第一章 世を乱し、民を苦しめる「乱苦」(乱世苦民)

「経済」の語源である「経世済民」の本義とは世を治め、民を救済することである。
だが、
12000年前に文明社会を起こして以来、人類の生活の基本である経済、すなわち、“暮らし”では、世を治め、民を救済するどころか、世を乱し、民を苦しめることばかりを繰り返してきた。
まさに、
自然社会における“暮らし”では、生活の基本である経済、すなわち、“暮らし”は、世を治め、民を救済する現象に他ならなかったが、自然社会(エデンの園)から追放され独自の人間社会を構築してきた人類における“暮らし”は、世を乱し、民を苦しめる乱苦(乱世苦民)に他ならなかったのである。
建前では飽くまで世を治め、民を救済する「経世済民」の「経済」を標榜しておきながら、本音では世を乱し、民を苦しめる「乱世苦民」の「乱苦」を実践する。
そんな本音と建前を使い分ける生きものに人類は一体いつごろからどういう理由で成り下がってしまったのか?
共産主義思想の生みの親、カール・マルクスの「唯物史観」の歴史時代区分では、原始共産制→古代奴隷制→中世封建制→近代資本主義制→現代共産主義制と時系列的に進化するらしいが、果たしてそうだろうか?
それなら、
なぜ最初に原始共産制があったのか?
カール・マルクスはユダヤ人である。
言い換えれば、
ユダヤ教徒である。
古代エジプト文明時代に、古代ヘブライ人(ユダヤ人のルーツ)は故郷のパレスチナを捨てて、当時の文明の最先端をゆく農耕型社会のエジプトに移住した。
3700年前の話だ。
それから400年後に有名なモーゼの「出エジプト記」の物語になる。
文明社会はみんな農耕型社会を形成していたのに、古代ヘブライ人だけは放牧型社会を偏に守ってきた。
エジプト王国が彼らを受け入れた最大の理由がここにある。
まさに、
古代ヘブライ人は原始共産社会を形成していたからである。
カール・マルクスの唯物史観の原点がここにある。
放牧型社会が原始共産制社会。
農耕型社会が古代奴隷制社会。
放牧型社会と農耕型社会。
ユダヤ人(ユダヤ教徒)である彼は、放牧型社会から農耕型社会へ移行することは、すなわち、原始共産制社会から古代奴隷制社会へ進化発展することだと捉えていたわけだ。
現に、それから300年後の紀元前1000年、有名なダビデ王が登場した頃には中央集権国家のピラミッド型社会に古代ヘブライ人社会も変わっていた。
まさに、
カール・マルクスがユダヤ人(ユダヤ教徒)である所以だ。
旧約聖書の「出エジプト記」に書かれている。
王を頂点にしたまさにピラミッド農耕型社会を構築していた古代エジプトのファラオが何故古代ヘブライ人のエジプト入植を許可したのか?
その答えが、古代ヘブライ人は土師を中心にしたスクゥエアー放牧型社会を形成していて、自分たちの王国が侵略される危険性がなかったからに他ならない。
言い換えれば、
農耕型社会の古代奴隷制社会は、支配・被支配二層構造に基づく世襲・相続という差別慣習のピラミッド型差別社会であったのに対して、
放牧型社会の原始共産社会は、支配・被支配二層の区分けがなく、従って、世襲・相続という差別慣習もないスクゥエアー型平等社会であった。
支配・被支配二層の区分けがなく、従って、世襲・相続という差別慣習もないスクゥエアー型平等社会である放牧型社会という原始共産制社会から、支配・被支配二層構造に基づく世襲・相続という差別慣習のピラミッド型差別社会である農耕型社会という古代奴隷社会に変わることが、カール・マルクスの歴史時代区分の唯物史観が主張する進化発展とするなら、近代資本主義制→現代共産主義制に変化するのも進化発展であるはずだ。
ところが、
資本主義と共産主義というイデオロギーの闘いであった冷戦の勝者は、マルクスの「唯物史観」によれば、共産主義であったはずなのに、勝者は資本主義になったのは何故か?
文明社会の歴史は最後になって進化せずに逆に退化してしまったのか?
この疑問に対する解答は、まさに、世を治め、民を救済する「経世済民」が「経済」の本義であるのに、農耕型ピラミッド型差別社会の経済は、その黎明期から今に至るまで、世を乱し、民を苦しめる「乱世苦民」の「乱苦」が実体であった証明に他ならない。