第二十四章 常識/非常識から超常識へ

I.常識/非常識の間違った二元世界
善悪の判断をする果実を食べることを神から禁じられた人間の祖先アダムとイブ以来、人間は二元世界を生きることを余儀なくされた。
善と悪。
男と女。
支配者と被支配者。
神と悪魔。
天国と地獄。
・・・・・。
では、
エデンの園、すなわち、自然社会の生きものは、二元世界で生きていないのでしょうか?
言うまでもなく、
自然社会の生きものにも、オスとメスが歴然と存在しているのですから、やはり、二元世界で生きているはずです。
まさに、
自然社会の生きものと同じ生き方をしている純真無垢な人間の子供が、依然エデンの園で生きている証に他なりません。
では、
自然社会の生きものや純真無垢な人間の子供たちと、人間の大人と一体何が違うのでしょうか?
まさに、
自然社会の生きものや純真無垢な人間の子供たちは、正しい二元世界で生きているのに対して、人間の大人は間違った二元世界で生きているのです。
では、
正しい二元世界と間違った二元世界の違いは何でしょうか?
まさに、
正しい二元とは、二元要因がお互い補い合う補完関係に捉えることです。
すなわち、
善と悪。
男と女。
支配者と被支配者。
神と悪魔。
天国と地獄。
・・・・・。
は、お互い補い合っていると捉えることです。
一方、
間違った二元とは、二元要因がお互い対立し合う二律背反関係に捉えることです。
すなわち、
善と悪。
男と女。
支配者と被支配者。
神と悪魔。
天国と地獄。
・・・・・。
は、お互い対立し合っていると捉えることです。
そして、
大人の人間は、これら二元要因をお互い対立し合っていると捉えています。
まさに、
人間社会の考え方に間違いがあった証です。
更に、
人間社会や自然社会、すなわち、地球のみならず、宇宙全体が二元世界である点を見逃してはなりません。
すなわち、
我々の宇宙は物質と反物質で構成されている二元宇宙であり、運動宇宙である。
畢竟、
二元世界とは運動世界に他ならないわけです。
言い換えれば、
二元世界とは生の世界に他ならないわけです。
逆に言えば、
二元世界とは静止世界ではないわけです。
言い換えれば、
二元世界とは死の世界ではないわけです。
ところが、
大人の人間は、生死二元で生きていることを常識としています。
平たく言えば、
大人の人間は、生まれて生きる限りは必ず死ぬことを常識として生きています。
つまり、
大人の人間は、死の概念を持って生きています。
更に、
大人の人間は、死を悪いものだと捉え、生を好いものだと捉えています。
まさに、
大人の人間は、生死二元をお互い対立し合う二律背反関係と捉えているのです。
まさに、
大人の人間は、間違った二元世界で生きている証明に他なりません。
そして、
大人の人間は、死ぬことは好くない(自殺することが験が悪い)ものと捉えることを常識として生きています。
逆に言えば、
大人の人間は、死ぬことが好い(自殺することが験が好い)ものと捉えることを非常識として生きています。
畢竟、
大人の人間は、常識が好くて、非常識が好くないという間違った二元世界で生きている証明に他なりません。
従って、
正しい二元世界で生きるためには、常識と非常識が対立し合っていると考えるのではなく、常識と非常識がお互い補い合っていると、
先ず考えなければならず、
次に感じなければなりません。
平たく言い換えれば、
正しい二元世界で生きるためには、常識と非常識が対立し合っていると考えるのではなく、常識と非常識がお互い補い合っていると、
先ず頭(知性)で理解しなければならず、
次に体(感性)に落とさなければなりません。
更に平たく言い換えれば、
正しい二元世界で生きるためには、常識と非常識が対立し合っていると考えるのではなく、常識と非常識がお互い補い合っていると、
先ず知らなければならず、
次に体験しなければなりません。
そして、
知ることと体験することは必要十分条件であり、どちらが欠落しても条件を満たすことはできません。
まさに、
常識/非常識を超えた超常識の所以がここにあるのです。

II.常識/非常識の正しい二元から超常識へ
正しい二元世界で生きるためには、常識と非常識が対立し合っていると考えるのではなく、常識と非常識がお互い補い合っていると、
先ず知らなければならず、
次に体験しなければならない。
すなわち、
正しい二元=常識/非常識がお互い補い合っていると理解していることに他なりません。
一方、
自然社会の生きものや人間の子供は正しい二元世界で生きているが、そのことを理解していません。
まさに、
常識/非常識を超えた超常識の所以がここにある。
従って、
自然社会の生きものや人間の子供は正しい二元世界で生きているが、そのことを理解していない。
一方、
人間社会の大人は間違った二元世界で生きているが、そのことを自覚していない。
他方、
人間社会の大人の目差すべき生き方は、正しい二元世界で生きていることを理解することに他なりません。
まさに、
人間が子供から大人に成長することの真の意義とは、自覚を通じて理解することに他なりません。
平たく喩えれば、
人間が子供から大人に成長することの真の意義とは、自分が音痴であることを先ず自覚し、そして、音痴を治すためにあることです。
自覚から理解へ。
知ることから体験することへ。
まさに、
常識/非常識を超えた超常識の所以がここにあるのです。