第六章 円回帰社会

I.自然社会→人間社会→超自然社会
実在(現実)の映像が実像(いわゆる現実)で、実像(いわゆる現実)の映像(映像の映像=虚像)は再び実在(現実)に円回帰する。
言い換えれば、
正さま社会の映像が逆さま社会であり、逆さま社会の映像(映像の映像=虚像)が再び正さま社会に円回帰する。
まさに、
自然社会が実在(現実)社会であり、
従来の人間社会が実像(いわゆる現実)社会であり、
新しい人間社会が虚像(映像の映像)社会に円回帰するのです。
言い換えれば、
自然社会が正さま社会であり、
従来の人間社会が逆さま社会であり、
新しい人間社会が正さま社会に円回帰するのです。
更に言い換えれば、
自然社会が一元論世界であり、
従来の人間社会が二元論世界であり、
新しい人間社会が三元論世界に円回帰するのです。
畢竟、
一元論世界は始点。
二元論世界は円周。
三元論世界は終点。
ということになります。
まさに、
新しい人間社会とはすべてを超えた社会(超自然社会)ということになります。

II.始点と終点の違い
自然社会は一元論世界。
つまり、
自然社会は始点世界。
つまり、
自然社会は実在世界。
一方、
従来の人間社会は二元論世界。
つまり、
従来の人間社会は円周世界。
つまり、
従来の人間社会は映像世界。
他方、
新しい人間社会(超自然社会)は三元論世界。
つまり、
新しい人間社会(超自然社会)は終点世界。
つまり、
新しい人間社会(超自然社会)は実在世界。
従って、
従来の人間社会はニセモノ社会であることは判明した。
では、
実在世界である自然社会と実在世界である新しい人間社会(超自然社会)とは、一体何が違うのでしょうか?
まさに、
同じ実在世界であっても、新しい人間社会(超自然社会)は自然を超えた実在世界に他ならないのです。
まさに、
鍵は「超える」です。
まさに、
1万2000年の文明社会がいよいよ終焉を迎えるわけで、終焉劇(幕切れ劇)の舞台、且つ、新しい時代の幕開け劇の舞台こそ、すべてを超えた社会(超自然社会)ということになります。

