Chapter 84 光の世界・絵の具の世界

心(意識)の姿勢が、わたしたちの人生を地獄にもするし、天国にもすると申しました。
しかし、本当の自分である宇宙意識(集合意識)と繋がった「わたし」は一粒のほこりもない鏡のようなものですから、心の姿勢などそもそも無いのです。
四階の席に座ってただ鑑賞している「わたし」は無色透明な光のようなものですから、地獄も天国もないわけです。
そうすると、結局の処、「私」の姿勢が問題なのですが、「私」自体は、「わたし」と同じ根、つまり鏡なのですから、「私」そのものが問題ではないのです。
「わたし」という鏡の上にたまっているほこりが問題なのですが、その結果、「私」まで問題視されるわけです。
つまり「わたし」と「私」は、ほこりを被っている程度の違いとも言えるのです。
「私」の場合は、ほこりの被っている程度が無限にあるのに対して、「わたし」の場合は、ほこりのない「私」とも言えるのです。
白色が「わたし」であって、灰色から、完全な黒色までが「私」であると言えます。
絵の具であれば、白と黒の絵の具で無限の種類の灰色をつくることができます。
つまり、灰色は白と黒という2種類の絵の具からできているのですが、光の場合は、事情が変わってきます。
光の場合、白はすべての色(七色)を全部含んだ色の素です。
だから、プリズムの中に光を通してやれば、屈折することで波長の違った七色光線に分かれるのです。
ところが、光の中で、黒は存在しません。
まさに、暗闇は光の不在であるのです。
ビッグバン直後、10の44乗分の1秒から、10の36乗分の1秒の間で、光が暗闇から誕生して以来、わたしたちの宇宙(全体宇宙)では、暗闇は光の不在が原則の世界になったのです。
従って、灰色光線などというものも存在しません。
飽くまで、白い光線の「わたし」しか存在しないのですが、鏡で言えばほこりですが、空と雲の関係で言えば、雲という存在が空を遮って、あたかも空が黒や灰色に見えるように錯覚しているのです。
従って、「わたし」のこの世的位相の変化が、「私」だと言っていいでしょう。
そうしますと、わたしたちが日々生きている中で、いろいろと想うもの、つまり心(意識)というものは、「私」であるのです。
つまりこの世的位相の変化とは、たとえば名無しの権兵衛で生まれて来た時は、「わたし」であったのが、名前を与えられることで、名前で自己同化(Self Identify)された、「私」が誕生するのです。
従って、「わたし」という意識は、普段生きているわたしたちの意識とはまったく別のものですから、本当の自分を探し求めることは、この世においては極めて困難なことなのです。
そこで、悟りを得ることは不可能であっても、少しでも近づくことが、この世において生きることの意義であると思うのは、「わたし」という白色光線の発見は、この世では不可能だが、灰色の程度が無限にある、「私」を少しでも、白色に近い灰色にする努力が大切だと言えるでしょう。
赤、黄、青の絵の具の世界では、黒が支配する。
それが、わたしたちが他者と一緒に生きている地獄の世界。
赤、緑、青の光の世界では、白が支配する。
それが、わたしたちひとりひとりだけの楽しい夢の世界なのです。