第五章 逆さま社会 & 正さま社会

I.人生は映像
第四章【映像の映像世界】で結論したように、我々人間が現実だと想い込んできた人生とは、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生(人生)。
平等・公正・平和を標榜しながら差別・不条理・戦争を繰り返す一生(人生)。
一握りの支配者層(政治家・高級官僚・財界)と圧倒的多数の被支配者層(国民)で構成される支配・被支配二層構造の差別社会とそんな社会をより堅固なものにするための方便である世襲・相続の差別制度の社会を生きる一生(人生)。
自然社会に反した男性社会を生きる一生(人生)。
一部の悪意ある支配者層によって捏造された宗教・科学が蔓延している社会を生きる一生(人生)。
でした。
まさに、
我々人間が人生だと想い込んできたいわゆる現実の世界とは、眠っている間に経験している夢の世界と本質的には同じ映像世界に他ならなかったのです。
つまり、
いわゆる現実の世界=映像の世界だったのです。
だから、
いわゆる現実に過ぎないわけで、本当の現実、すなわち、実在ではなかったのです。
まさに、
いわゆる現実=映像である証明です。

II.仮想人生は虚像(映像の映像)人生
では、
いわゆる現実世界=映像世界であるなら、仮想世界とは一体何者でしょうか?
映像の映像とは一体何になるのでしょうか?
この疑問に答えることが、第五章のテーマに他なりません。
先ず、
自分と他者との真の関係を理解しておかなければなりません。
我々人間は、自分と自分以外のものすべて、すなわち、他者も同じ世界に存在していると錯覚しています。
自分だけが実際に存在し、すなわち、実在し、自分以外のものはすべて、家族も他人も家もなにもかも、映像に過ぎないことを理解しなければなりません。
現に、
1光年の星は1年前という過去の星の姿、すなわち、映像を見ている。
太陽は8分前という過去の太陽の姿、すなわち、映像を見ている。
月は2秒前という過去の月の姿、すなわち、映像を見ている。
目の前3m先にいる家族の姿は、1億分の1秒前という過去の家族の姿、すなわち、映像を見ている。
まさに、
自分以外のものはすべて、家族も他人も家もなにもかも、過去の映像に過ぎない証です。
映画館で映画を鑑賞している自分と、映画館の白いスクリーンに映っている映画の世界とは別世界であるのと同じです。
まさに、
現実(現に実在するもの)だと想い込んできた世界が実は映像の世界だったのです。
まさに、
いわゆる現実=映像に他なりません。
まさに、
現実(現に実在するもの)は自分だけで、自分以外のものはすべて映像に過ぎないのです。
結局の処、
見ているもの(見えているもの)はすべて光を介して映る映像に他ならないのです。
同じように、
聞いているもの(聞こえているもの)はすべて音を介して聞く映像に他ならないのです。
匂っているもの(匂えるもの)はすべて臭いを介して匂う映像に他ならないのです。
味わっているもの(味わえているもの)はすべて味を介して味わう映像に他ならないのです。
触っているもの(触れているもの)はすべて触感を介して触れる映像に他ならないのです。
なぜなら、
五感で自他の区分けをしているからです。
まさに、
いわゆる現実世界=映像世界に他なりません。
言い換えれば、
いわゆる現実世界=現象世界に他なりません。
従って、
このように言い換えることができます。
見ているもの(見えているもの)はすべて光を介して映る現象に他ならないのです。
同じように、
聞いているもの(聞こえているもの)はすべて音を介して聞く現象に他ならないのです。
匂っているもの(匂えるもの)はすべて臭いを介して匂う現象に他ならないのです。
味わっているもの(味わえているもの)はすべて味を介して味わう現象に他ならないのです。
触っているもの(触れているもの)はすべて触感を介して触れる現象に他ならないのです。
まさに、
我々が現実だと想い込んでいる世界の出来事とは、実在ではなく、現象に過ぎないのです。
従って、
現実主義者と称する者たち、テレビに出ている識者や評論家という連中の言っている、いわゆる現実とは単なる現象に過ぎず、まさに、映像世界の出来事に他ならないのです。
では次に、
いわゆる現実世界に対して仮想(映像の映像)世界とは一体何者なのでしょうか?
言い換えれば、
映像世界に対して仮想(映像の映像)世界とは一体何者なのでしょうか?
まさに、
映像の映像とは何でしょうか?
そこで、
実像と虚像というものがあります。
言うまでもなく、
実像とは実在ではなく映像に過ぎません。
なぜなら、
レンズを通して映した映像を実像と言うからで、まさに、白いスクリーンに映った映画を実像と言うのです。
一方、
虚像とは実像(映像)の映像のことです。
まさに、
映像が実像、映像の映像が虚像なのです。
従って、
いわゆる現実世界は実像世界に対して、仮想世界は虚像世界と言うことになります。

