第八章 四次元循環社会=仮想社会(映像の映像社会)=真理社会

I.事実社会 & 真実社会 & 真理社会
仮想(映像の映像)社会とは、事実→真実→真理と循環する社会に他ならない。
そこで、
時間の経過と共に変化するものはしょせん現象(映像)、すなわち、いわゆる現実の事実とされただけのことです。
更に、
現象の積み重ね、すなわち、映像の映像が真実とされただけのことです。
まさに、
事実と真実の関係は、映像と映像の映像の関係に他ならないのである。
ところが、
真理とはユニーク(唯一)のものであり、真理こそが実在するだけです。
そこで、
事実と真実と真理の関係についての論述を下記引用しておきましょう。

Chapter 40 事実と真実と真理 (「神はすぐ傍」Part(II)新田論作)
数学で座標というものがあります。
X軸とY軸という二本の線が直角に交わった座標を二次元(平面)座標と言います。
X軸、Y軸、Z軸という三本の線がそれぞれ直角に交わった座標を三次元(立体)座標と言います。
我々が生きている世界はこの三次元座標上にすべてを表現できる世界であり、三次元テレビというものも既に、20年程前にアメリカで開発され、我々が普段見ているテレビは二次元テレビですから、正面からしか見ることが出来ませんが、三次元テレビで見ますと、横からも後ろからも見ることが出来、たとえば二次元テレビでは美しい女性がこちらを向いて立っていますと、正面からの姿しか見えませんが、三次元テレビだと、横からも見え、その女性の横顔が見え、正面からは美人に見えたが、横顔は鼻が低くて正面から見た程に美人ではなかったことが判るのです。
また後ろから見たら、体全体の線が見え、特にヒップ辺りの曲線美がくっきりと見え、改めて美しい女性であったことが判ったりするわけです。
二次元テレビで見るものは、その一部の姿を顕すだけですが、三次元テレビだと、全体を顕してくれるのです。
すなわち、事実が見えるわけです。
そうしますと、二次元座標では、その一部(360度の内の90度分だけ)しか表現出来ないのが、三次元座標では事実(360度全部)を表現出来ることが解ってきました。
同じ考え方で四次元座標をイメージしてみましょう。
X軸、Y軸、Z軸、そしてT軸の四本の線がお互いに直角に交わった座標です。
もちろんT軸は時間軸です。
三次元テレビでは事実を見ることが出来ました。これは二次元テレビでは三次元テレビの一部しか見られないのを、全体を見ることが出来るという意味であります。
それでは四次元テレビで見えるものは、三次元テレビで見える事実以上のものが見えるのではないかと、容易に想像出来ます。
それでは、それ以上のものとは一体何でしょうか。
三次元テレビで見えるものは事実と申しました。
事実とは、ありのままの姿と言ってもいいでしょう。
ありのままの姿とは、変化しないと言うことに注目してください。
どんどん変化していけば、どれが本当の姿か判りません。
先ほどの喩えで話しますと、二次元テレビでは事実−ありのままの姿−の一部しか見えないと申しました。
正面から見えるだけですから、美しい一部分が見えたのです。
ところが三次元テレビで見ると、鼻が低いが、後ろ姿は素晴らしいといった、映っている女性のいろいろな姿を見ることが出来ました。
それが事実−ありのままの姿−であります。
しかし、時間軸が加わった四次元テレビが、もし開発されたら、時間の流れと共に、その女性の姿が変化していくのが見えるわけです。
産まれたての赤ん坊の時、少女の時・・・・老婆の時と変化していく姿が全部見えるのです。
人間の一生は、いろいろな体験によって精神の変化が起こり、その精神の変化が肉体にも反映されて、肉体そのものも変化していきます。
三次元テレビでは、その変化の模様を見ることが出来ません。
つまり、その時点での事実を見ることが出来ても、そこに映っている女性の一生を見ることが出来ません。
その女性の、この時点でのありのままの姿も、その女性の一生の姿からすれば、やはり一部分であるのです。
わたしは、その女性の一生の姿が、その女性の真実だと思うのです。
人間というものは、ころころ変わる心があって、つい先ほど思っていた美しい気持ちが、今では醜い怒りの気持ちに変わるものです。
それが真実であります。
つまり、真実は、T軸という時間軸をも加えないと見えないということであります。
今までわたしは、一人の女性で以って、四次元での、その女性の真実の姿を説明してきました。
これを若し、宇宙全体の真実の姿を全部表現出来たら、どんな風に見えるでしょうか。イメージ出来るでしょうか。
イメージすることすら困難であるようですが、ひょっとしたらX、Y、Z、T軸の上に、もう一つ新しい軸が加われば見えるかも知れません。
それが五次元の座標であるのでしょうが、事実が三次元で、真実が四次元で表されるなら、五次元で表されるのが、我々が求めている真理であるかも知れません。
しかし残念ながら五次元の座標軸が何であるのかは解りません。
今のところ解っているのは時間という座標軸までであります。

