Chapter 79 鍵は意識改革

病気についてお話してみましょう。
ある程度年齢を重ねてきますと、殆どの人は病気と死の問題とをラップさせて考えてしまいます。
それだけ、病気になることを深刻に受け止めるようになるのです。
「死ぬことは構わないが、病気にはなりたくない」
と考えるようになるのも、やはり死が病気の後ろに潜んでいるからに外ならないのです。
癌で死んだ人の身体に残された癌細胞は、その後どうするのでしょう。
AIDSやSARSで死んだ人の身体に残されたウィルスは、食い物にする肉体が腐っていく中で一体何処に行くのでしょう。
食い物にしてきた肉体が死んだ直後には、慌てて次の行き場を探しているのでしょうか。
死体を焼くのは、次の行き場を見つけさせないためなのでしょうか。
結局、一緒に死ぬしかないと、わたしは思っています。
対症療法が、根本的問題を解決できないのは、わたしが指摘しておりますこの点にメスを入れることをしないからだと思います。
癌細胞が、食い物にしてきた肉体が死ぬことによって、行き場を失っておろおろする場面を研究すれば、癌細胞の弱点を発見できるのではないかと、素人のわたしには、子供心に思えて仕方なかったのです。
結局の処、病気は気の病と言うのは、まさに真理であると思うのです。
日本語でも、「病気(気の病)」と書きます。
英語でも、「disease(dis−ease 心が穏やかでなくなる)」と書きます。
何故、気の病かと申しますと、身体を蝕んでいる病原も生物であり、生物にはすべて意識がある。
身体を蝕むという行為は被害者にとっての被害意識であるだけで、病原という生物にとっては生きる行為そのものであるのです。
AIDSウィルスが、人間の身体の中に入って、抗体機能を持つ白血球の細胞が働くことが出来ないように鍵でロックしてしまうのは、何もいじわるをしているわけではないのです。
細胞と共生関係になることで、自己の生き残りを図っているわけで、宿借り(やどかり)や珊瑚などは共生動物の典型ですが、その名前の通り、宿を借りているだけなのです。
癌細胞も、AIDSウィルスも、SARSウィルスも、人間の身体を宿として借りている積もりだけであって、決して悪意やいじわるで共生しているわけではないのです。
それを、悪意やいじわるで共生していると思い込んでいる人間が間違っているのです。
そういう悪意の想いが、気の病となって精神を先ず蝕み、結果自業自得で肉体に異変を自らつくっているのが、病気だと思うのです。
借りていた宿が火事に遭って焼失して、宿無しになった彼らは外の宿を探すでしょう。
新しい宿を与えてやるのもよいし、宿と一緒に焼失するのも、宿借りの運命だと思って諦めてくれるでしょう。
それは宿を提供した、わたしたちの気の持ち方次第だと思います。
病原を発見しては、ワクチンを開発することは、一所懸命共生関係を構築したいと思って宿を探している彼らに、門戸を閉じる行為です。
門戸を閉じられた彼らも、そうなると意地になって、門戸をこじ開ける工夫をします。
そうなると意地と意地の突っ張り合いになって共生関係でなく、敵対関係になってしまうのです。
人間同士が意地の突っ張り合いで戦争をするのと同じで、まさに意識(心)の問題であるのです。
わたしたち人間側の意識改革が、病気になる苦しみの問題解決の手掛りだと、わたしは確信しています。