Chapter 80 心(意識)の姿勢

Chapter79で病気の話をした時に、わたしたちは病気の夢は観ないものだということをお話しようと思ったのですが、確信が持てなくて省略したのです。
わたしの夢に対する基本的な考えは、飽くまで記憶がそのベースにあること、しかも記憶と言っても他人との関りのある記憶であることです。
病気というものの大半は自己の肉体だけのことで、他人との関りで病気になることは無い−伝染病は別かもしれませんが、わたしは伝染病にかかったことがないのでわかりません−ので夢の中には出て来ないと思っています。
「いや、自分はしょっちゅう夢の中で、病気になって苦しんでいる夢を観る」
そう言う方がいらっしゃるなら、その夢の内容をお教え願いたいと思います。
従って、夢に出て来ないということは背景画面に出てこないわけですから、本質的には存在しないものだということになる。
病気の夢を観ないのは、病気というものが本来存在しないということです。
わたしの夢の経験では、病気になっている夢を観たことは一度もありません。
サルトルが、「他人が地獄である」と言ったのは、人間の悩み、苦労、不安と言った地獄の想いをする原因は、すべて他人との関りから生じるものだということなのですが、夢という背景画面に出て来るものは、すべて現像フィルムというネガによるものですから、夢の内容は他人が絡んで来るネガティブな想いによるものだと言えるでしょう。
恋愛経験の夢を観ることがあるでしょう。
「いや、自分はそんな夢を一度も観たことがない」と言われる方がおられるなら、初恋の経験もない悲しい人生を歩んで来られたのでしょう。
極悪非道の大悪人でも、子供の頃に、淡い初恋の想いを経験したことがある筈です。
そして初恋の相手の夢を必ず観たことがある筈です。
しかし、初恋が成就した方、つまりその初恋の相手と結婚までされて、今現在配偶者として傍におられるなら、初恋の相手の夢を観ることは無いでしょう。
つまりネガティブな経験でなくなっているからです。
恋愛の夢は、ネガティブな結果になった場合だけ夢に観るのです。
従って、夢に出て来るものは、他人との関りの中でネガティブな経験をしたことであるのです。
そして、夢の中の出来事は、時空間を超えたものになるので、知らない人物や、未経験のこと、つまり未だ来ぬ未来の経験というものも含めて現れてきます。
しかし、楽しい夢、つまり楽夢という正夢を観るのは、過去に反対の経験をしたり、経験し得ないと思っていることがベースにあるわけで、悪夢と同じように、引き摺るのです。
ここが本Chapterの主題なのですが、それでは現在病気で苦しんでおられる方でも、病気の夢は出て来ないのでしょうか。
病気の夢を観ておられる方が多いと思います。
多いということは、夢を観ていない方もいるということです。
深刻な病気になっているのに、その病気になっている夢を観る方と、観ない方がいると思うのです。
わたしの場合ですと、心臓発作が起きるという持病を抱えていて、過去に数十回の発作の経験をして苦しい想いをしたことがあるのに、一度も夢を観たことはありません。
発作が出ることは嫌なことですが、それは自分の一部、即ち運命だと受け入れているからだと思うのです。
どんなに苦しいことでも、そのことを受け入れたら、それは苦しみではなくなるのです。
そうすると自己の内部での分裂症状が起こらないので夢に出て来ないのです。
人生の四苦八苦の対応の方法がここにあると思います。
受け入れることが出来たら、それは四苦八苦ではなくなるのです。
人生の楽しいことも、それを拒絶したら、それは楽しいことではなくなるのです。
結局の処、自分の意識の姿勢にすべてがかかっているということになるのです。
健康とは、病気のない状態を言う。
病気のない状態とは、あるがままの状態を受け入れることを言う。
従って、健康とはあるがままの状態を受け入れる自己の姿勢を言うのです。
これは病気だけに限ったものでないことは言うまでもありません。