第五章 (善悪)二元論の本質

人類の祖であるアダムとイブが神によってエデンの園、つまり、自然社会から追放された理由は、善悪の判断をする木の実を食べたからである。
神はエデンの園、つまり、自然社会では善悪の判断をする木の実を食べることを禁じていたということだ。
要するに、
自然社会では善悪の判断を一切しないということだ。
現に、
人間社会では、殺すことは悪いことだと判断されている。
一方、
自然社会では、殺すことは食うことに他ならず、生きるために食う、つまり、殺しているわけで、誰も悪いことなどと微塵も思っていない。
まさに、
自然社会では、善悪の判断を一切しない。
一方、
人間社会では、善悪の判断をすべてしている。
だから、
人間社会は自然社会より進化しているというわけだ。
まさに、
人間を万物の霊長と嘯き、自然社会の生きものを畜生と蔑む所以がここにある。
では、
人間は殺すことは一切していないのだろうか?
肉を食べるために牛や豚という動物を殺しているではないか。
野菜を食べるために植物を殺しているではないか。
これらの行為は悪ではないのか?
では、
我々人間は食べるため以外には殺すことは一切していないのだろうか?
我々人間は直接食べるためではなく、宗教やイデオロギーの違いだけで殺す戦争という行為をしているではないか。
これらの行為は悪ではないのか?
一方、
自然社会の生きものは食べるため以外では一切殺すことはしない。
まさに、
善悪の判断をする人間社会の方が矛盾に満ちていて、善悪の判断をしない自然社会の方が道理に則している。
どうやら、
善悪の判断をする二元論世界に生きている人間社会の方が矛盾に満ちていて、
善悪の判断をしない一元論世界に生きている自然社会の方が道理にあっているようだ。