第四章 映像の映像世界

I.現実世界と虚構世界と幻想世界
現代情報化社会では、貨幣には、本位貨幣、虚構貨幣、幻想貨幣というものがあることを第一章及び第三章で検証してきました。
先ず、
本位貨幣とは、本来あるべき本質的実体貨幣のことである。
そして、
本位貨幣に基づいて経済が機能している社会がいわゆる現実社会と言えるでしょう。
一方、
虚構貨幣とは、錯覚に基づく似非実体貨幣のことである。
そして、
虚構貨幣に基づいて経済が機能している社会が虚構社会と言えるでしょう。
他方、
幻想貨幣とは、際限なき欲望に基づく仮想貨幣のことであり、情報化社会では電子マネーと呼んでいる。
そして、
幻想貨幣に基づいて経済が機能している社会が幻想社会と言えるでしょう。

II.現代社会の人間の一生は仮想(映像)人生
四苦八苦の人生を送っている現代若者。
若い男女が貧困生活を送っている昨今の日本の状況は、1980年代の日本ではじまった、日本人一億総中産階級社会が30年も続かなかったことを示しています。
厳密に言えば、
日本人一億総中産階級社会は1980年代の10年しかなく、バブル経済が破裂した1990年代から下降しはじめ、2000年代に入って下降勾配が強くなり、2010年代に入って、格差社会が明確に現れてきたのが実体でしょう。
その結果、
1980年代以降生まれの苦労知らずの世代が今20代30代に突入して、突如、貧困生活を余儀なくさせられているわけです。
まさに、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる人生を送る羽目に陥った日本人若者。
まさに、
団塊の世代(1947年生まれから1951年生まれの世代)の子供たち、いわゆる、団塊ジュニアー世代が貧困生活に喘いでいるのが現代日本の実相です。
“戦争を知らない子供たち”であった団塊の世代が子供だった1950年代の日本はまだ、豊かな欧米先進国の比でないほど貧しかっただけに、苦労知らずの団塊ジュニアー世代と違った雑草的強さは持ち併せていたが、まったく苦労知らずの団塊ジュニアー世代にとっては、突然襲ってきた貧困は耐え難いでしょう。
現に、
自殺願望アンケートの結果、2005年では30代が27.8%で最も自殺願望が強かったのに、2012年では20代が28.4%で最も高くなったのが如実に示しています。
更に、
すべての年代で女性の自殺願望が男性を上回り、特に、自殺を考えたことがある人のうち、「最近1年以内の自殺を考えた」と答えた人は、20代の36.2%が最多で、その中でも20代の女性は44.4%と、ほぼ、20代女性の半数が「最近1年以内の自殺を考えた」ことになります。
まさに、
恐るべき結果です。
そこで、
人類という動物の一種の寿命は70年と決まっており、しかも、7年周期の10回と決まっている点に注目しましょう。
更に、
10回ある各7年周期の意義も下記のように決まっています。
つまり、
0歳から7歳が生きものとしての基礎を構築する7年。
7歳から14歳が人間としての基礎を構築する7年。
14歳から21歳が大人の人間に目覚める7年。
21歳から28歳が配偶者を選び親になる7年。
28歳から35歳が大人の人間として成熟する7年。
35歳から42歳が本当の自分を発見する7年。
42歳から49歳が本当の自分を確立する7年。
49歳から56歳が独りで生きはじめる7年。
56歳から63歳が人生を総括する7年。
63歳から70歳が死ぬ準備の7年。
まさに、
20代から30代という年代は、地球(自然社会=宇宙全体)の絶対的掟(法則)である子孫保存法則(エネルギー保存法則=円回帰運動)を自覚・実践する時期なのです。
言い換えれば、
誕生・生・死という子孫保存法則(エネルギー保存法則=円回帰運動)の中で「生=生きること」を一番自覚する時期に当たるのです。
ところが、
そんな世代が自殺することを一番考えるのは、まさに、地球(自然社会=宇宙全体)の絶対的掟(法則)に反していることなのです。
従って、
格差社会(差別社会)というのは、まさに、地球(自然社会=宇宙全体)の絶対的掟(法則)に反している社会なのです。
では、
格差社会発生の原因は一体何でしょうか?
