第二十五章 超える時代

I.常識/非常識を超える
自覚から理解へ。
知ることから体験することへ。
まさに、
常識/非常識を超えた超常識の所以がここにある。
従って、
常識/非常識と超常識とは似て非なるものです。
言い換えれば、
常識/非常識とは似非超常識に他なりません。
まさに、
非常識とは常識から逸脱していることに他なりません。
論理的に言えば、
常識と非常識は二律背反関係に他なりません。
逆に言えば、
常識とは非常識から逸脱していることに他なりません。
論理的に言えば、
常識と非常識は二律背反関係に他なりません。
一方、
超常識とは常識/非常識を超えることに他なりません。
論理的に言えば、
常識と非常識が補完関係であることを理解することによって、超常識の入り口に立てるわけです。
表現を換えれば、
三元世界とは二元世界を超える経験をすることによって始点である一元世界に終点として辿り着ける世界に他なりません。
そして、
三元世界に辿り着くためには、
自覚から理解へ。
知ることから体験することへ。
が求められるわけです。
言い換えれば、
常識/非常識を超える超常識の世界に辿り着くためには、
自覚から理解へ。
知ることから体験することへ。
が求められるわけです。

II.不完全な知性から完全な知性へ
常識/非常識を超える超常識の世界に辿り着くためには、
自覚から理解へ。
知ることから体験することへ。
が求められる。
まさに、
自覚するとは知識修得レベルに他なりません。
まさに、
知ることとは知識修得レベルに他なりません。
言い換えれば、
自覚するとは不完全な知性修得レベルに他なりません。
まさに、
知ることとは不完全な知性修得レベルに他なりません。
一方、
理解するとは完全な知性修得レベルに他なりません。
体験するとは完全な知性修得レベルに他なりません。
従って、
常識/非常識を超える超常識の世界に辿り着くための自覚から理解へとは、不完全な知性修得レベルから完全な知性修得レベルに達することに他なりません。
従って、
常識/非常識を超える超常識の世界に辿り着くための知ることから体験することへとは、不完全な知性修得レベルから完全な知性修得レベルに達することに他なりません。

III.潜在能力の意味
自然社会の生きものは、潜在能力を100%発揮できます。
ただし、
大人に成長してからの話ですが。
たとえば、
体長がせいぜい50cmの猫はみんな5m(10倍)以上の高さをジャンプできますが、体長が150cmから180cmの人間の世界記録保持者でも2m30cm(1.5倍)しかジャンプできませんし、一般の人間なら自分の身長の高さすらジャンプできません。
たとえば、
犬はみんな1km先の物音が聞こえるし、数キロ先の匂いを感知できますが、人間は数十メートル先の物音が聞こえないし、十数メートル先の匂いも感知できません。
だから、
自然社会の生きものは大地震の発生を10時間以上前に察知でき避難できるのに、人間は発生してからでないと察知できないし、人間の最高の知性を発揮する大学の研究所の地震感知機でも1分前ですら察知できないから、大災害になるのです。
この事実は一体何を意味しているのでしょうか?
まさに、
自然社会の生きものは、潜在能力を100%発揮して生きているのに対して、人間はせいぜい20%程度しか発揮できないで生きている証明です。
言い換えれば、
知性を唯一持ち併せている人間ですが、完全な知性を発揮し得ていない証明に他ならないのです。
逆に言えば、
不完全な知性しか発揮し得ていない人間だから、潜在能力を100%発揮できずに生きている証明に他ならないのです。
そうでないと、
無知な自然社会の生きものの上に有知の人間が君臨できるわけがありません。
従って、
知性が自然社会の生きものを凌駕し得る要件であったことは確かですが、その反対給付として、潜在能力を100%発揮できなくする危険性も知性は有していたわけです。
まさに、
知性獲得にも功罪両面があった証明に他なりません。
つまり、
知性獲得の罪的側面として、潜在能力を低下させ得る危険性があった。
そして、
知性獲得の罪的側面こそが、不完全な知性に他ならなかったのです。
一方、
知性獲得の功的側面こそが、完全な知性に他ならなかったのです。
まさに、
完全な知性を獲得することこそが、潜在能力を100%発揮できることを可能にさせ、無知な自然社会の生きものの上に有知の人間が君臨できる所以になる。

IV.万物の霊長の資格のない人間
完全な知性を獲得することこそが、潜在能力を100%発揮できることを可能にさせ、無知な自然社会の生きものの上に有知の人間が君臨できる所以になる。
従って、
未だ不完全な知性しか発揮し得ていない人間社会には、無知な自然社会の生きものの上に有知の人間が君臨できる資格はないと言えます。
まさに、
この事実こそが、死を知った生きものでありながら、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥っている原因に他ならないのです。
その結果、
支配・被支配二層構造の人間社会になってしまった。
男性社会になってしまった。
そして、
男性社会による支配・被支配二層構造の人間社会を堅持するために、宗教、世襲・相続の差別制度を捏造した。
その結果、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥った。
そして最悪なことに、
差別・不条理・戦争の横行する社会になってしまった。
更に、
国家のある社会
会社のある社会
家族のある社会
政治のある社会
経済のある社会
社会のある社会
を構築してしまった。
まさに、
不完全な知性ゆえの人間社会に成り果ててしまったわけです。

V.万物の霊長社会の所以
完全な知性を獲得することこそが、潜在能力を100%発揮できることを可能にさせ、無知な自然社会の生きものの上に有知の人間が君臨できる所以になる。
従って、
完全な知性を発揮してはじめて人間社会は、無知な自然社会の生きものの上に有知の人間が君臨できる資格があると言えます。
まさに、
死を知った生きものであることで、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を克服できる一生を送ることができるのです。
その結果、
均質構造の実力主義の平等社会になるでしょう。
女性社会になるでしょう。
そして、
民主主義と哲学が主役の共和制知恵社会になるでしょう。
その結果、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた社会になるでしょう。
そして遂に、
平等・公正・平和の社会になるでしょう。
更に、
国家のない社会
会社のない社会
家族のない社会
政治のない社会
経済のない社会
社会のない社会
を構築することができるでしょう。
まさに、
完全な知性ゆえの人間社会こそ、万物の霊長社会たる所以に他なりません。