Chapter 9 白昼夢

白昼夢というのがあります。
目が醒めている真昼間に、現実離れしたようなことを現実にしでかすのを、まるで夢物語のような話なので白昼夢と言うのです。
実際は、現実に起きている出来事であるのです。
わたしたちが現実と思っている、目が醒めている時の世界観−世界ではなく世界観であることを忘れないでください−を注意深く観察して頂きたいのです。
目が醒めている時は、正に白昼夢の世界なのです。
従って、わたしたちが生きている人生というのは、正夢と負夢と白昼夢とで構成されている無制限連続バラバラ1本立て映画の世界観なのです。
正夢と白昼夢が本編の映画であり、負夢が途中息抜きの予告編映画であるわけです。
本編が正夢ばかりで構成されているか、白昼夢ばかりで構成されていれば、バラバラ映画にはならないのです。
それでは何故正夢と白昼夢で構成されている本編映画がバラバラなのか。
実は決してバラバラではないのです。わたしたち夫々−女性の方々にとっては婦々になります点を留意してください−が、「私」と思っているからバラバラに見えるだけです。
眠っている時に観ている正夢が引き続き上映されているのが白昼夢であり、決してバラバラな内容ではないのです。
目が醒めた時からの世界を現実の世界と区分けしている、「私」こそが白昼夢と称して区分けしているのです。
そして、この白昼夢の中で人間は罪を冒し続けているのです。
人間が、礙にも恐ろしい生き物であるのは、現実の世界と思い込んでいるところでは善人なる生き方を演じ、白昼夢の世界と思い込んでいるところでは悪魔を演じている二重人格である点なのです。
他の生き物はそんな生き方をしていません。
実際の本編の映画は、宇宙の意識と共に観ている広大な世界であり、宇宙の意識そのものが顕在化した姿であるのです。
その宇宙の意識が余りにも広大なために一軒の映画館だけでは上映出来ないので、一軒一軒の映画館が役割を分担、つまりシネラマ映画のように画面を分割しているのです。
この役割分担こそがわたしたちの使命なのです。
わたしたちが現実の世界だと思い込んでいるのは、このシネラマ映画全体のことなのです。
三次元立体テレビではありませんが、シネラマ映画が開発された頃は疑似三次元映像だと思っていたのです。
すなわち、映像なのですが、立体のものに見えるから実体だと思うのです。
わたしが現実の世界もまた夢であると言っても、みなさんはまだ納得出来ずに、昼間の目が醒めている時に見える世界を実体だと思っているのは、観ている世界が立体だから、また触ってみると触感があるから実体だと思っているのです。
しかしそれはシネラマ映画であるからです。
ここが実に微妙な処で、「真理は語ることはできない」のです。
一軒一軒の映画館が映画を上映しているのですが、そのスクリーンがシネラマのように繋がっているので、恰もひとつの共有スクリーンのように見えるのが、我々の世界観であるのです。
わかりますか?
わからない?
まだ白昼夢から覚醒されていないようです。
それではまた次週に、シネラマ映画館でお会いしましょう。