Chapter 69 夢の本質

夢を観ることは、人生を楽しむ上で欠かすことのできないものであります。
夢という言葉には、通常二つの意味があります。
ひとつは、睡眠の中で、現実とはかけ離れた事象が現れることを、わたしたちは夢と言っています。
もうひとつは、人生を通しての自己の強い願望を夢と言っています。
人生を通しての強い願望とは、一時的なものではなく、『継続性を持った強い想い』であるわけです。
特に、『想い』ということに注目をして欲しいのです。
つまり、『夢』とは『想い』であるのです。
『想い』とは、自己の本質であります。つまり本当の自分であるのです。
心と言ってもいい。気持ちと言ってもいいでしょう。
寝ても醒めても、記憶がはじまった時から今日に至るまで、心臓や息のように休むことなく働き続けて来た、何か胸の辺りで囁く言葉を、『想い』と言うのです。
それを、『魂』と呼び、肉体は灰となって消えていくが、『魂』は永遠不滅のものであり、肉体を替えては輪廻転生する、あらゆる宗教、哲学の探求の究極の対象であるものです。
わたしたち人間が生きて行く上での悩み、苦労の根元は、すべてこの『想い』があるからです。
そうしますと、人生を通しての自己の強い願望である夢とは、自己が生きている目的、使命、宿命、運命そのものであり、自己の存在意義そのものであり、結局、自己そのものであるわけです。
わたしたちは普段、何気なく気楽に、『夢』という言葉を発していますが、この言葉はとてつもなく大きな意味を持った言霊であるのです。
子供に、「あなたの夢は何?」と大人が訊きますが、その質問はまさに、その子供の本質、つまりアイデンティティーを糾している重い問いかけであるのです。
それなら、「自分の夢は何?」と自己のアイデンティティーを先ず問いかけてみるべきではないでしょうか。
わたしたちは、生まれてから今日に至るまで、真摯な態度で、「自分の夢は何?」と問いかけてみたことはあるでしょうか。
若い頃には、子供の延長線で、良い高校に行って、良い大学に行って、大きな会社や、官庁に入って・・・と考えている経験を持っている筈ですが、これも、『夢』を語っているわけですから、自己のアイデンティティーを持っていたのです。
『夢』を語ることがなくなった時、わたしたちは自己喪失をしてしまったのです。
しかし、完全に自己喪失をするということは、精神の死を意味するわけで、程度の差こそあれ自己喪失をしているわたしたちは、正常な精神を持っていると勘違いしているだけで、実は異常な精神の持ち主である証明であるのです。
病理学的な精神異常な方と、わたしたちとの違いは、自己喪失の程度の差だけであることを忘れてはいけません。
そのバロメーターになっているのが、睡眠の中で観る、所謂もう一つの夢であるのです。
わたしたちが観ている夢が、わたしたちの本質そのものに関わっているのです。
わたしたちが、四六時中夢を観ているのは、まぎれもなくわたしたちの本質に関わっているからなのです。