言うまでもなく、
富の偏在に第一の原因があります。
バブル経済が破裂した1990年において、
1億3000万の日本人の中で、1億円以上の現金を持っている人は50万人、10億円以上の現金を持っている人は2万人、30億円以上の現金を持っている人は1000人もいませんでした。
一方、
1億円以下1000万円以上の現金を持っている日本人となると、500万人というように、まさに、1億総日本人中産階級社会を構成していた時代です。
ところが、
失われた10年である1990年代が終わった2000年においては、
1億円以上の現金を持っている人は120万人、10億円以上の現金を持っている人は6万人、30億円以上の現金を持っている人は1万人にまで増えた一方で、1億円以下1000万円以上の現金を持っている日本人が200万人まで減った。
2010年においては、
1億円以上の現金を持っている人は180万人、10億円以上の現金を持っている人は15万人、30億円以上の現金を持っている人は9万人にまで増えた一方で、1億円以下1000万円の現金を持っている日本人が100万人以下まで減った。
まさに、
富の偏在が原因で格差社会になってしまったのです。
ところが、
日本人の平均貯蓄額は、年々増加の一途を辿り、2012年では1500万円に届く勢いです。
まさに、
平均貯蓄額では、日本人は世界一のお金持ちなのです。
現に、
世界に70億いる人口の中で、1億円(100万ドル)以上の現金を持っている人は850万人と、およそ、1000人に1人が億万長者であるのに対して、日本人1億3000万人の中で、1億円以上の現金を持っている人は180万人と、およそ、100人に1人が億万長者であることが、日本人が世界一のお金持ちである証です。
一方、
世界一のお金持ちである日本人の中に貯蓄額がゼロという人たちが200万人いて、その大半が20代の日本人です。
まさに、
日本人が世界一のお金持ちである実体は、1億円以上の現金を持っている人が180万人、10億円以上の現金を持っている人が15万人、30億円以上の現金を持っている人が9万人いる、そんな彼らが平均貯蓄額を1500万円まで引き上げているだけで、ほとんどの日本人はどんどん貧困化しているのです。
まさに、
文明の第三の波によって誕生した高度情報化社会は仮想社会(映像の映像社会)であり、まさに、映し出された仮想社会(映像の映像社会)の最終場面こそが超格差社会に他ならないのです。
まさに、
現代超格差社会に生きる人生は仮想(映像の映像)人生に他ならないのです。

III.仮想(映像の映像)人生の正体
超格差社会の中で仮想(映像の映像)人生を生きる現代社会の人間。
彼らにとって頼みの綱は唯一お金(仮想紙幣)です。
まさに、
拝金主義の極みの超拝金主義を信奉している。
では、
拝金主義と超拝金主義の違いは一体何処にあるのでしょうか?
先述したように、
虚構貨幣を信奉するのが拝金主義であるのに対して、幻想貨幣(仮想貨幣)を信奉するのが超拝金主義に他なりません。
従って、
拝金主義が蔓延する社会が虚構社会であるのに対して、超拝金主義が蔓延する現代社会は、まさに、幻想社会に他なりません。
言い換えれば、
拝金主義が蔓延する社会が格差社会であるのに対して、超拝金主義が蔓延する現代社会は、まさに、超格差社会に他なりません。
そこで、
拝金主義社会=格差社会と超拝金主義社会=超格差社会の根本的な違いを時系列的に検証してゆきましょう。
先ず、
拝金主義社会=格差社会とは、似非実体貨幣(虚構貨幣)に基づく虚構社会です。
平たく言えば、
世界の経済規模、すなわち、世界の総GDP3500兆円に対して、健全な貨幣流通量500兆円が本位貨幣量であるのに、それを10、000兆円(1京円)まで印刷し過ぎた病的貨幣流通量の似非実体貨幣(虚構貨幣)に基づく虚構社会こそが、拝金主義社会=格差社会に他なりません。
一方、
超拝金主義社会=超格差社会とは、幻想貨幣(電子マネー)に基づく幻想社会です。
平たく言えば、
世界の経済規模、すなわち、世界の総GDP3500兆円に対して、健全な貨幣流通量500兆円が本位貨幣量であるのに、それを10、000兆円(1京円)まで印刷し過ぎた病的貨幣流通量の似非実体貨幣(虚構貨幣)を、更にてこ入れ(レバレッジ)して1、000、000兆円(100京円)の仮想貨幣(電子マネー)までした幻想社会(仮想社会)こそが、超拝金主義社会=超格差社会に他なりません。
