさに、
超拝金主義は土台実現不可能な考え方なのである。
言い換えれば、
自覚症状の無い音痴という不治の病気こそ超拝金主義に他ならないのである。
そして、
音痴という拝金主義も病気に他ならないのである。
なぜなら、
拝金主義とは、
富(お金持ち)を追いかけ、貧(貧乏)を忌避するという考え方に他ならないからである。
いずれにしろ、
拝金主義も超拝金主義も音痴という病気に変わりはないのである。
自覚症状が有る音痴が拝金主義であり、自覚症状が無い音痴が超拝金主義なのであり、共に土台実現不可能な考え方に変わりはないのである。
まさに、
経世済民、すなわち、世を治め、民を救うことを「経済」とする本義からすれば、利益至上主義の従来の経済は本末転倒の概念である証明に他ならない。