Chapter 67 あなたは中毒患者

突き詰めてみれば、何のことはない。
『今、ここ』を『継続』するだけなのです。
人間が生きるということは、ただ生きていけばよいわけであって、それをややこしく複雑にするから、苦労が絶えないだけのことであるようです。
他の動物たちを見ていますと、まさに生きている間はただ生きている、死ぬ時が来たらただ死ぬだけ。
この、「ただ」が、『今、ここ』を示唆しているのですが、わたしが、『今、ここ』と強調すると、みなさんは、『今、ここ』という言葉だけが、頭にこびりついてしまうようです。
『次、あそこ』に執着していたのが、『今、ここ』に変わっただけで、執着心は却って増大しているのではないでしょうか。
現実の舞台で、自分の人生を演じ、演出し、鑑賞するのが、生きている証であるのですが、それは四階の自分だけの席に座っていないと不可能であると申しました。
三階や五階の席からは、夢という背景画面しか観ることが出来ないのに、わたしたちは、四階を素通りして三階と五階を往復しているのです。
わたしたちが、寝ても醒めても、夢を観ながら生きているということは、三階にいる間は肉体の目は醒めているが意識は眠っており、五階にいる間は肉体も意識も眠っていることに外ならないのです。
三階の席は、時間に支配されている世界。
五階の席は、時間を支配している世界。
両方とも、時間に執われている世界なのです。
四階は時間の無い世界です。
線は長さを以って表わす。従って一次元世界は長さの無い世界です。
平面は巾を以って表わす。従って二次元世界は巾の無い世界です。
立体は高さを以って表わす。従って三次元世界は高さの無い世界です。
時空間は時間を以って表わす。従って四次元世界は時間の無い世界です。
『今、ここ』を生きるということは、四階の席に先ず座ることから始まります。
四階の席に先ず座るということは、三階と五階の席を放棄することです。そうしないと、つい未練が残って戻ってしまう恐れがある。きっぱりと放棄することです。
今まで慣れ親しんできたものを放棄するには勇気と決断が要ります。
『今、ここ』を生き切ることを難しいと考えている方は、勇気と決断力が無いからです。
生きているということは、毎瞬間、勇気を奮って決断していることに外ならないのです。
従って、みなさんが生きているということは、勇気を奮って決断しているのです。
三階と五階の席を往復している間で四階の席にも座っておるのです。ただそれを意識していないだけなのです。
問題なのは、そのことを意識していない点だけであります。
わたしたちは、みんな同じことをしているのです。
ホームレスになっている人たちも、選挙に当選して意気揚々としている人たちも、何も変わらないのです。
ホームレスの人たちは三階の席はボロボロですが、五階の席はピカピカなのです。
選挙に当選した人たちは三階の席はピカピカですが、五階の席はボロボロなのです。
しかし四階の席はホームレスも総理大臣も、まったく同じ質の席なのです。
四階の席に座っている時を意識しているかどうかに尽きるのです。
三階の席は、所謂わたしたちが思っている現実の世界ですから、ピカピカの席だと気持ちいいもので、つい長居してしまう結果、五階の席は空きがちで結局ボロボロになっていく。こういう人たちを現実主義者というようです。
五階の席は、所謂わたしたちが思っている夢幻の世界で、三階の席がボロボロだとつい夢幻の席に行ってしまいがちになる。こういう人たちを厭世主義者というようです。
どちらも大差はないのです。
問題は四階の席に座っていることをどれだけ意識−認識と言った方が解り易いかもしれませんが−しているかどうかです。
生きているということは、四階の席に座っていることなのです。
あなたも、わたしも、生きているなら四階の席に座っているのです。
意識することです。
何故あなたは意識しないのですか。
それは、あなたが自慰中毒者だからです。
麻薬中毒患者は、所謂幻想の世界に浸っています。
自慰中毒患者は、所謂現実の世界に浸っています。
両方とも、所詮中毒患者であります。
もういい加減、薬抜きをすることです。
薬抜きをすると決断する勇気を奮うことです。
遅かれ早かれ、わたしたち生きている者はすべて死を迎えるにあたって、四階の席で舞台の最後を観届けなければならないのです。
心臓発作が起こる度に、わたしは、舞台の最後を観届ける覚悟をしなければと思うのです。