Chapter 95 眠っているのは誰?

わたしたちの体は、一生眠らずに働いています。
心臓などは、一番の働き者です。
そうしますと、眠っているのは何処の誰なのでしょうか。
頭の先には、脳があります。脳は一生働き詰めです。
次に顔があります。目、耳、口、鼻はひょっとしたら休んでいるかもしれません。
手足も、ひょっとしたら休んでいるかもしれません。
内臓で休んでいるものはありません。休んでいる内臓があれば、眠っている間に病気になる筈がありません。病気になるのも休んでいない証拠です。
結局、外皮の内は、すべて年中無休です。外皮はひょっとしたら休んでいることもある。
この外皮こそが、五感なのです。
五感が意識と無意識の橋になっている。
わたしたちが眠っていると思っているのは、五感が一時休息していることを意味しているのです。
それ以外のわたしたちの体は年中無休で、眠るのは死んだあとです。
では、毎日眠っておるのは、一体何処の誰でしょうか。
五感も実は年中無休なのですが、外界との接触点である外皮ですから、酸化され、錆つくのです。
そこで一時休息をしているのですが、酸化されるとかなりしんどいのです。
それでほぼ月に一回死ぬのです。
皮膚というものは、1ヶ月で細胞が交換される。
五感は外皮のセンサーなのです。
従って、外皮である五感も、眠る必要はなくて、寝ていればよいのです。
そうしますと、眠っているのは一体何処の誰でしょう。
年中無休の各器官に指示を送っている脳はもちろん年中無休です。
では脳に指示しているのは誰?
わたしたちの体は、自動車のようなものです。
心臓がエンジンでしょう。
肝臓が燃料タンクでしょう。
それでは、脳が運転手でしょうか。
自動車は一生走っているのです。
運転手が眠ったら、居眠り運転で事故を起こします。
結局、すべてが眠らずに働いておるのです。
では一体誰が眠っているのでしょうか。
心(意識)が眠っていると言えるでしょうか。
では何故夢を観るのでしょうか。
熟睡をしている時が無意識状態で、その時が、顕在意識が眠っている状態なのです。
どうやら、犯人をやっと追い詰めたようです。
わたしたちの普段目が醒めている時の意識(顕在意識)が眠っているようです。
しかし、顕在意識の下にある潜在意識、集合意識は、目がばっちり醒めています。
無意識、つまり意識の無い状態が、実は眠っていることを指しているのです。
では、一体何の為に、顕在意識は休息の為に睡眠を採らなければならないのでしょうか。
実在の世界に生きておれば、背景画面は飽くまで背景画面なのですが、背景画面の中に自分が居ると思う「私」が、顕在意識であり、その「私」が所謂現実の世界という世界に居るから、五感という外皮と同じで酸化作用に冒され、その為に睡眠という錆落しをしているわけです。
したがって、「わたし」とは、年中無休の体であって、意識であるのです。
五感という橋で、「わたし」と繋がった顕在意識が、「私」であるのです。
わたしたちは、小宇宙と呼ばれる広大無辺な存在でありながら、その中で顕在意識という微小な存在に振りまわされているのです。
色即是空、空即是色。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦。
顕在意識を越えて、大いなる意識に目覚めよと言っているのです。
惰眠を貪っていてはいけません。