Chapter 81 心(意識)の姿勢は宇宙観

わたしたち人間が幸せに感じるのは、どういう状態の時かと申しますと、殆どの場合、苦痛、悩み、不安から解放された時です。
従って、幸福感覚が滅多にない人にとっては、生きている間の大半は幸福の不在としての不幸ではなく、不幸感覚の原因である苦痛、悩み、不安を実態として受け止めた生き方をしていることになります。
それでは、不幸の不在という実態の無いものである幸福、そういった幻想的なものを、わたしたちは追いかけて生きてきたのでしょうか。
わたしはことある毎に、暗闇とは光の不在だと申してきました。
しかし、それでは、光は暗闇の不在ということになります。
宇宙創世の歴史を考えてみますと、「はじめに言葉(光)ありき」と新約聖書の冒頭に書かれたことは、宇宙全体のことを表わしていないことになります。
ただ人知の及ぶ範囲での宇宙が−『神の自叙伝』や『神はすぐ傍』では全体宇宙という、137億年の拡がりを持った我々の宇宙のことを表わした−ビッグバンによって誕生して、そのビッグバンが起こった直後の10の44乗分の1秒後に「重力」が絶対唯一の力から枝分かれし、次に10の36乗分の1秒後に「強い力」が枝分かれした狭間で、X粒子の正物質と反物質が衝突して対消滅した結果、光がはじめて誕生したのですから、「はじめに言葉(光)ありき」と言えるかも知れません。
しかし人知の及ばない宇宙−絶対宇宙と言って、すべてが静止した静寂の暗闇と沈黙の世界−では光は存在せず、暗闇の世界であったのですから、「暗闇がはじめにありき」であって、従って、暗闇は光の不在ではなく、光が暗闇の不在である方が、全宇宙の真理だと言えるのです。
光即ち幸福を実態だと捉える、全体宇宙の世界。
暗闇即ち不幸を実態だと捉える、絶対宇宙の世界。
わたしたちは確かに全体宇宙の世界に存在しています。
絶対宇宙は人知の及ばない世界であります。
知らないことは存在しないという、形而上学的見地に立てば、全体宇宙の真理である、「はじめに光ありき」で、不幸は幸福の不在と捉えるのが正解でしょう。
従って、積極的に幸福という実態あるものを探し求める姿勢が正しい心の姿勢だと言えます。
しかし、人知の及ばない世界だとは言え、わたしたちが存在する全体宇宙は絶対宇宙からビッグバンによって誕生したのですから、絶対宇宙を無視するわけにはいかない。
そうしますと、暗闇が実態であり暗闇から光が誕生したのですから、光は暗闇の不在ということが絶対真理になる。
従って、わたしたち宇宙の真理では、不幸は幸福の不在であるのですが、絶対真理では、幸福は不幸の不在ということになるのです。
幸福を実態あるものと捉えるか、不幸を実態あるものと捉えるかの違いによって、わたしたち人間の心の姿勢はまったく変わるのです。
苦痛、悩み、不安からの解放が幸福感覚とする姿勢なら、苦痛、悩み、不安が実態ある不幸ということになります。
それとも、失恋の苦痛を治す一番の薬は新しい恋をすることとする姿勢なら、楽しみ、喜び、希望といったものが実態ある幸福ということになります。
わたしは、夢の世界が絶対宇宙の世界であり、目が醒めた世界が全体宇宙の世界ではないかと思うのです。
だから、夢の世界では不幸中心のストーリーが圧倒的に多くて−実際はすべて−目が醒めたことによって苦痛、悩み、不安から解放されてほっとするのではないでしょうか。
そうしますと、わたしたちが現実の世界と思って生きている目が醒めた世界は、ネガティブな世界ではなくポジティブな世界ですから、楽しみ、喜び、希望といった幸福感覚が実態あるものになるのですから、苦痛、悩み、不安に苛まれながら生きることは、幻想に惑わされていることになります。
やはり、わたしたちは楽しい人生を送る姿勢が良いのでしょうか。
わたしたちそれぞれの心(意識)の姿勢に帰する相対的問題であって、絶対的なものではないようです。