第十六章 超平等社会か?(希望の10年)か?

I.逆さまの逆さまは正さま
2010年代は、12000年続いた文明社会史上最も波乱に満ちた10年となる。
そして、
文明社会史上最も波乱に満ちた10年が、嘗て、日本が味わったような「失われた10年(1990年代)」の最大規模のようなものになるのか?
それとも、
「希望の10年(2010年代)」となるのか?
それは偏に、現代社会に生きる我々ひとり一人の人間に掛かっていると言っても過言ではない。
なぜなら、
我々が生きている21世紀という時代は、「個人の時代」だから。
逆に言えば、
20世紀までの近代社会のように、「組織の時代」が依然21世紀においても続いたら、2010年代は、最大規模の「失われた10年」になるでしょう。
まさに、
超格差社会が闊歩する2010年代になり、超格差社会から更に超・超格差社会になるでしょう。
言い換えれば、
お金持ちが0.01%に対して貧乏人が99.99%の状態の超・超格差社会、
更には、
お金持ちが0.001%に対して貧乏人が99.999%の状態の超・超・超格差社会、
・・・・・・・・・・と際限なき格差社会が展開することでしょう。
更に言い換えれば、
全世界が、不景気の中の超インフレ、すなわち、超スタグフレーションに陥るでしょう。
更には、
全世界が、不景気の中の超・超インフレ、すなわち、超・超スタグフレーションに陥るでしょう。
詰まるところ、
全世界が、不景気の中のハイパー・インフレ、すなわち、ハイパー・スタグフレーションに陥るでしょう。
まさに、
第一次世界大戦に敗北したドイツに襲ってきたハイパー・スタグフレーションの全世界版と言えるでしょう。
1917年に第一次世界大戦に敗れたドイツに1兆倍のハイパー・インフレが襲ってきたのがそれから6年後の1923年だった。
第一次世界大戦がはじまった1914年当時のドイツマルク対ドル為替レートが1ドル=4.2マルクだったのが、1923年には1ドル=4、200、000、000、000.0(4兆2000億)マルクとなった。
冬のドイツの寒さの中、ドイツ国民は暖を取るための薪が買えずに札束を燃やした。
更に、
1929年の世界大恐慌がアメリカから発生して、ドイツに更なる経済打撃を与えた。
その結果、
ナチス党率いるアドルフ・ヒットラーが経済復興のため、颯爽と登場し、現に、世界各国が経済疲弊している中、見事に経済復興させたのである。
ところが、
不景気の中のハイパー・インフレ、すなわち、ハイパー・スタグフレーションのドイツでハイパー格差社会になっていることに、ヒットラーは気がついた。
ドイツに住むユダヤ人たちだけが、裕福な生活をしていたのである。
彼らだけは、1ドル=4、200、000、000、000.0(4兆2000億)マルクの影響を受けずに生活をしていたからである。
言い換えれば、
彼らユダヤ人社会だけは、他の国のユダヤ人社会と国際交易をしていたからである。
そこで、
ドイツの総統(国家元首)となったヒットラーは、ドイツ国内に住んでいるユダヤ人に国外退去を要請したが、ユダヤ人たちはこれを拒否した。
その結果、
ヒットラーは強硬手段に出た。
まさに、
ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺事件である。
そして、
ナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦の勃発である。
なぜなら、
ユダヤ人が最も多かったポーランドにドイツに住むユダヤ人を追い出すためである。
どうやら、
不景気の中のハイパー・インフレ、すなわち、ハイパー・スタグフレーションは、ハイパー格差社会が発生する予兆に他ならないことがわかってきました。
同時に、
ハイパー格差社会は、人間の際限のない欲望に打ちこむ楔(くさび)の役目も持っていたのです。
まさに、
ハイパー格差社会が発生したドイツで、アドルフ・ヒットラーという楔(くさび)が生まれたのがその証です。
そうしますと、
全世界が、不景気の中のハイパー・インフレ、すなわち、ハイパー・スタグフレーションに陥る2010年代とは、ハイパー格差社会という一方の端と、ハイパー平等社会という他方の端の間を振れる波乱に満ちた振り子運動の時代ということが言えるでしょう。
まさに、
逆さまの逆さまは正さまに逆戻りするわけです。

II.希望の10年の可能性
全世界が、不景気の中のハイパー・インフレ、すなわち、ハイパー・スタグフレーションに陥る2010年代とは、ハイパー格差社会という一方の端と、ハイパー平等社会という他方の端の間を振れる波乱に満ちた振り子運動の時代ということが言える。
そして、
ハイパー格差社会とハイパー平等社会を両端とする振り子運動は、二律背反関係ではなく、補完関係にあることは言うまでもありません。
言い換えれば、
ハイパー格差社会とハイパー平等社会は表裏一体の一枚のコインに他なりません。
まさに、
格差(差別)と平等が表裏一体の一枚のコインである証明です。
従って、
差別が実在で、平等は差別の不在概念ということになります。
従って、
格差社会が実在で、平等社会は格差社会の不在概念ということになります。
従って、
ハイパー格差社会の後にハイパー平等社会が必ずやってきます。
まさに、
夜明け前の真暗闇状態から、やがて、夜明けがやってくるのが2010年代と言えるでしょう。
言い換えれば、
超格差社会の出現は、超平等社会の前座として起こるものであるわけです。
詰まる処、
「失われた10年」の出現は「希望の10年」の前座として起こるものであるわけです。
ただし、
その前提条件は、
「超える時代(三元論時代)」突入でなければなりません。
逆に言えば、
「二元論時代」では、しょせん、「失われた10年」、「失われた20年」、「失われた30年」・・・と際限なく続くわけで、12000年の文明社会とは、「失われた12000年」に他ならなかったわけです。
そうしますと、
「希望の10年」、「希望の20年」、「希望の30年」・・・と続くためには、文明社会から超文明社会に変身しなければならないでしょう。