III.現実社会=逆さま社会 & 仮想社会=正さま社会
そうしますと、
世界の経済規模、すなわち、世界の総GDP3500兆円に対して、健全な貨幣流通量500兆円が本位貨幣量であるのに、それを10、000兆円(1京円)まで印刷し過ぎた病的貨幣流通量の似非実体貨幣(虚構貨幣)に基づく虚構社会こそが、拝金主義社会=格差社会=実像社会(現象社会)=いわゆる現実世界=逆さま社会に他なりません。
一方、
超拝金主義社会=超格差社会とは、幻想貨幣(電子マネー)に基づく幻想社会です。
平たく言えば、
世界の経済規模、すなわち、世界の総GDP3500兆円に対して、健全な貨幣流通量500兆円が本位貨幣量であるのに、それを10、000兆円(1京円)まで印刷し過ぎた病的貨幣流通量の似非実体貨幣(虚構貨幣)を、更にてこ入れ(レバレッジ)して1、000、000兆円(100京円)の仮想貨幣(電子マネー)までした幻想社会(仮想社会)こそが、超拝金主義社会=超格差社会=虚像社会=仮想社会=正さま社会に他なりません。
まさに、
いわゆる現実社会=逆さま社会。
だから、
いわゆる現実社会=逆さま社会を生きている人間の一生は、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生(人生)になるのです。
平等・公正・平和を標榜しながら差別・不条理・戦争を繰り返す一生(人生)になるのです。
一握りの支配者層(政治家・高級官僚・財界)と圧倒的多数の被支配者層(国民)で構成される支配・被支配二層構造の差別社会とそんな社会をより堅固なものにするための方便である世襲・相続の差別制度の社会を生きる一生(人生)になるのです。
自然社会に反した男性社会を生きる一生(人生)になるのです。
一部の悪意ある支配者層によって捏造された宗教・科学が蔓延している社会を生きる一生(人生)になるのです。
一方、
仮想社会=正さま社会。
そうしますと、
仮想社会=正さま社会を生きる人間の一生は、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれない一生(人生)になるのです。
平等・公正・平和を標榜しながら差別・不条理・戦争を繰り返さない一生(人生)になるのです。
一握りの支配者層(政治家・高級官僚・財界)と圧倒的多数の被支配者層(国民)で構成される支配・被支配二層構造の差別社会とそんな社会をより堅固なものにするための方便である世襲・相続の差別制度の社会を生きない一生(人生)になるのです。
自然社会に反した男性社会を生きない一生(人生)になるのです。
一部の悪意ある支配者層によって捏造された宗教・科学が蔓延している社会を生きない一生(人生)になるのです。
まさに、
現実=現に実在する世界が一元論世界=自然社会(宇宙)=正さま社会であるのに対して、
いわゆる現実が二元論世界=実像(映像)世界=これまでの人間社会=逆さま社会であり、
超えた三元論世界=虚像(映像の映像)世界=これからの目差すべき人間社会=正さま社会かもしれません。
平たく言えば、
実在(現実)の映像が実像(いわゆる現実)で、実像(いわゆる現実)の映像(映像の映像=虚像)は再び実在(現実)に円回帰するのです。
言い換えれば、
正さま社会の映像が逆さま社会であり、逆さま社会の映像(映像の映像=虚像)が再び正さま社会に円回帰するのです。