まさに、
『事実』とは『真実』の一部に過ぎない。
更に、
『真実』も『真理』の一部に過ぎない。
そして、
『真理』とは唯一のものに他ならない。
まさに、
『真理』とはユニーク(唯一)のものであり、『真理』こそが実在するだけである。
そこで、
宇宙レベルの数である素数と、人間社会レベルの自然数の関係について検証してみましょう。
先ず、
拙著【素数は無限に存在するか】から引用してみましょう。

素数は無限に存在するか
今から2300年前のギリシャで、ユークリッド幾何学で有名なエウクレイデス・ユークリッドという数学者が、素数も自然数と同じように無限にあることを証明しました。
その証明を下記検証していきましょう。
先ず、素数とは数の原子のようなもので、まさに、文字通り、数の素になるものだ。
「1よりも大きく、1と自分自身では割り切れるが、それ以外の数では割り切れない数」のことだ。
あらゆる正の整数、すなわち、自然数は、この素数のかけ算で表現できるから、「数の原子」と呼ばれ、すべての数(自然数)は素数で割り切れる。
そこで、
素数が無限であることの証明を、ユークリッドは展開していきました。
異なる素数q1、q2、q3、・・・qnを使って、次のような数Nをつくることができる。
N=q1*q2*q3*・・・*qn +1
この数Nは、q1、q2、q3、・・・qnのどの素数でも割り切れない。
なぜなら、
どの素数で割っても、q1*q2*q3*・・・*qnの部分は割り切れるが、1が余るからである。
従って、
(1)Nはq1、q2、q3、・・・qnと異なる素数である。
若しくは、
(2)Nはq1、q2、q3、・・・qnと異なる素数で割り切れなければならない。
以上(1)と(2)から、
1、q2、q3、・・・qn以外に新しい素数qn+1があることになる。
これを繰り返すと、次々と新しい素数qn+2、qn+3、qn+3、qn+4・・・が見つかることになる。
つまり、
素数は無限にあることがわかる。

たとえば、
N=3*5 +1=16という数で考えてみましょう。
16=2*2*2*2、つまり、3、5以外の素数2で割り切れます。
また、
N=3*5*7+1=106という数で考えてみましょう。
106=2*53、つまり、3、5、7以外の素数2と53で割り切れます。
一見、論理的ではある。

畢竟、
一元論≡三元論
始点≡終点
自然≡超自然
無限静止≡無限運動
0≡∞
実在≡虚像(映像の映像)
ということになります
そこで、
≡とは“等しい(equal)”ではなく“超えた等しい(beyond equal)”という新しい意味に他なりません。
更に、
拙著【素数は無限に存在するか】から(≡)の意味を下記説明しましょう。

三つ子素数というものがあります。
つまり、
三つの素数の間の数が1であるものですが、3、5、7の一組しかありません。
そして、
その証明は以下の通りです。
先ず、
三つ子素数を、
(2n+1)、(2n+3)、(2n+5)とします。
ただし、
n=1、2、3・・・という自然数です。
(1)(2n+1)を3で割った余りを1とすると、
   (2n+3)を3で割った余りは0となり、
   (2n+3)が3の倍数となって素数とはならない。
(2)(2n+1)を3で割った余りを2とすると、
   (2n+5)を3で割った余りは0となり、
   (2n+5)が3の倍数となって素数とはならない。
(3)(1)、(2)により(2n+1)は3の倍数となり、
    その中、素数となるのは3のみである。
以上(1)、(2)、(3)より三つ子素数は(3、5、7)だけである。
ここで、
(2n+1)を3で割った余りを1とする→(2n + 1) ≡ 1(mod 3)と表現します。
(2n+1)を3で割った余りを2とする→(2n + 1) ≡ 2(mod 3) と表現します。


この(≡)は合同式と呼ばれ、いわゆる(=)の等式に対して、超等式と言ってもいいでしょう。
つまり、
“超えた等しい(beyond equal)”という新しい意味に他なりません。
従って、
一元論≡三元論
始点≡終点
自然≡超自然
無限静止≡無限運動
0≡∞
実在≡虚像(映像の映像)
ということになります
まさに、
三元論世界は一元論世界を超えて等しいと言えます。
まさに、
終点は始点を超えて等しいと言えます。
まさに、
超自然は自然を超えて等しいと言えます。
まさに、
無限運動は無限静止を超えて等しいと言えます。
まさに、
∞は0を超えて等しいと言えます。
まさに、
虚像(映像の映像)は実在を超えて等しいと言えます。
従って、
仮想社会(映像の映像社会)は実在社会を超えて等しいと言えます。
言い換えれば、
仮想社会(映像の映像社会)は四次元循環社会と言えます。
そして、
仮想社会(映像の映像社会)は円回帰運動社会と言えます。
そして、
仮想社会(映像の映像社会)は真理社会と言えます。