Chapter 77 四苦八苦の実体

わたしたちが、普段の生活をしている中で、実際に問題が起こるということはどれほどあるでしょうか。
こんな風に言われても、思い出すことさえ難しいのではないでしょうか。
わたしの過去の体験を振り返ってみても、数回しかありません。
わたしは、今56才ですから、56年間の中で人生四苦八苦を身体で味わったことは数回しかないのです。
四苦八苦とは、生老病死の四苦と愛別離苦(愛するものと必ず別れる苦)、怨憎会苦(憎いものと必ず会う苦)、求不得苦(求めるものを得られない苦)、五陰盛苦(想いから発生する本能的欲望の苦)の四苦を表わしているのですが、果たしてこれら四苦八苦を一生の中でどれだけ経験したかと言うと、それほど無いのです。
「いや、自分はほぼ毎日のように経験している」
と言われる方もおられるでしょうが、そういう方は、四苦八苦の中で、生きる苦しみと、求不得苦(求めるものを得られない苦)に苛まれておられるのでしょう。
しかしよくよく考えてみるに、艱難辛苦というような出来事に遭遇することは滅多にありません。
殆どは、己の儘にならないことからくる不満であり、外部要因からくるものではありません。
そうしますと、四苦八苦という人生を、具体的に区分けすることが非常に大事であることがわかってきます。
先ず、外部要因から起こる本当の艱難辛苦というものは、一生の中でせいぜい数回しか無いということ。
生きる苦しみ、求めるものを得られない苦しみ、などは己の際限ない欲から起こるもので、外部要因には何ら関係無いということ。
この違いをきっちりと認識しておくことが大事です。
己の際限ない欲から起こる不満は、艱難辛苦ほどのものでは無く、所謂欲求不満ですから、これは考え方次第でどうにでもなる。
たとえば、肉欲を催すと、もう居ても立ってもおられなくなる。何とかこの欲望を果たせないと、この世の終わりのように思い込み、煩悩に苛まれているわたしたちですが、他の想いによって、ほんの1分も忘れたら、何事もなかったようにけろっとしている。
子供は、欲しいものを親から与えられなかったら、絶叫して泣き喚きますが、ほんの数秒すれば、もう他のことに想いは移っている。
欲求不満の実体は所詮他愛もないそのようなものです。
それを生きる苦しみと思うのは、ガキの無いものねだりと同質であります。
では、人生の中で数回しかない、外部要因も絡んで艱難辛苦が襲ってきた時はどうでしょうか。
確かに、苦しいでしょう。
人生真暗闇になります。
しかし、それもよくよく考えてみるに、せいぜい3ヶ月、長くても1年から2年で解決している筈です。
こういった艱難辛苦は10年に1回程度あるわけですが、それもそんなに長くは続かないのです。
10年に1回で、長くて2年なら、残りの8年は無事の人生であるわけです。
逆に、2年も掛かって解決した時には、苦痛から解放された無上の悦びを経験出来るのです。
そう考えますと、人生四苦八苦などと大層に考えることは無いものだとわかってくるのです。
それに比べて、楽しく思うことの方が遥かに多いことがわかってきます。
わたしの書いた詩を紹介しておきます。

宿命の魔がさす

人の一生には 魔がさすときが 七回ある
三十才までに せいぜい 二回だ
五十才代の十年間に三・四回ある
その間に二回ぐらい
だから早死にする世代は三十までか 五十代だ
その間に二回ぐらいあるが まず順調だ
三十才までの魔は 不注意の魔だ
だから 避けることは 可能だ
五十代の魔は 宿命の魔だ
避けること、予防することが 不可能だ
この種類の魔がさすと 神も避けたがる
それなら その宿命の魔と仲良くするしかない
宿命の魔は すこし あまのじゃくなところがある
いやだ いやだ と嫌うと 寄ってくる
すきだ すきだ と追いかけると 逃げていく
不注意の魔は 天使の下僕
宿命の魔は 悪魔の下僕 そして 神の下僕
詩集「夕焼けの死・暴風雨」から