第十九章 国家・政治・経済のない社会

I.文明社会は二元社会
12000年前に狩猟型社会から農耕型社会の移行によって誕生した文明社会とは、
差別・不条理・戦争を繰り返す社会。
支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別社会。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる社会。
宗教や科学が横行する社会。
政治や経済が横行する社会。
男性社会=肉食系社会。
でした。
言い換えれば、
12000年前に狩猟型社会から農耕型社会の移行によって誕生した文明社会とは、二元社会でした。
まさに、
支配・被支配二層構造社会がその証明です。
つまり、
支配する者と支配される者を区別するわけです。
そして、
その原点に男女差別がありました。
まさに、
男性社会がその証明です。
一方、
自然社会(地球自身)や宇宙は一元社会です。
だから、
自然社会は、
支配・被支配二層構造にはなっていません。
そして、
男性(オス)社会にもなっていません。
従って、
現代社会においても、
支配・被支配二層構造、
男性社会、
が依然維持されているなら、
現代社会も二元社会ということになります。
まさに、
世襲・相続の慣習が依然残っていることが、現代社会が支配・被支配二層構造社会である証明であり、延いては、二元社会である証明であり、畢竟、文明社会である証明です。

II.超文明社会は三元社会
狩猟型社会から農耕型社会の移行によって、12000年前に誕生した文明社会は、草食系社会(女性社会)の台頭によって、2010年代から2030年代の20年間で終焉を迎え、超文明社会がその後にやってきます。
そして、
超文明社会とは、草食系社会(女性社会)でしょう。
そして、
超文明社会=草食系社会(女性社会)における国家は、超国家になるでしょう。
そして、
超文明社会=草食系社会(女性社会)における政治は、超政治になるでしょう。
そして、
超文明社会=草食系社会(女性社会)における経済は、超経済になるでしょう。
では、
超国家、
超政治、
超経済、
とは一体どんな代物でしょうか?
そこで、
二元社会であった文明社会で誕生したのが、国家、政治、経済の概念でした。
一方、
一元社会である自然社会(地球)や宇宙には、国家、政治、経済の概念は言うまでもなく、国家、政治、経済の観念すらありません。
まさに、
国家、政治、経済という代物は、単なる概念、すなわち、「考え方」であって、実在するものではないのです。
なぜなら、
一元社会とは、「考え方」、すなわち、「建前」など一切なく、すべては「在り方」、すなわち、「本音」だけの世界なのです。
一方、
二元社会とは、「考え方」と「在り方」、すなわち、「建前」と「本音」が混在する世界なのです。
そして、
自然社会も人間社会も、それらを包含する地球も、更に、宇宙全体をも貫く法則は「在り方」であって、「考え方」という代物は人間社会だけしか通用しないのです。
まさに、
概念(「考え方」)とは人間が考え出したものに過ぎず、宇宙全体を貫いた法則ではないわけです。
従って、
新田哲学では、概念(「考え方」)を「部分観」とも呼んでいます。
一方、
自然社会も人間社会も、それらを包含する地球も、更に、宇宙全体をも貫く法則である「在り方」を「全体感」と呼んでいるわけです。
従って、
国家、政治、経済という代物は、人間が勝手に考え出した概念(「考え方」)に過ぎず、しょせん「部分観」であって、決して「全体感」ではありません。
そして、
実在するものは「全体感」のみであって、「部分観」である国家、政治、経済といった概念(「考え方」)は、決して実在しない、湧き出ては消えてゆく幻想(映像)でしかないのです。
言い換えれば、
「部分観」である国家、政治、経済といった概念(「考え方」)は決してホンモノではなく、しょせんニセモノに過ぎないのです。
では、
ホンモノとニセモノの違いは一体何処にあるでしょうか?
まさに、
ホンモノは実在する、
ニセモノは(実在しない)映像である、
点にあります。
言い換えれば、
ホンモノは不変である、
ニセモノは常に変化する、
点にあります。
まさに、
ニセモノの自分(自我意識=エゴ)はころころ変わる心である、
ホンモノの自分は一切変わらない純粋意識である、
点と同じです。
従って、
「部分観」である国家、政治、経済といった概念(「考え方」)は決してホンモノではなく、しょせんニセモノに過ぎない。
言い換えれば、
「部分観」である国家、政治、経済といった概念(「考え方」)は、決して実在しない、湧き出ては消えてゆく幻想(映像)でしかない。
そして、
超文明社会は、「本音」と「建前」が混在する二元社会を超えた三元社会ですから、超国家、超政治、超経済の社会になるでしょう。
言い換えれば、
超文明社会=三元社会では、従来の文明社会で成り立っていた国家、政治、経済のない社会になるでしょう。