Chapter 74 「私」と「わたし」

わたしたちが住んでいる宇宙は、誕生してから137億年が経過していますが、その間ずっと運動し続けているのです。
普段、わたしたちが運動をするには燃料が必要です。
自動車を動かすのに燃料が必要なように、わたしたちが日常生活する上で食べ物という燃料を補給してやらないと身体という車は止ってしまいます。
それなら137億年運動し続けてきた宇宙も燃料が必要であった筈です。
しかし、宇宙が運動するのに必要なエネルギーは燃料のように補給する必要はありません。
宇宙に遍在するエネルギーの総量は一定で、その位相が変化することによって運動エネルギーに変わっているだけなのです。
従って、いちいち燃料が減少したからと言って補給する必要は全然ないのです。
しかし、わたしたちは燃料である食べ物を3ヶ月補給しないと死んでしまいます。
水なら1週間補給しないと死んでしまいます。
息なら3分補給しないと死んでしまいます。
それなら宇宙とわたしたちとは、一体どんな違いがあるのでしょう。
宇宙は円回帰運動をしていると申しました。
わたしたちも円回帰運動をしています。
みなさんは、自分が円運動をしていると言われても俄かに信じられないでしょう。
しかし、わたしたちの住んでいる地球は丸いのですから、40000Km歩き続けると元のところに戻って来るのです。即ち円回帰運動しておるのです。
わたしたちが、1m歩いても、それは地球1周の円軌道に沿って動いているわけです。
宇宙空間では、最初に時速5Kmで歩き出すと、燃料補給しなくても永遠に歩き続けることができます。動き出す際にエネルギーが要るだけです。
これを慣性の法則と言います。
わたしたちは、地球の大気圏内で住んでいて、大気(空気)の抵抗を受けているから、途中で燃料を補給しないと止ってしまうのです。
つまり、宇宙のある限られた空間で、わたしたちは生きているわけです。
要するに、わたしたちを含めて、すべてのものは円回帰運動をしている、そして円回帰運動するのに運動エネルギーを補給する必要はないのが基本です。
慣性の法則は、円回帰運動そのものの特性であるのです。
わたしたちが生きているということは、動いているから生きているわけです。
死んだら、動きが止ってしまいます。
それなら、円回帰運動しているわたしたちも、宇宙と同じで永遠に動くことができるはずであります。
しかし、わたしたちは100年足らずで死んで動きが止ります。
それは、大気(空気)の抵抗を受けているのと同じで、永遠に動き続けるものに抵抗する力が働くからです。
しかし宇宙が円運動しているのは、エネルギーの位相の変化によって得られた運動エネルギーに因るものですから、わたしたちもエネルギーの位相の変化をしているのが基本なのです。
つまり死ぬということは有り得ないわけです。
飽くまで位相の変化、変位に過ぎないのです。
肉体が死ぬと、焼き場で灰と骨だけになります。
灰と骨は地球の一部に円回帰します。
「私」という肉体は消えてしまいますが、「わたし」は消えずに円回帰運動をし続けているのです。
ここのところが本Chapterのポイントでありますが、夢という背景画面を、独りの席で鑑賞しているのは、本当の自分、即ち永遠に円回帰運動している「わたし」であります。
また、実舞台を四階の席で観ているのも、「わたし」です。
一方、夢という背景画面の中に同化して、画面と一緒に動いているのが、「私」であります。
無限−有限空間(リーマン空間)の中を無限運動するという意味−の宇宙にいる、「わたし」と、有限−地球の大気圏内にいるという意味−の宇宙にいる、「私」の違いが、今まで象徴的にお話してきた、自分独りだけの劇場の中に存在する複数の自己の実態であるのです。
「私」は個別意識。
「わたし」は宇宙集合意識。
の根拠であります。