III.超自然社会における価値観(新しい考え方)
1万2000年の文明社会がいよいよ終焉を迎える。
そして、
文明社会の終焉劇(幕切れ劇)の舞台、且つ、新しい時代の幕開け劇の舞台こそ、すべてを超えた社会(超自然社会)ということになる。
従って、
文明社会の終焉劇(幕切れ劇)の舞台=新しい時代の幕開け劇の舞台のシナリオは、従来の価値観(考え方)ではなく、新しい価値観(新しい考え方)に基づくものでなければならないでしょう。
では、
新しい価値観(新しい考え方)とは一体どんなものでしょうか?
そこで、
自然社会は正さま社会である。
一方、
人間社会は逆さま社会である。
他方、
超自然社会は正さま社会である。
従って、
超自然社会の価値観(考え方)は、自然社会の価値観を超えたものでなければならないでしょう。
更に、
超自然社会である新しい人間社会の新しい価値観(新しい考え方)は、従来の人間社会の従来の価値観(従来の考え方)と逆さまでなければならないでしょう。
では、
自然社会を超えた価値観とは一体どんな価値観でしょうか?
そこで、
自然社会の価値観とは、言うまでもなく、食物連鎖の法則に他なりません。
言い換えれば、
熱力学の法則、すなわち、エネルギー保存の法則(第一法則)、および、エントロピーの法則(第二法則)に他なりません。
平たく言えば、
地球を構成している三態(鉱物・植物・動物)は不増不減の一方通行循環をしている。
従って、
自然社会を超えた価値観とは、地球を構成している三態(鉱物・植物・動物)が不増不減の両側通行循環をしていることになります。
そこで、
宇宙には三本の時間の矢というものがあります。
つまり、
(1)宇宙は時間の経過と共に永遠に膨張し続けるという宇宙論的時間の矢。
(2)エネルギーは時間の経過と共に使用不可能なエントロピーになるという熱力学的時間の矢
(3)過去から現在を通過して未来に一方通行に流れる心理学的時間の矢。
まさに、
自然社会を超えた価値観は、宇宙の三本の時間の矢が一方通行から両側通行になることを前提とした考え方に変わることに他なりません。
平たく言えば、
自然社会を超えた価値観=超自然社会の新しい価値観(考え方)は、時間は過去→現在→未来への一方通行だけではなく、未来→現在→過去の流れもある両側通行であるという考え方になるでしょう。
次に、
超自然社会である新しい人間社会の新しい価値観(新しい考え方)は、従来の人間社会の従来の価値観(従来の考え方)と逆さまでなければならない。
では、
従来の人間社会の従来の価値観(従来の考え方)と逆さまの新しい価値観(新しい考え方)とは一体どんな価値観(考え方)でしょうか?
一方、
従来の人間社会の従来の価値観(従来の考え方)とは一体どんなものだったのでしょうか?
まさに、
“生きることが好くて、死ぬことが悪い”
“幸福になるのが好くて、不幸になるのが悪い”
“健康になるのが好くて、病気になるのが悪い”
“お金持ちになるのが好くて、貧乏になるのが悪い”
“強い者が好くて、弱い者が悪い”
“勉強できるのが好くて、勉強できないのが悪い”
“出世するのが好くて、出世しないのが悪い”
“偉くなるのが好くて、偉くならないのが悪い”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
“神を信じるのが好くて、神を信じないのが悪い”
従って、
従来の人間社会の従来の価値観(従来の考え方)と逆さまの新しい価値観(新しい考え方)とは、
“生きることが好くなくて、死ぬことが好い”
“幸福になるのが好くなくて、不幸になるのが好い”
“健康になるのが好くなくて、病気になるのが好い”
“お金持ちになるのが好くなくて、貧乏になるのが好い”
“強い者が好くなくて、弱い者が好い”
“勉強できるのが好くなくて、勉強できないのが好い”
“出世するのが好くなくて、出世しないのが好い”
“偉くなるのが好くなくて、偉くならないのが好い”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
“神を信じるのが好くなくて、神を信じないのが好い”
従って、
自然社会を超えた価値観、
且つ、
従来の人間社会の従来の価値観(従来の考え方)と逆さまの新しい価値観(新しい考え方)、
とは、
“生きることは好くも悪くもなく、死ぬことも好くも悪くもない”
“幸福になるのは好くも悪くもなく、不幸になるのも好くも悪くもない”
“健康になるのは好くも悪くもなく、病気になるのも好くも悪くもない”
“お金持ちになるのは好くも悪くもなく、貧乏になるのも好くも悪くもない”
“強い者は好くも悪くもなく、弱い者も好くも悪くもない”
“勉強できるのは好くも悪くもなく、勉強できないのも好くも悪くもない”
“出世するのは好くも悪くもなく、出世しないのも好くも悪くもない”
“偉くなるのは好くも悪くもなく、偉くならないのも好くも悪くもない”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
“神を信じるのが好くも悪くもなく、神を信じないのも好くも悪くもない”
というものになるでしょう。
言い換えれば、
生・死二元論を超えた三元論的価値観。
幸・不幸二元論を超えた三元論的価値観。
健康・病気二元論を超えた三元論的価値観。
貧・富二元論を超えた三元論的価値観。
強・弱二元論を超えた三元論的価値観。
賢・愚二元論を超えた三元論的価値観。
この世的成功・失敗二元論を超えた三元論的価値観。
偉夫・凡夫二元論を超えた三元論的価値観。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
神・悪魔二元論を超えた三元論的価値観。
に他なりません。
まさに、
新しい人間社会、すなわち、超自然社会の新しい価値観(新しい考え方)とは、
正さま社会(一元論的実在社会=始点静止社会=自然社会)→逆さま社会(二元論的現象社会=円周運動社会=従来の人間社会)→正さま社会(三元論的虚像社会=終点静止社会=新しい人間社会)に回帰(円回帰)する社会の価値観(考え方)に他ならないのです。