他方、
本位貨幣に基づく実体社会(現実世界)を生きる人生こそ、実人生に他なりません。
従って、
先ず、
本位貨幣に基づく実体社会(現実世界)を生きる実人生に戻らなければなりません。

IV.実人生 V.S.仮想(映像)人生
世界の経済規模、すなわち、世界の総GDP3500兆円に対して、健全な貨幣流通量500兆円が本位貨幣量であるのに、それを10、000兆円(1京円)まで印刷し過ぎた病的貨幣流通量の似非実体貨幣(虚構貨幣)を、更にてこ入れ(レバレッジ)して1、000、000兆円(100京円)の仮想貨幣(電子マネー)までした幻想社会(仮想社会)こそが、超拝金主義社会=超格差社会に他ならない。
他方、
本位貨幣に基づく実体社会(現実世界)を生きる人生こそ、実人生に他ならない。
そこで、
仮想(映像の映像)人生を送ることを余儀なくされている現代人は、本位貨幣に基づく実体社会(現実世界)を生きる実人生に戻ることが果たしてできるのでしょうか?
逆に言えば、
仮想(映像の映像)人生の中に新しい可能性を見出すことは果たしてできるのでしょうか?
では、
人生の中の新しい可能性とは一体何でしょうか?
言うまでもなく、
人生の中の古い常識を打破できるかどうかの可能性に他なりません。
では、
人生の中の古い常識とは一体何でしょうか?
先ず、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生でしょう。
次に、
平等・公正・平和を標榜しながら差別・不条理・戦争を繰り返す人間社会でしょう。
更に、
一握りの支配者層(政治家・高級官僚・財界)と圧倒的多数の被支配者層(国民)で構成される支配・被支配二層構造の差別社会とそんな社会をより堅固なものにするための方便である世襲・相続の差別制度の人間社会でしょう。
更に、
自然社会に反した男性社会の人間社会でしょう。
更に、
一部の悪意ある支配者層によって捏造された宗教・科学が蔓延している人間社会でしょう。
従って、
人生の中の新しい可能性とは、
これらの人生の中の古い常識を打破できる可能性に他なりません。
つまり、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれない一生。
次に、
平等・公正・平和を標榜しながら差別・不条理・戦争を繰り返さない人間社会。
更に、
一握りの支配者層(政治家・高級官僚・財界)と圧倒的多数の被支配者層(国民)で構成される支配・被支配二層構造の差別社会とそんな社会をより堅固なものにするための方便である世襲・相続の差別制度のない人間社会。
更に、
自然社会に反した男性社会でない人間社会。
更に、
一部の悪意ある支配者層によって捏造された宗教・科学が蔓延していない人間社会。
まさに、
現実社会に生きる人間の一生、つまり、実人生とは、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生(人生)。
平等・公正・平和を標榜しながら差別・不条理・戦争を繰り返す一生(人生)。
一握りの支配者層(政治家・高級官僚・財界)と圧倒的多数の被支配者層(国民)で構成される支配・被支配二層構造の差別社会とそんな社会をより堅固なものにするための方便である世襲・相続の差別制度の社会を生きる一生(人生)。
自然社会に反した男性社会を生きる一生(人生)。
一部の悪意ある支配者層によって捏造された宗教・科学が蔓延している社会を生きる一生(人生)。
ということになります。
一方、
仮想(映像の映像)社会に生きる人間の一生、つまり、仮想(映像の映像)人生とは、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれない一生(人生)。
平等・公正・平和を標榜しながら差別・不条理・戦争を繰り返さない一生(人生)。
一握りの支配者層(政治家・高級官僚・財界)と圧倒的多数の被支配者層(国民)で構成される支配・被支配二層構造の差別社会とそんな社会をより堅固なものにするための方便である世襲・相続の差別制度の社会を生きない一生(人生)。
自然社会に反した男性社会を生きない一生(人生)。
一部の悪意ある支配者層によって捏造された宗教・科学が蔓延している社会を生きない一生(人生)。
ということになります。