第六章 (貧富)二元論の本質

人間社会では、善悪の判断をすべてしている。
一方、
自然社会では、善悪の判断を一切しない。
ところが、
善悪の判断をする人間社会の方が矛盾に満ちていて、善悪の判断をしない自然社会の方が道理に則している。
ところが、
善悪の判断をする二元論世界に生きている人間社会の方が矛盾に満ちていて、
善悪の判断をしない一元論世界に生きている自然社会の方が道理にあっている。
では、
貧富の概念についてはどうだろうか?
人間社会では、貧富の判断をすべてしているのだろうか?
一方、
自然社会では、貧富の判断を一切しないのだろうか?
では、
貧富の判断とは一体何だろうか?
言うまでもなく、
豊かな者と貧しい者の違いの判断に他ならない。
では、
豊かな者とは一体どういった者だろうか?
まさに、
豊かな者とは、モノであろうが、お金であろうが、多くを持った者に他ならない。
言い換えれば、
豊かな者とは、モノであろうが、お金であろうが、蓄えを持った者に他ならない。
一方、
貧しい者とは一体どういった者だろうか?
まさに、
貧しい者とは、モノであろうが、お金であろうが、多くを持たない者に他ならない。
言い換えれば、
貧しい者とは、モノであろうが、お金であろうが、蓄えを持たない者に他ならない。
そして、
人間社会では、蓄えを持つ者と蓄えを持たない者の二者に区分けされている。
言い換えれば、
人間社会では、豊かな者と貧しい者の二者に区分けされている。
一方、
自然社会では、誰であっても蓄えを一切持たない。
それが、自然社会の掟だ。
それが、宇宙の掟だ。
従って、
豊かな者と貧しい者の二者に区分けされる人間社会は、自然社会や宇宙の掟に反した社会に他ならない。
言い換えれば、
貧富二元論の本質とは、
貧(貧しさ)が実在で、富(豊かさ)は貧(貧しさ)の不在概念である点に他ならない。