Chapter 98 やりたい放題の世界

日々善行を積む。
悪行三昧。
この善行、悪行というものについて考えてみたいと思います。
他人(ひと)の為になることをすることを善行といいます。
他人(ひと)に迷惑を掛けることを悪行といいます。
人間の法律というものは、聖書に書かれてある戒めが原点になっているのか、してはいけないことを記述したもののようです。
ところが、宗教の世界では、善行をすることを強調します。
わたしは、この矛盾が人間社会に不幸を呼び込んでいる原因ではないかと考えています。
政事においては、悪行を封じ込める性悪説。
祭事においては、善行を唱導する性善説。
他人(ひと)の為になることをすることも善行でしょうが、自分の為になることも出来ないのに、他人(ひと)の為になることを、わたしたち人間は実際出来るでしょうか。
他人(ひと)に迷惑を掛けることをすることを悪行というなら、自分に迷惑を掛けることをするのも悪行ではないでしょうか。
先ず、自分の足下をしっかりと固めることが一番の基本だと、わたしは思うのです。
自分の足下もしっかり固めていないのに、他人(ひと)の為にと偽善ぶっている政治家や宗教者ばかりなのが現代社会のように思えるのです。
親の七光りで政治家になったり、宗教のトップを引き継いでおる世の中ですから、当然でしょう。
親の財産を相続する権利を認めているのは、人間社会だけであります。
人間社会だけに当てはめたルール、つまり憲法や法律というものを根本的に見直す必要があると思うのは、西洋であろうが東洋であろうが、聖書にすべての原点があり、その聖書の原点が性悪説にあるからです。
相続の権利は、聖書では支配者が被支配者である奴隷を守ってやる為に得られる権利のことを言っておるのです。
つまり、奴隷は弱き者たちである故、強き者である支配者は彼らを保護してやらなければならない。その見返りとして彼ら及び彼らの妻や子供まで所有する権利を与えられている。
これが相続の権利の原点であるのです。
しかし、聖書は冒頭に記述しています。
人間の祖先であるアダムとイブは、エデンの園での掟である禁断の実を食べる原罪を冒した故、自然界であるエデンの園から追放されたと。
それ以来、人間社会は争いの絶えない修羅世界になってしまったのです。
もうこの金縛りから、わたしたちは解放されなければなりません。
その第一歩が、自分独りだけの世界の確認であります。
自分が生きている世界には、実は自分独りしか実在していないことを確信出来たら、その世界をしっかり生きることです。
それが本当の自立であります。
夫婦生活に心身疲れ果てた女性が、自立を求めている光景をよく見受ける現代社会ですが、夫からの自立などと思うのは妄想以外の何ものでもありません。
真の自立とは、そんな浅薄なことではなく、自己の世界観の確立であるのです。
もういい加減、聖書の金縛りから自分を解放することです。
つまり善行と悪行の基準をもう一回、自分自身で見直すことです。
そして新しい基準を確立するのに、夢の世界が語りかけてくれることが大いに役立つでしょう。
夢の中では、聖書の金縛りからも自由であり、ましてや憲法や法律から完全に自由であるからです。
夢の中では、わたしたちは殺人をしても罪にはならない、レイプ三昧も許される、完全自由の世界なのです。