Chapter 99 勘違いだらけの人生

わたしたちの目が醒めている、所謂現実の世界−この作品の中では、自分という独りの劇場の三階の席から見える舞台(実舞台は残念ながら三階からは見えない)の舞台装置のひとつである背景画面に登場している自分を主人公にする無制限連続バラバラ1本立て映画の世界−では、わたしたち人間が勝手につくった決まり、つまり法律や道徳観によって自由を奪われている、自縄自縛の世界であるのです。
しかし、ほんのちょっと観点を変えてみると、隣の北朝鮮という国では、一人の人間の考え、言ったことが即法律になり道徳になっているのです。
この日本という国では、細身が美しいと思って、懸命にカマキリのような体に鞭打ってダイエットをしている女性たちであふれているのですが、イスラム世界では、お尻の回りが1mを超えないと女と認めてくれない国もあるのです。
このように、国が変われば法律や道徳観が変わったとしても、夢の中の世界での決まりはまったく変わらないのです。
背景画面の内容は、観る人間を反映しているものですから、みんな個人差がありますが、背景画面を映写するためのプロトコルは同じなのです。
プロトコルというのは、映写システムのマニュアルと考えて頂ければいいと思います。
たとえば、わたしたちはパソコンを使ってインターネットを利用しています。
ある人は、Yahooのインターネットを利用し、別の人はMSNのインターネットを利用していろいろ調べものをしているでしょう。
そうしますと、利用する人のパソコンのモニター画面にYahooという背景画面と、MSNという背景画面の違いが出てきます。
しかし、光ファイバーという回線を通じてYahooもMSNも提供されているなら、光ファイバー回線におけるネットワークシステムの決まりがあって、YahooもMSNもNiftyも、その決まりに従って世界中を駆け巡っているのです。
また普通の電話回線を使って、NiftyやAOLのインターネットを利用している人もいるでしょう。
そうすると、電話回線におけるネットワークシステムの決まりがあって、NiftyもAOLもその決まりに従わなければならない。
このネットワークシステムの決まりをプロトコルと言うのです。
わたしたちが観ている背景画面は、実はネットワークシステムで構成されたパソコンのモニターなのです。
あなたの背景画面と、わたしの背景画面は、実はネットワークシステムによって繋がっているのであって、自分独自の背景画面−こういうシステムをネットワークシステムに対してスタンドアローンシステムと呼んでいます−ではないのです。
だから、わたしたちは、所謂現実の世界を、恰もひとつの世界を共有しているように勘違いしているのです。
わたしたちは、本当に勘違いだらけの人生を送っているのです。
背景画面に映っている映画を現実の世界と勘違いし、その映画の世界がネットワークシステムによって映写されているのに、個別の映写機で映されていると勘違いし、自分たちの都合だけでつくった決まり、つまり法律、道徳観などそのネットワークシステムではまったく通用しない決まりを絶対だと勘違いし、肝心のネットワークシステムの決まりであるプロトコルを無視して生きておるのです。
まるで、カラオケに行って、今はネットワークシステムなのに、昔のようにレコードやテープを挿入して自分のお気に入りの曲を選ぼうとしているようなものです。
それでは、下手糞な歌を聞いてやろうと思っても聞くことはできません。
わたしたちが観ている夢の世界というのは、パソコンを前にして自分の好きな事柄をインターネットの画面を開いて観ているのと同じなのです。
みんな同じYahooの画面を観ていても、どう使うかはそれぞれの自由裁量です。
わたしたちが観る夢という背景画面も、Yahooを観るか、Niftyを観るかを先ず自由に決め、共通画面ですが、使い途はみんな違うのです。
本当の自由とは、使い途の自由裁量にあるのに、Yahooという共通画面の決まり、つまり法律や道徳観に縛られて自ら自由を奪っておるのです。
Yahooが嫌ならMSNに変えればいいのです。
従って、わたしたちは、先ず勘違いだらけの人生を見直すことが大事ではないでしょうか。