Chapter 90 独りの世界である根拠

わたしたちが生きている世界は、自分独りだけの世界であり、他のすべてのものは、映像だと申しました。
それは、目で以って見るということが、自分以外のものを感知する主の機能であるからです。
しかし、わたしたちは、他のものと話をして喋ったり、聞いたりするし、そのものから発する匂いを嗅いだり、触って感触を得たりしているわけです。
つまり、五感によって他のものを実感しているのです。
実感しているのに、それを実体のない映像だと言われても、俄かに信じることが出来ないでしょう。
他のものと自分とは別世界のものだとはっきり証明しなければ、納得されないと思います。
結局、唯心的若しくは唯物的と言った議論や、神の実在性についての議論なども、突き詰めて見れば、自他の関わり方の問題に帰結するのです。
生きていて、他人の存在が、悩みや苦労の原因のすべてであることは否定できないでしょう。
出家したり、隠遁生活をするのは、他者との関わりを断って、心の平安を求めるのが目的であるはずです。
そういう点において、「他人は地獄である」と実存主義者サルトルが言ったことは間違ってはいないでしょう。
この世で生きているのは、自分独りであると認識できたら、まさにこの世とは、自分独りだけの世界であるからして、いろいろな柵(しがらみ)なども実体の無いものであるわけですから、自分を他者がどう思っているかと悩むことなど無いわけです。
また家族を養う責任感から、この世的成功を追求しなければならないと思うプレッシャーに見舞われることも無いのです。
武者小路実篤が言ったように、「生まれたから生きるのであり、死ぬときには死ぬ」のであります。
すなわち人生の四苦八苦の原因は、他者の存在にあるのですから、自分の生きている世界と他者が生きている世界は別ものだと確信できたら、四苦八苦は消えてしまうでしょう。
自分独りだけなら、食べるものがなくなったら、死ねばいいのです。
養わなければならない家族がいるから、死ぬわけにはいかないのです。
死んだら、悲しむ人間、喜ぶ人間がいるから死ねないのです。
人間以外の生き物は、そのことを本能的に知っているのでしょうか、死という観念を持っていないにも拘らず、死が近づいて来ると他者から離れて独りきりになろうとします。
それが厳然たる事実であるからでしょう。
最後は、自分独りだけの舞台に立たなければならないことを知っているのでしょう。
そうしますと、わたしがこれまで、強調してきました、『今、ここ』とは、自分独りだけの世界を感じ取ることに外ならないわけです。
逆に言えば、過去や未来に想いを馳せるということは、自分独りだけの世界に、他者を無理やり引き摺り込んでいることになるわけです−自分が背景画面に引き摺り込まれているのが実相なのですが−。
自分も同化しておる背景画面が、それを映し出しておるのです。
では、五感で感じ取った、他のものと自分との関わり方について考えて行きましょう。
わたしたちは、息をして生きています。
その息は、自分のまわりにある空気を吸ったり吐いたりしていると、わたしたちは思っている。
まわりにある空気と、自分とを隔てているのは、自分の肌つまり皮膚です。
自分の肌が、空気と自分とを隔てる壁になっているのです。
わたしたちは、原子爆弾の威力を知っています。
何十万、何百万の人間やまわりのものを一瞬にして消滅させてしまいます。
この恐るべきものは、原子に因るのです。だから原子爆弾と言うのです。
水爆はもっと恐ろしいものですが、これは、原子の中で一番初めのものである水素でできたものです。
原子核1個と電子1個でできた、もっとも原始的な原子なのですが、この一個の電子が他の水素の1個の電子に飛び移ることによって、二つの核が合体する、即ち融合する際に生まれる巨大なエネルギーを利用した爆弾なのです。
つまり微小な原子が核分裂したり、核融合することで、数百万の人間を一瞬にして消滅させることが出来るのです。
この水素や酸素と言った原子で構成されているのが空気です。
また皮膚も、水素や酸素そして炭素などで構成されたものです。
そうしますと、自分とまわりの空気との壁になっていた皮膚というものも、空気と何ら変わらないものだとわかってきます。
つまり皮膚と空気との境界などといったものは実は無いのです。
ところが、わたしたちは、違うものだと思っています。
それは、触覚という五感によって錯覚しているのです。
宇宙に存在するものは、すべて一体なのですが、それに隔絶感を与えているのが五感です。
では五感とは一体何なのでしょうか。
自分と思っていること自体が五感です。
それが、独りで生きている自分そのものです。
本来すべては一体。
それを部品に分けて、機能を分担した。
その部品に、機能を果たさせる為に、センサーをつけた。
このセンサーが、その部品の五感です。
本来は一体であるが故に、部品に分けても、それぞれ独自の責任ある機能を果たさせなければならない。その為に一体からの司令を受信するアンテナであるべき筈の五感が、部品同士で交信したら、一体は困るのです。
一体から課せられた機能を果たすのが、その部品の使命であるのに、勝手に他の部品とおしゃべりをされたら一体は困るのです。
それぞれの部品は、それぞれの作業場で、独りで作業をしなければならないのです。
まわりにある空気の中の水素や酸素は、それぞれの作業場で、独りでこつこつ作業をしているのです。
わたしたちの皮膚もこつこつ独りで作業しなければ、空気と人間とを隔絶する壁の使命を果たすことは出来ないのです。
それを、空気と皮膚がおしゃべりを始めたら、宇宙はばらばらになってしまうのです。
自分の生きている世界は、自分独りだけの世界であると自覚するのは、宇宙が有機的な存在、つまり運動するようになってからの基本的ルールであるのです。
一体でかつ有機的であるが故に、わたしたち人間も存在し得るのであって、その基本ルールが、有機するそれぞれの部品が完全独立した存在でなければならないのです。