Chapter 94 睡眠の無い人生

わたしたちが生きていて、いろいろな悩み・不安に苛まれる原因はすべて、過去や未来を投影した自己の心の姿勢にある。
そして、その投影したものは、背景画面つまり夢の中で培養されて、わたしたちが思い込んでいる所謂現実の中で着実に、その位置を盤石なものにしていくわけです。
従って、夢というのは、わたしたちの悩み・不安の増殖場となっているのです。
しかもその夢は、眠っている間だけではなく、四六時中、正夢、負夢、白昼夢として観ているのですから、心が静かで平安な時がまったく無い人生を送っているわけです。
ただ、背景画面に映写されている無制限連続バラバラ1本立て映画−これが四苦八苦の人生の実体なのですが−の中で、広告宣伝・予告編版という負夢が、途中でわたしたちの四苦八苦の心を癒してくれるオアシスの役目をしてくれているから、何とか生きることができているのです。
わたしたちが生きている人生の実相は、実は夢の世界にあって、ちょうど夢の世界と表裏一体になっている実在の世界では、わたしたちは生きていないのです。
「いや、自分は眠っている間は、夢を観ているけど、目が醒めたら実在する世界に生きている」
と思っている方が殆どでしょう。
違うのです。
わたしたちには、目が醒めるということが無いのです。
肉体、もっと厳密に言えば、目が開いているだけで、心(意識)は四六時中眠っているのです。
「上の空」という言葉があります。
そうです、わたしたちはずっと「上の空」の状態で生きているのです。
何か具体的な悩みや不安に苛まれている時、わたしたちは、自分が何をしているのかも気づかずに生きています。
そういう時は、今するべきこともせずに、ぼっと見逃してしまっている。
こういう状態を、「上の空」と言うのです。
結局、わたしたちは一生、「上の空」で生きているのです。
そうしますと、今するべきことをせずにぼっと生きていくわけですから、次から次へと問題の種をつくっていく結果、ますます悪循環の「上の空」人生を送ることになります。
これが、まさに背景画面に映写されている無制限連続バラバラ1本立て映画の中に自己を埋没(自己同化)させた生き方になっているのです。
従って、夢が「上の空」の生き方を培養する場になっているのですから、夢を観ることがなかったら、悪循環の人生に陥ることを避けることはできます。
睡眠を多く採れば採るほど夢を観る時間が多くなります。
惰眠の最中は、すべて夢を観ています。
前に申しましたが、熟睡中に観る夢が負夢であり、REM睡眠中に観る夢が正夢ですから、睡眠時間が多くなればなるほど、REM睡眠が長くなって、正夢を観ることが多い、つまり「上の空」の生き方を培養しているのです。
3時間睡眠になりますと、REM睡眠時間が非常に短くなります。
1時間半睡眠になりますと、REM睡眠時間が更に短くなります。
睡眠をまったくしないと、夢を観なくなります。
寝ても醒めても、夢を観なくなります。
エデンの東にあるノドという場所に、道標があるという話をしました。
道標には、エデンの園への道標はありません。
善悪二元世界と三元世界への道標がある。
犬や猫のように、1日24時間の殆どを眠って生きているものたちは、意識も殆ど眠っているわけで、夢一元の世界なのです。それがエデンの園であります。
わたしたちは、眠っているのか、醒めているのか、もうひとつはっきりしない「上の空」といった世界、即ち、善悪二元世界に生きているのです。
もうひとつの道標、三元世界が夢を観ない世界、完全に意識が醒めている世界なのです。
そこは、「上の空」ではなく、「空」がある世界です。
「上の空」状態で生きるから、上擦っているのです。
上擦らない生き方を送れば、それこそ、「この山越せば花さかり」の世界が開けるのです。
究極は、睡眠しない人生を目指すことです。
それが悟りを開くということです。
だから、生きている間は、悟りを開くことは不可能だという理由でもあります。
ただ世界の何処かに、一生眠らない生きものが実際存在するそうです。