Chapter 8 夢を観られない私

正夢と負夢について理解して頂けたかと思います。
正夢と負夢は眠りの中での夢であるのが基本であるわけですが、実際には目が醒めている現実の世界でも夢は引き続き観ていると、わたしは考えている根拠を述べてきました。
特に、正夢が現実の世界と繋がっているとすると、わたしたちが生きている世界は二重の世界になっているのでしょうか。
目が醒めてからのわたしたちの活動パターンがあります。
朝、眠りから目を醒ますと、起きてシャワーを浴び、朝食を取り、日中は仕事に出かけ、夜になると家に帰り、夕食を取り、テレビを観て、風呂に入り、そして再びベッドに入って眠りに就く。
この一日の活動と、その間観ている希薄な夢とは、どういう関係になっているのだろうかと疑問に思われていることでしょう。
もう一度思い出して頂きたいのですが、わたしたち一人一人の世界というものは、すべて固有の世界であって、それは恰も自分一人だけが映画館で観るスクリーンに映っている映像の世界であるということです。
従って、わたしたちのまわりにあるものはすべて映像であって実体ではないということを理解して欲しいのです。
わたしたちが住んでいる家も、その中に住んでいる他の家族もすべて自分以外のものは映像にすぎないのです。
仕事に出かける会社も、そこで一緒にいる同僚たちも、みんな映像なのです。
無制限連続バラバラ1本立て映画であるのですから、朝は家にいるが昼間は全然関係ない所にいてまた家に帰って来るといった何の関連もないストーリーがバラバラに展開している映像を一つしか無い映画館の座席に座って観ているのです。
もうおわかりになったことと思いますが、目が醒めてからのわたしたちの活動自体が実は夢そのものであったのです。
正夢を観ていた状態から目が醒めた人は、夢から現実にシフトされたのではなくて、肉体の意識が目を醒ましただけのことです。
本当の自分はずっと夢を観ている観客なのですから、一生眠ることはないのです。
つまり、本当の自分とは無制限連続バラバラ1本立て映画を観ている観客という意識であるのです。
普段、目が醒めている時の意識は、顕在意識と言って本当の自分である意識の一部分であり、その顕在意識が正夢を観ている自分であり、眠りに就くと顕在意識が消えている状態つまり無意識になると、自然に、本当の自分である意識が浮上して来ていろいろな仕事をするのです。
完全に意識が消えた状態というのは、生きているわたしたちには無いのです。
考えてみれば当然のことですが、眠っている間中、わたしたちの体は息をして、心臓は止まらずに動いているし、他の器官もすべて眠らずに働いているのですから、それを動かしている意識が無意識になれば、とうに死んでいる筈です。
従って、四六時中映画館で無制限連続バラバラ1本立て映画を観ている本当の自分は、顕在意識の下に広大に広がる意識であって、それを集合意識とか宇宙の意識と言うのです。
わたしたちが固有の人格と思っているものは、実は顕在意識であって、その下に他の人間も、他の動物も植物も鉱物も、そして地球そのもの、更に太陽や月、宇宙の果てのすべてのものと繋がっている宇宙意識が存在しているのです。
顕在意識で思っている"私"が現実の世界にいるわたしであって、無制限連続バラバラ1本立て映画を観ている観客が宇宙意識で思っている本当の"わたし"であり、それは唯一のものなのです。
だから座席は一つしか無いのです。
その唯一の"わたし"が本編の映画である正夢を観たり、予告編や宣伝である負夢を観ているのです。
顕在意識の"私"は夢を観ることが出来ないのです。