第二十二章 経済のない世界

I.経済の概念
経済とは、経世済民、すなわち、世の中を治め、人民の苦しみを救うことを本義にした言葉です。
まさに、
格差社会が現実化している現代社会には、真の経済が存在しない証明に他なりません。
ましてや、
先進国から開発途上国に至るまで、格差社会から超格差社会のオンパレードとなると、12000年続いてきた文明社会には、真の経済など存在した試しがない証明にもなります。
まさに、
平等・公正・平和を標榜しながらも、差別・不条理・戦争を繰り返してきた人間社会には、真の平等、真の公正、真の平和など存在した試しがない証明に他なりません。
ところが、
誰もが平等・公正・平和を望んでいます。
人間社会は、一体全体、どうなっているのでしょうか?
まさに、
人間社会だけが、本音と建前が混在する自己矛盾の社会である証に他なりません。
まさに、
ひとり一人の人間が、嘘をつくことは好くないと思いながら、嘘をつく人生を送っていることこそ、本音と建前が混在する自己矛盾に満ちた人生の証に他なりません。
しかも最悪なのは、
嘘をつくことは好くないと思うことが本音なのか、嘘をつく人生を送ることが本音なのかを判断できないでいるのです。
そして、
その自己矛盾を際立たせているのが、本来、経世済民、すなわち、世の中を治め、人民の苦しみを救う経済そのものが欺瞞に成り下がり、その結果、格差社会、超格差社会が実現しつつあるのが、現代人間社会に他ならないのです。
まさに、
「経済=経世済民」などという言葉を遣うこと自体憚られる人間社会なのです。

II.実在性のない経済
人間社会だけにある経済の概念の原点には物々交換があります。
すなわち、
12000年前にはじまった農耕型社会においてはじめて経済の概念が誕生したと言えるでしょう。
なぜなら、
狩猟型社会においては、物々交換は為されず、日々の糧を追い求める社会だからです。
言い換えれば、
物々交換の概念誕生の背景には、蓄積の概念があったからです。
従って、
物々交換の結果、蓄積の差が生じ、蓄積の差が貧富の差を生むわけですから、経済の概念が誕生したと同時に貧富の差、すなわち、格差社会を生むことになるわけです。
そして、
貧富の差が生じる原因には、みんなが実在性のある貧乏(自然社会では蓄積しない者の意)を避け、実在性のある貧乏の不在概念に過ぎない金持ち(自然社会では一切許されない蓄積する者の意)を追い求めるという土台不可能な考え方が潜んでおり、まさに、土台不可能な考え方が経済の原点にあるわけです。
従って、
経済には、しょせん実在性などないわけです。

III.経済のない世界
経済とは、経世済民、すなわち、世の中を治め、人民の苦しみを救うことを本義にした言葉である。
ところが、
経済の実体は、利益追求を命題としたものになっています。
言い換えれば、
経済の実体は、蓄積追求を命題としたものになっています。
更に言い換えれば、
経済の実体は、お金持ちになることを命題としたものになっています。
ところが、
経済、すなわち、経世済民の命題になっている、人民の苦しみを救うという人民とは、利益を得られない者、蓄積を持たない者、お金持ちでない者を意味しているのです。
なぜなら、
人民とは、圧倒的多数の人間を指すものに他ならないからで、圧倒的多数を占める人民が、利益を得たり、蓄積を持ったり、お金持ちになったりすることは絶対不可能だからです。
逆に言えば、
利益を得たり、蓄積を持ったり、お金持ちになったりするには、圧倒的少数の人間でしか無理だからです。
畢竟、
経済の実体である、
利益追求、蓄積追求、お金持ちになること、
と、
経済の真の意義である、
経世済民、すなわち、世の中を治め、人民の苦しみを救うこと、
とは相反するものになっているのです。
まさに、
建前では、
世の中を治め、人民の苦しみを救うと云いながら、
本音では、
利益追求、蓄積追求、お金持ちになることを求める、
という自己矛盾を起こしているのです。
従って、
国家の概念の消滅と共に、経済の概念も消滅してゆくのは当然の結果でしょう。
そして、
経済が消滅する時代とは、超格差社会出現の時代と呼応していることをも示唆しているのです。
従って、
経済が消滅する時代とは、超平等社会出現の時代と呼応していることをも示唆しているのです。
まさに、
2010年代から2030年代が、経済のない世界が出現する時代の幕明けの走りに他ならないのです。